27歳-27
どこにいても目のなかに容赦なくある対象物が飛び込んでくるときがある。ダイエット中なのに甘いものの誘惑に押し込まれ、そのきっかけとなった看板に視線が釘付けになるように。興味があるものが目に付くのか、目に付くから意識は引っ張られるのか。どちらが先でも足し算の単純なる順番のように結果自体は同じだった。
その頃のぼくは会社の用で外回りに出かけると訪問先が結婚式場のとなりであったり、用件で出向いた近くにあることが増えたようだった。電車では妊婦さんに席を譲り、ベビーカーを押しているひともよく見た。新婚ということがあまりにも見え見えのひともいた。こうつづくと不思議と次は自分の番だなという気分にさせた。
そうなるとぼくが申し込む相手は希美しかいない。ふたりとも好きで交際をつづけているのだから嫌いということはあり得ない。多分、断られないだろうという安心感もあった。引き鉄をひけば必ず命中するのだ。弾倉に弾は一発でも。嬉しさの前払いをもらい、だが、そのことは自分がいちばん嫌いな出来レースや八百長を思わせることになった。無鉄砲に断られることを覚悟するということと段々と疎遠になっていく。大人はあまり冒険しないことによって小さな報いを得るのだ。幸せのアポイントメント。
ひとはどうやって決意をするのだろう。ぼくはプールに入るのをこわがった同級生を思い出していた。いまになると名前も思い出せない。彼がその後、きちんと沈んだのか、どこかに逃げ出したのか、どちらの選択をしたのかも分からなかった。彼もいまは小さな報いを手に入れていることだろう。
だが、彼にとっては一大事だったのだ。傍から見ると決断もそれにともなうおそれも大したことのないぐらいに映った。ある面では心配をされ、手に汗をかいて応援をして、数人は意気地のないことを笑った。身勝手さは自分にできる範囲のことでは充分に発揮される。だから、おそらくぼくも笑ったのだろう。
今後、希美を越える誰かはあらわれることもない。そもそも、そういう仮定や比較の問題でもないようだ。ぼくはスタートラインにいつの間にか立たされ、あとは号砲を待つだけだったようだ。
結果を先にいえば、希美は考えさせてと言った。とうとう自分にもこの機会がめぐってきたのかという表情をして、それは歓喜を予感させるということでもなく、注射の順番を待つ子どものような不愉快さとおびえが見え隠れする様子だった。大きな病気をしないために、小さなウィルスで訓練する。自分は希美という別の体内に忍び込む抵抗体のようだった。
「ぼくは、いつまでも待つよ!」と言う。宣言に似ている。そのいつまでもという期間の定義はもちろん七十才までという途方もなく遠い時間は示していない。出来レースを望んだ自分は意外な盲点があることを知るのだ。
さらにいえば、彼女は徐々に楽しそうではなくなっていった。ぼくらにあった濃密な無理のない親しさはぼくの言葉によって分解され、溶解してしまったようだった。ぼくはひとりでプールに飛び込み、水面から顔をあげると彼女はいなくなっていたという表現に近い。だが、飛び込まないという選択などぼくにはできなかった。意気地なしというレッテルは貼られたくないのだ。
迷うということがぼくにはどういうことだか分からなくなっていく。AではなければB。Bで不足ならば新たなC。そういうことではない。すべてか無か。次に会うときには、喜ばしい返事をきけるのだろうと考える。ひとはそれを期待と呼ぶのだろう。無邪気な期待。いや、きちんと責任を後ろに秘めた期待であった。
だが、返事はとうとうなかった。ぼくは自分の発した言葉がむなしく空中に消えたことを知った。あるけじめとなる宣言は、誰のこころも打たなかったのだ。打たなければならない必要もなかったといえば、その通りでもある。だが、交際はつづいた。ぼくらには大きな未来は訪れないが、小さなこれまでの継続した信頼のために惰性のように会っていった。
ぼくは失恋した友人から電話をもらい、死別したひとの悲しげな新聞の記事を読んだ。立ち直るというのには段階があることをふたたび思い出した。ひとは一気に、一足飛びに悲しみから抜け切らないのだ。思い出の品物を処分したり、充分に悲しんだり、そこそこに自分を卑下したり、いろいろな過程がある。そのひとつひとつの料金所で代価を支払うことにより、新たな目的地に達することができる。
だが、ぼくらは別れてはいない。もらえない返事というものが奥歯にはさまったような気持ちでいても、会えば会ったで楽しい気分になった。これが単純に好き、というものの恵まれた恩恵なのだろう。だが、もっと好きになったら? これ以上は、もうないのだろうか。
ある日、会社での疲れた業務を終えて家に着くと、ポストに友人の結婚の招待のハガキが投函されていた。彼はきちんと返事をもらったのだった。決意と合意の間にはさまざまな障害物があり、ぼくは裸足でその上を歩いているような痛みを感じていた。尖った貝がらを砂浜で誤って踏んでしまったぐらいの痛みだ。痛みは笑いより記憶に通じて、両者は気安い間柄のようでもあった。フレンドシップ。記憶は悲しみを歓迎する。
どこにいても目のなかに容赦なくある対象物が飛び込んでくるときがある。ダイエット中なのに甘いものの誘惑に押し込まれ、そのきっかけとなった看板に視線が釘付けになるように。興味があるものが目に付くのか、目に付くから意識は引っ張られるのか。どちらが先でも足し算の単純なる順番のように結果自体は同じだった。
その頃のぼくは会社の用で外回りに出かけると訪問先が結婚式場のとなりであったり、用件で出向いた近くにあることが増えたようだった。電車では妊婦さんに席を譲り、ベビーカーを押しているひともよく見た。新婚ということがあまりにも見え見えのひともいた。こうつづくと不思議と次は自分の番だなという気分にさせた。
そうなるとぼくが申し込む相手は希美しかいない。ふたりとも好きで交際をつづけているのだから嫌いということはあり得ない。多分、断られないだろうという安心感もあった。引き鉄をひけば必ず命中するのだ。弾倉に弾は一発でも。嬉しさの前払いをもらい、だが、そのことは自分がいちばん嫌いな出来レースや八百長を思わせることになった。無鉄砲に断られることを覚悟するということと段々と疎遠になっていく。大人はあまり冒険しないことによって小さな報いを得るのだ。幸せのアポイントメント。
ひとはどうやって決意をするのだろう。ぼくはプールに入るのをこわがった同級生を思い出していた。いまになると名前も思い出せない。彼がその後、きちんと沈んだのか、どこかに逃げ出したのか、どちらの選択をしたのかも分からなかった。彼もいまは小さな報いを手に入れていることだろう。
だが、彼にとっては一大事だったのだ。傍から見ると決断もそれにともなうおそれも大したことのないぐらいに映った。ある面では心配をされ、手に汗をかいて応援をして、数人は意気地のないことを笑った。身勝手さは自分にできる範囲のことでは充分に発揮される。だから、おそらくぼくも笑ったのだろう。
今後、希美を越える誰かはあらわれることもない。そもそも、そういう仮定や比較の問題でもないようだ。ぼくはスタートラインにいつの間にか立たされ、あとは号砲を待つだけだったようだ。
結果を先にいえば、希美は考えさせてと言った。とうとう自分にもこの機会がめぐってきたのかという表情をして、それは歓喜を予感させるということでもなく、注射の順番を待つ子どものような不愉快さとおびえが見え隠れする様子だった。大きな病気をしないために、小さなウィルスで訓練する。自分は希美という別の体内に忍び込む抵抗体のようだった。
「ぼくは、いつまでも待つよ!」と言う。宣言に似ている。そのいつまでもという期間の定義はもちろん七十才までという途方もなく遠い時間は示していない。出来レースを望んだ自分は意外な盲点があることを知るのだ。
さらにいえば、彼女は徐々に楽しそうではなくなっていった。ぼくらにあった濃密な無理のない親しさはぼくの言葉によって分解され、溶解してしまったようだった。ぼくはひとりでプールに飛び込み、水面から顔をあげると彼女はいなくなっていたという表現に近い。だが、飛び込まないという選択などぼくにはできなかった。意気地なしというレッテルは貼られたくないのだ。
迷うということがぼくにはどういうことだか分からなくなっていく。AではなければB。Bで不足ならば新たなC。そういうことではない。すべてか無か。次に会うときには、喜ばしい返事をきけるのだろうと考える。ひとはそれを期待と呼ぶのだろう。無邪気な期待。いや、きちんと責任を後ろに秘めた期待であった。
だが、返事はとうとうなかった。ぼくは自分の発した言葉がむなしく空中に消えたことを知った。あるけじめとなる宣言は、誰のこころも打たなかったのだ。打たなければならない必要もなかったといえば、その通りでもある。だが、交際はつづいた。ぼくらには大きな未来は訪れないが、小さなこれまでの継続した信頼のために惰性のように会っていった。
ぼくは失恋した友人から電話をもらい、死別したひとの悲しげな新聞の記事を読んだ。立ち直るというのには段階があることをふたたび思い出した。ひとは一気に、一足飛びに悲しみから抜け切らないのだ。思い出の品物を処分したり、充分に悲しんだり、そこそこに自分を卑下したり、いろいろな過程がある。そのひとつひとつの料金所で代価を支払うことにより、新たな目的地に達することができる。
だが、ぼくらは別れてはいない。もらえない返事というものが奥歯にはさまったような気持ちでいても、会えば会ったで楽しい気分になった。これが単純に好き、というものの恵まれた恩恵なのだろう。だが、もっと好きになったら? これ以上は、もうないのだろうか。
ある日、会社での疲れた業務を終えて家に着くと、ポストに友人の結婚の招待のハガキが投函されていた。彼はきちんと返事をもらったのだった。決意と合意の間にはさまざまな障害物があり、ぼくは裸足でその上を歩いているような痛みを感じていた。尖った貝がらを砂浜で誤って踏んでしまったぐらいの痛みだ。痛みは笑いより記憶に通じて、両者は気安い間柄のようでもあった。フレンドシップ。記憶は悲しみを歓迎する。