繁栄の外で(1)
繁栄の外にいる。いや、いつでも外縁部にいる。手の届かない中心には何があったのか。
こうなったのは、なぜだろう。最初の記憶として、小学生時代に自宅の2階で、2段ベッドの下のほうにいて誰にも邪魔されずに漫画を読んでいる自分の姿を思い出す。突然、同じ部屋にいた兄がこちらを向いて、なにか用件を言いつけた。そのため、ぼくは外に買い物に行かされそうになった。使いっ走り。何度も言うが、ぼくは、心安らかに漫画を読んでいただけだったのだ。
「やだよ、漫画を読んでるから」
「お駄賃、あげるから頼むよ」兄の戦法は、こうだった。だが予期せぬことに、
「じゃあ、行くよ。いくら、くれるの?」と返事をすると、
「金なんかで動くような人間になるなよな」とまじめな口調で兄が言った。
この宣言が、のちのち影響を残すであろうことは、ぼくは知らない。だが、しっかりとぼくに爪あとを刻んでしまった。
この後、なにか言われた用件を果たしたのか、それとも、そのまま寝そべって漫画を読み続けていたのか、自分には記憶がない。行ったような気もするし、それならばと反論を持ち出して断ったような覚えもある。しかし、どちらでも良いのだ。金で動く人間にはなるな、という宣告に縛られる人生がここで約束されたのだ。ギリシャ神話の運命にまといつかれる人物のように。
財布に穴が開いてしまっているみたいに、ぼくの頭の構造のなかには、利益という観念がまったくないらしい。それで、不利益になるかどうかは、利益の観念がない以上、判断のしようもなかった。
まだ高校にあがる前の15歳のときの話だ。
部活動も同じだった同級生が、ぼくに提案を持ちかける。最後の夏休みを期に、そろそろ運動部の一員である役目も終わり、宿題もある程度、終わりの目途がついていたのだろう。
「なんかバイトを2、3日しない?」
肉体を動かして、その汗が金銭に代わるような内容だったと思う。ぼくは、なにかに拘束された自分が想像できず、
「いいよ、面倒くさいよ」と、あっさりと断ってしまった。一回ぐらい、その年代でお金を稼ぐあれこれを学習しても良かったのにと、ささやかな後悔を感じたりもする。しかし、宣告は、宣告のまま生かしておいた方が良いのかもしれない。
彼は、別の誰かを誘って、たぶん働いたはずだ。その友人が、金銭のやりくりを根本的に知っている人間であったことを、今の自分は気付いているが、彼は、その汗の代価で新しい服でも買って、そこそこの女の子とデートをして、意味ある消費をしたはずだ。
意味があっても、意味がなくても、金銭はどこかのよどみにたまり、またある一面では清流のように、魚影はありのままに見えるのだが、自分は決してそれを掴み取ることができないという運命の宣告が、どこか衣服の裏地にでも縫い付けられているように感じてしまう。
どちらかを選ぶなら、膨らんだ財布か、薄っぺらな財布か、選択が各個人に任されているような気もするのだが、握られた拳の中身を知らないでいるのか、すすんで間違ったチョイスをしているのか、反対をぼくは指差した。その拳を広げられると、中は当然のように空だった。しかし、それを見るとどこかで安堵している自分もいた。多分、こうなるであろうことは予測がついていたのだ。目次をみた瞬間から、大体のあらすじが分かってしまうような欠陥のある推理小説のような人生が待っているのだろう。その稚拙なトリックをひとつひとつ誤魔化すように、下手くそな手品師のつもりで、いくらかきらびやかにまとってみたい。
しかし、ごまかしは、どうあがいても誤魔化しである。ズボンの裾上げを失敗したみたいな人生だが、人を蹴落としてでも、なんとか自分を美化しよう、というたくさんの本(そんなに成功者と見られることは美しいのか)が店頭に並んでいる事実に目をつぶり、何ページか書いてみようと思う。
繁栄の外にいる。いや、いつでも外縁部にいる。手の届かない中心には何があったのか。
こうなったのは、なぜだろう。最初の記憶として、小学生時代に自宅の2階で、2段ベッドの下のほうにいて誰にも邪魔されずに漫画を読んでいる自分の姿を思い出す。突然、同じ部屋にいた兄がこちらを向いて、なにか用件を言いつけた。そのため、ぼくは外に買い物に行かされそうになった。使いっ走り。何度も言うが、ぼくは、心安らかに漫画を読んでいただけだったのだ。
「やだよ、漫画を読んでるから」
「お駄賃、あげるから頼むよ」兄の戦法は、こうだった。だが予期せぬことに、
「じゃあ、行くよ。いくら、くれるの?」と返事をすると、
「金なんかで動くような人間になるなよな」とまじめな口調で兄が言った。
この宣言が、のちのち影響を残すであろうことは、ぼくは知らない。だが、しっかりとぼくに爪あとを刻んでしまった。
この後、なにか言われた用件を果たしたのか、それとも、そのまま寝そべって漫画を読み続けていたのか、自分には記憶がない。行ったような気もするし、それならばと反論を持ち出して断ったような覚えもある。しかし、どちらでも良いのだ。金で動く人間にはなるな、という宣告に縛られる人生がここで約束されたのだ。ギリシャ神話の運命にまといつかれる人物のように。
財布に穴が開いてしまっているみたいに、ぼくの頭の構造のなかには、利益という観念がまったくないらしい。それで、不利益になるかどうかは、利益の観念がない以上、判断のしようもなかった。
まだ高校にあがる前の15歳のときの話だ。
部活動も同じだった同級生が、ぼくに提案を持ちかける。最後の夏休みを期に、そろそろ運動部の一員である役目も終わり、宿題もある程度、終わりの目途がついていたのだろう。
「なんかバイトを2、3日しない?」
肉体を動かして、その汗が金銭に代わるような内容だったと思う。ぼくは、なにかに拘束された自分が想像できず、
「いいよ、面倒くさいよ」と、あっさりと断ってしまった。一回ぐらい、その年代でお金を稼ぐあれこれを学習しても良かったのにと、ささやかな後悔を感じたりもする。しかし、宣告は、宣告のまま生かしておいた方が良いのかもしれない。
彼は、別の誰かを誘って、たぶん働いたはずだ。その友人が、金銭のやりくりを根本的に知っている人間であったことを、今の自分は気付いているが、彼は、その汗の代価で新しい服でも買って、そこそこの女の子とデートをして、意味ある消費をしたはずだ。
意味があっても、意味がなくても、金銭はどこかのよどみにたまり、またある一面では清流のように、魚影はありのままに見えるのだが、自分は決してそれを掴み取ることができないという運命の宣告が、どこか衣服の裏地にでも縫い付けられているように感じてしまう。
どちらかを選ぶなら、膨らんだ財布か、薄っぺらな財布か、選択が各個人に任されているような気もするのだが、握られた拳の中身を知らないでいるのか、すすんで間違ったチョイスをしているのか、反対をぼくは指差した。その拳を広げられると、中は当然のように空だった。しかし、それを見るとどこかで安堵している自分もいた。多分、こうなるであろうことは予測がついていたのだ。目次をみた瞬間から、大体のあらすじが分かってしまうような欠陥のある推理小説のような人生が待っているのだろう。その稚拙なトリックをひとつひとつ誤魔化すように、下手くそな手品師のつもりで、いくらかきらびやかにまとってみたい。
しかし、ごまかしは、どうあがいても誤魔化しである。ズボンの裾上げを失敗したみたいな人生だが、人を蹴落としてでも、なんとか自分を美化しよう、というたくさんの本(そんなに成功者と見られることは美しいのか)が店頭に並んでいる事実に目をつぶり、何ページか書いてみようと思う。