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物語の連鎖
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11年目の縦軸 27歳-25

2014年04月11日 | 11年目の縦軸
27歳-25

 希美は学生時代、いじめられたと言った。それがどの程度のものか同じ場所にいないと分からないものだ。後年になっても傷をのこすようなものなのか、たわいのない戯れのようなものか、主観と客観によっても印象は違う。傍観という恵まれた立場もある。彼女が加害者の側に立つことは想像できない。あまりにも可愛すぎて手加減を忘れてかまってしまうということも考えられた。そうした意味なら、ぼくにも身に覚えがある。

 反対にぼくをいじめるというスタンスに立ったひとはいない。腕力と生意気さ加減が、ある面では挨拶のように重要視される環境だったのだ。ぼくはその小さな世界で勝ち抜く。当然、こぼれてしまうものもある。知性に依存するとか、芸に秀でるということはどこかでためらわれた。男の子は賢さより、スポーツで汗を流し、小さなことに拘泥しないということが最優先される。だからといって、みなが居心地が良いとも思っていない。理屈であるより、生き方の中立のように郷に入ればということが解決策であり信条でもあった。そうした鋳型の違いによってぼくらは作られた。

 いまはこうしている。ぼくは希美の切ない吐露をきき、悲しくなった。誰かが誰かの存在について、肯定する場合は問題ないが、否定というのをもちこみ行使するのは容認できないものだった。罵倒とか、無視とかの圧倒的な見えない腕力を用いて。

 しかし、もちろん自分もしてきたのだ。回覧板で暴かれることもなく、ニュースのなかの数秒を埋めなかっただけで。どれほど、卑怯で卑劣であるのか誰もきちんと説明してくれず、教えてもくれなかった。だが、教えられて理解させる類いのものでもないかもしれず、普通の両親は、それを最初の切り札としてしつけを施すのかもしれない。もう、いまになっては遅くなってしまったが。

 手遅れということがたくさんある。希美をいじめた誰かも後悔しているかもしれない。もし、人間が善を基準として、ずれたら揺り戻してもう一度、善に傾く方向に生きており、後悔をすると仮定しての話だが。それでも、傷がのこる以上、手遅れなのだ。では、後悔というのは訂正のきかない現実と戻れない理想との差分であるのだろうか。ぼくは加害者としての後悔も美化しようとたくらんでいる。

 ぼくは普段のおとなしさを酒の力によって豹変して暴君のように振る舞った父を許していなかった。彼は遂に楽しい酒にはならなかった。少なくとも家庭内では。重い雲が夜になるとたちこめ、傘もカッパも自前では用意できない子どもにとって、悪夢に近いものだった。結果として、びしょぬれになる。だが、もうその管理下にはいない。いなくてもたまに夢にみた。ぼくにも、はっきりと傷のひとつやふたつはあるのだ。環境も選べないし、それで給料をもってこないということにもならなかったので、天秤にかければ、それほど悪いことでもなかった。しかし、無意識では夢に訪れるぐらいには、きっちりと潜んでいた。冷蔵庫の裏の夏の黒い虫のように。

 力を有するものは、どうしても力のない者に圧力をかける。善意であればなお厄介であった。逃げられない関係性もある。そこまではひたすらに耐え、暴風雨が過ぎ去るのを待つ。人間という数十年をかけて大人になり、別の住処を見つけることが求められる生物はとくに。一気に子ども時代を駆け抜けるのは無理なのだ。

 ぼくはこのことだけではないが、希美をずっと見守ろうと思っていた。ぼくという欠陥品は声を大にして守るという簡単な宣言がどうやら口から出ないらしかった。それは、やはりずっと彼女が生まれた時点からしなければ意味がない。同時に成長する、あるいは育つということではぼくの力がすみずみまで及ばないので確かに減点だ。すると、解決するには年齢差を生じさせる必要がある。保護者が弱きものを守れる。ぼくは守ると言わない自分も、なんとかごまかそうとしている。もしかしたら、自分の柔なこころさえ守れなかった自分自身を憎んでいるのかもしれない。過去は動かせない。フィルムを逆回しにして滑稽な動きで笑い飛ばせるようになれば済むのだろう。

「その子の名前は? いじめた方」

 希美はためらいもせず、思案もはさまずに、すらすらと述べた。ひとは相手にいつまでも覚えてもらいたいと思い、成功させるにはこのような方法もあるのだとぼくは知る。歴史に名をのこした悪い王たち。重税を課すことをためらわない専制者たち。いくらでも、忘れやすい記憶にのこるチャンスはあるのだ。

「ねえ、いなかった?」
「いないこともないけど、言わせなかったんだと思うよ。いまになれば」
「強いんだね」

 ぼくが強いのか? ひとりの子の気持ちをどうこうできなかった自分は、強いと呼べるのだろうか。親の不機嫌が通り過ぎるのをじっと待つしかできなかった過去の少年は強さをもったことがあるのだろうか。

「これからは誰にもいじめさせないよ」

「たまに、わたしのこと泣かすくせに」その言葉を希美は笑って言った。女性はたまに泣きたいのだ。反対に男性は泣きわめくことを条例ぐらいの軽さによって抑え込まれているのだ。その違いが男性を優位に見せ、女性を弱いものと定義した。証拠の提出や吟味なども求められずに。ぼくは楽しくない寝汗をともなう夢を見る。それは父という不動のものからの独立という植民地の民の叫びのようなものだった。通り過ぎなければならない痛みでもあるのだ。
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