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繁栄の外で(8)

2014年04月22日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(8)

 勤勉さが自分を支配するように仕向ける。

 ある夏休みの話だ。それが、14歳だったか、15歳だったかは思い出せない。多分、2つが混ざってしまって記憶してしまっているのだろう。大体の記憶と同じように。

 朝、6時には目を覚まし、当時、工事をしていた学校のグラウンドではなく、近くの会社が所有しているグラウンドを借りて、そこで陸上競技の練習を7時から2時間ぐらいした。

 そのまま、歩いて学校のプールに移り、ほてった身体を冷やすように水の中に飛び込んだ。紫外線のことがいまほど、危険視されてもいない時代だったので、そのころの子供たちはみな、黒い肌を競い合った。

 それから、家に帰り昼食を取る。きっと前年度は家に親がいない友人の家で、午後は遊んでいた。数人の同級生の女の子に電話をしたり、つまらない口論をしたりしながらも友情は深まっていく。

 それから、翌年には学力を向上させるため、勉学に打ち込む。計画を立て、それを守ろうとすれば、意外と予想以上に時間も短く、はかどることを知った。当時の子供たちと同じように、塾にも通ったが、勉強の仕方やコツを学んでからは、通うのをやめた。テクニックさえ覚えてしまえば、あとは個人の頑張りのみが残されているだけだ。そのコツのために数回分の月謝が消えた。

 それで、何かに打ち込めばその車輪は勝手に回転してくれる。自分でも、納得いくぐらいの偏差値に到達し、希望の高校を数校にしぼる。

 そんなアクセントのない生活だけでは物足りないので、近所の夜店を見に行ったり、盆踊りで同級生の可愛い女の子の私服姿に動揺したりもする。やはり、可愛い子には票が多く集まり、とりあえずは自分は順番待ちのような気持ちをかかえ、いずれ交際できればよいなと思ったりもした。後悔していることでもあるが、(こころの底ではそう思っていないのかもしれない)彼女と仲良くなりそうな友人を、自分の腕力で片付けてしまったこともある。それで、自分の評判が上がるわけでもないが、ただ、そうしないわけにはいかなかった。結局、自分の行為のために友人を失い、彼はもともと学区外に越してしまっていたが、そのまま転校してしまった。自分の犯した悪を思い返すことは、どうにもやり切れないことだ。

 またもや、クーラーのきいた快適な部屋で勉強している。友人たちと海水浴にいった千葉の内房への数日を除けば、ほぼ毎日そうしていた。

 そうした中で、何人かの訪問者が現れたりもする。

 悪いほうは、他校の悪ガキたちでなぜか、自分の家まで彼らは発見してしまい、ある時は喧嘩しようぜ、という愚かな誘いであったり、(勉強しようぜ、君たち、という感覚に自分は変化しはじめていた。)またある時は、体力の有り余っている他校の悪ガキが、ちょっと遠くまで自転車の旅をしにきて、数語を費やし目的も収穫物もないまま帰って行った。自分の名声への欲求が亡霊のように付きまとい、このように結果として刺客をむかえた。

 楽しいほうは、兄の何人か目のガールフレンドが遊びにくる。その弟にも優しくしましょうね、という表情があったようにも思う。いまになって振り返ると、とてもきれいな人で、自分の理想の女性の最終形はこの人ではないのかという疑問も浮かぶ。それぐらいの、憧れの気持ちがあった。

 彼女は、ぼくが陸上の練習をしていると、その学校の横の道が通学路であったらしく、自転車に乗り長い髪をなびかせ、通り過ぎようとしていた。その時、あの弟君ではないかと、ぼくに声をかけた。

「練習、頑張って」とかの声援こみの言葉だろう。

 ぼくは、仲間たちの前できれいな知り合いがいることの優越感をもっている。目の前に突然に誰かが訪れるなら、悪ガキたちよりも数倍、この方が勝っているだろう。

 ノートに書き込む字数が多ければ多いほど、学ぶことも増えていった。それが理解の展開にはいれば、勉強も楽しいものになっていった。もう少し、時間が足りないなという感覚も生まれてくる。しかし、孤独に勉強すれば、その気持ちの到達点は、友人たちも競争相手にすぎないのかもしれない、というこころの狭量さにつながるのだろう。目的をもった勉強が、違った形に移り変わってしまうことも世の常なのだろう。