27歳-35
ぼくと希美は結婚する計画だった。少なくともぼくの側では。もちろん、雨天で順延するようなものではない。大きな過ちがない限り、車輪は回転していくのだ。
ある日、希美は海外での勤務のことを言いだす。寝耳に水ということばをぼくは脳のどこかから引っ張り出した。
ぼくの仕事ではそのような状況は起こらなかった。だから、他のひともそういうものだと勝手に決めていた。周りでエイズで死んだひとが見当たらなければ、その病気がないということでもない。どこかにはあるのだし、日夜、研究員は新薬を発見できるよう試しているのだろう。だが、ぼくの周りではないも同然だった。
海外勤務と不治の病を同列に置くことも正しくないのかもしれない。だが、避けられなかった事実と見るならば、横に置くのが普通であり、対処の方法がないと見なすと、まったく同じものだった。
しつこいようだが、ぼくは彼女と結婚するであろうと想像していた。想像の範疇を一歩越え、その要求をつきつけた。彼女の返事はまだなかった。その為に、ここで離れた場所に行き、冷静に考えるのは悪くないと納得させようとする友人もいた。離れればそれで終わりだとあきらめを知っている友人もいた。離れたからこそ、大切なものに気付き、より大事にするという不思議な論理をもちだすひともいた。みな、自分に起こらなかったことだからこそ、身勝手なことがいえた。こちらは生活がかかっていた。未来の問題であり、同時にいまの自分の方向性を見極める通過点の難題でもあった。
結局、最後は彼女の判断なのだ。ぼくが口出しする権利は彼女の両親を含めて三分の一に過ぎないようだった。彼女をいれれば二十五パーセント。ハンバーグの楕円をレストランでその形に切り分けながら、空腹を満たす量にも足りないのだと、その肉の切れ端を口に運びながら考えていた。
テーブルの向こうには希美がいる。彫刻にならなかった希美。
ぼくは別れがもたらす何かを知っていた。十一年前に身をもって体験していた。あれが地獄でなければ、ぼくの想像力は余程、働かないのかもしれない。いや、想像で終わっていればよかったし、安楽だった。あれが現実になったのだ。アンハッピーという安上がりな表現では軽く、もっと重たいものをぼくの上に誰かが載せた。あるいは自分で被せた。
彼女は陽気さを演出し、ぼくは不機嫌という切り身をまな板に載せた。不機嫌など調理できるわけもなく、グツグツと煮える鍋に放り込み、不機嫌はさらに重々しいものとなった。
時間は経ち、いまは成田空港にいる。希美の何度もの涙をこの間に見て、ぼくのふてくされた顔を数え切れないぐらい見せた。だが、ここまで来れば楽しげに見送るしかない。これも、人生なのだ。人生の一部なのだ。
希美の友人もいた。ぼくも会ったことがある。友人というのは応援するためにいるのだと思われた。その応援は結婚ではなく、海外勤務の選択に傾いていた。彼女のジャッジは不利ではなく、ぼくよりも長い交遊が生んだ明晰な分析と判断だった。
ぼくはまだ長い夢の無邪気な通過を待ちわびるような気持ちにときどきなっていた。しかし、現実に電光掲示板は順序を繰り上げていく。友人の手前、抱き合うこともできない。最後に儀礼的に握手をして、希美はパスポートをつかんだ片手を振って、見えないところに消えた。
「さて、どうする?」と、希美の友人はいう。めぐみという名前だった。「さっぱりした?」そして、笑った。
ぼくはめぐみ、という言葉が意味するものを考えた。直ぐに連想したのは恵みの雨、という慣用句だった。空は快晴だった。飛行機の機体がきらきらと太陽の光を反射させていた。恵みの雨が大量に降り、運航を遅らせることなどなさそうだった。
ぼくらは電車に乗った。都心まで小一時間はある。ぼくらは会うべき理由はなかったのかもしれないが、喪失の共犯者としてここにいる。電話もあり、時間はかかるが手紙もある。そのような待機の時間割の提言をめぐみは付け加える。実体がないということにぼくは不満なのだろうか。目の前にいるということは何より大事なのだろう。十六才のぼくはそのことを充分、強引な力によって理解させられた。
ぼくらの家は意外と近かった。ぼくの家のそばの通い慣れた店に入って酒を飲んだ。ある店員は交際相手を変えたんだ、という表情を隠せないでいた。ぼくは正す必要性を感じない。やけという気持ちに近かった。
喪失の共同体の仕上げとして、ぼくらはぼくの部屋のベッドに忍び込む。ぼくは誰かを罰さなければならなかった。第一に希美であり、当然、そうされる理由があって、ずっとか、おそらく数か月はこの事実を知らないでいる。ぼくへの信頼の罰でもある。いや、抑えられなかった、彼女の決定を制することができなかった自分への罰である。それもわずかに違う。希美の決定を後押ししたこのめぐみへの罰である。彼女の助言により、ぼくはひとりになったのだ。
しかし、全部うそっぱちであった。罰ではなくギフトであり、報いである。甘い果実である。ぼくは得られなかったであろうものを、こうしてその当日に手にしていた。罰の要素も、罪の観念もぼくにはまったくなかった。歯をみがき、うがいの水とともに、そんなものは流しに吐きだしてしまったようだ。
ぼくと希美は結婚する計画だった。少なくともぼくの側では。もちろん、雨天で順延するようなものではない。大きな過ちがない限り、車輪は回転していくのだ。
ある日、希美は海外での勤務のことを言いだす。寝耳に水ということばをぼくは脳のどこかから引っ張り出した。
ぼくの仕事ではそのような状況は起こらなかった。だから、他のひともそういうものだと勝手に決めていた。周りでエイズで死んだひとが見当たらなければ、その病気がないということでもない。どこかにはあるのだし、日夜、研究員は新薬を発見できるよう試しているのだろう。だが、ぼくの周りではないも同然だった。
海外勤務と不治の病を同列に置くことも正しくないのかもしれない。だが、避けられなかった事実と見るならば、横に置くのが普通であり、対処の方法がないと見なすと、まったく同じものだった。
しつこいようだが、ぼくは彼女と結婚するであろうと想像していた。想像の範疇を一歩越え、その要求をつきつけた。彼女の返事はまだなかった。その為に、ここで離れた場所に行き、冷静に考えるのは悪くないと納得させようとする友人もいた。離れればそれで終わりだとあきらめを知っている友人もいた。離れたからこそ、大切なものに気付き、より大事にするという不思議な論理をもちだすひともいた。みな、自分に起こらなかったことだからこそ、身勝手なことがいえた。こちらは生活がかかっていた。未来の問題であり、同時にいまの自分の方向性を見極める通過点の難題でもあった。
結局、最後は彼女の判断なのだ。ぼくが口出しする権利は彼女の両親を含めて三分の一に過ぎないようだった。彼女をいれれば二十五パーセント。ハンバーグの楕円をレストランでその形に切り分けながら、空腹を満たす量にも足りないのだと、その肉の切れ端を口に運びながら考えていた。
テーブルの向こうには希美がいる。彫刻にならなかった希美。
ぼくは別れがもたらす何かを知っていた。十一年前に身をもって体験していた。あれが地獄でなければ、ぼくの想像力は余程、働かないのかもしれない。いや、想像で終わっていればよかったし、安楽だった。あれが現実になったのだ。アンハッピーという安上がりな表現では軽く、もっと重たいものをぼくの上に誰かが載せた。あるいは自分で被せた。
彼女は陽気さを演出し、ぼくは不機嫌という切り身をまな板に載せた。不機嫌など調理できるわけもなく、グツグツと煮える鍋に放り込み、不機嫌はさらに重々しいものとなった。
時間は経ち、いまは成田空港にいる。希美の何度もの涙をこの間に見て、ぼくのふてくされた顔を数え切れないぐらい見せた。だが、ここまで来れば楽しげに見送るしかない。これも、人生なのだ。人生の一部なのだ。
希美の友人もいた。ぼくも会ったことがある。友人というのは応援するためにいるのだと思われた。その応援は結婚ではなく、海外勤務の選択に傾いていた。彼女のジャッジは不利ではなく、ぼくよりも長い交遊が生んだ明晰な分析と判断だった。
ぼくはまだ長い夢の無邪気な通過を待ちわびるような気持ちにときどきなっていた。しかし、現実に電光掲示板は順序を繰り上げていく。友人の手前、抱き合うこともできない。最後に儀礼的に握手をして、希美はパスポートをつかんだ片手を振って、見えないところに消えた。
「さて、どうする?」と、希美の友人はいう。めぐみという名前だった。「さっぱりした?」そして、笑った。
ぼくはめぐみ、という言葉が意味するものを考えた。直ぐに連想したのは恵みの雨、という慣用句だった。空は快晴だった。飛行機の機体がきらきらと太陽の光を反射させていた。恵みの雨が大量に降り、運航を遅らせることなどなさそうだった。
ぼくらは電車に乗った。都心まで小一時間はある。ぼくらは会うべき理由はなかったのかもしれないが、喪失の共犯者としてここにいる。電話もあり、時間はかかるが手紙もある。そのような待機の時間割の提言をめぐみは付け加える。実体がないということにぼくは不満なのだろうか。目の前にいるということは何より大事なのだろう。十六才のぼくはそのことを充分、強引な力によって理解させられた。
ぼくらの家は意外と近かった。ぼくの家のそばの通い慣れた店に入って酒を飲んだ。ある店員は交際相手を変えたんだ、という表情を隠せないでいた。ぼくは正す必要性を感じない。やけという気持ちに近かった。
喪失の共同体の仕上げとして、ぼくらはぼくの部屋のベッドに忍び込む。ぼくは誰かを罰さなければならなかった。第一に希美であり、当然、そうされる理由があって、ずっとか、おそらく数か月はこの事実を知らないでいる。ぼくへの信頼の罰でもある。いや、抑えられなかった、彼女の決定を制することができなかった自分への罰である。それもわずかに違う。希美の決定を後押ししたこのめぐみへの罰である。彼女の助言により、ぼくはひとりになったのだ。
しかし、全部うそっぱちであった。罰ではなくギフトであり、報いである。甘い果実である。ぼくは得られなかったであろうものを、こうしてその当日に手にしていた。罰の要素も、罪の観念もぼくにはまったくなかった。歯をみがき、うがいの水とともに、そんなものは流しに吐きだしてしまったようだ。