27歳-36
戻るべきあの日。
希美がいなくなり、ぼくらの関係はつづいていたとはいえ、物理的な距離が間に挟まった。この距離の介在を無視できるほど、ぼくは精神的にできていなかった。ぼくは、はじめて希美に会ったときを追憶している。彼女は仕事の相手側の会社にいた。
その姿こそが重要だった。ぼくは内面など一切、知らなかった。徐々に世間話もするようになり、望んでいたことだったが交際することになる。いっしょの時間を過ごす。そこには必ず肉体が伴っていなければならない。ぼくらはまだ通信会社の宣伝を鵜呑みにして、かつ全面的に受け入れるほど、電波やシグナルを信じていなかった。対面することが親密さを増すには第一の、唯一のとっておきの方法だった。
年齢というものはとても重要だと仮定する。ひとは三才で結婚する相手を決めたりしない。そう宣言したこともあるかもしれないが生活の実感は無論、まったくない。自分も養われる存在で、ぐずって眠れなければあやされる立場なのだ。
何かがピークに向かい、いっしょにいたいというひとを探す。運よく巡り会う。相手も同じであってほしいと願う。話さなければ、ないと同然になってしまう。打ち明ける。返事は宙ぶらりんのまま、彼女の姿はなくなる。
あるところも知っている。電波も信号も信じていないといったが、その役目と恩恵にまかせっきりになる。時差がそれほどないにもかかわらず、同じ朝という感覚は、それでも遠ざかってしまう。空はつづいているという事実も法則も無視して、別の空間の下で暮らしているという感覚が圧倒的に支配した。
休みのたびに会うということが、あんなにも幸福だったということをこの日々に教え込まれていた。ぼくはひとりでピカソの絵を見ている。難解というぼくへの挑戦は、はっきりといえば、ぼくのこの状況より難解ではなかった。彼は自由だった。ぼくは不自由だった。彼は愛するひとをたくさん変える。ぼくは、ひとりを愛しつづけようともがいている。まったくの反対にいるひとの絵を、ぼくはひたすら眺めている。希美は、この絵をどう思うだろうか。
次のピカソの絵は泣いている女性らしかった。題名はそう伝えていた。ぼくは希美が泣いている姿を思い出していた。ぼくに分からないようにして背中を向けていた。この絵の女性は泣くことを強烈にアピールしていた。画家はそのことを冷静に分析できるのだろう。普通ならば、泣いている女性がいれば筆などもたずに、なぐさめることになった。報道写真家も決定的瞬間を求める代わりに、いくつかの命を救うこと、また自分の命を危険にさらすことも避けられた。だが、使命のあるひとは、どう説得してもしないわけにはいかないのだろう。
ぼくは足の疲れをおぼえ、同じビル内の地下で冷えたいやに丈の高いグラスでビールを飲んだ。ぼくは、ひとりで休日を楽しむことを長くしてきたはずなのだ。だが、いまはどんなに不機嫌でもいいし、もちろん慟哭という言葉がぴったりくるぐらいに泣いたままでもいいので希美に会いたかった。すっぴんでもかまわない。パジャマでもよかった。ただ、目の前にいてほしかった。それを離れた相手に電話でいうのは今更、卑怯な気がした。言うならば出発を決める前に口に出すべきだったのだろう。ぼくは、大人ぶろうとした。大人というのはふところの広いことと同義語だった。相手に自分の気持ちを押し付けないことだった。その報いとして、ぼくはビールをお代わりする羽目になる。長いグラスは、もっと長く伸びたような印象を与えた。
ぼくは希美が好きそうな洋服を着ている女性の後ろ姿を見ている。彼女と髪形も似ていた。希美は髪を切る場所を見つけられるのだろうか。いっそ一度別れるという選択はあったのだろうか。もし、戻ってきたときにどちらもまたあの同じ状態をなつかしめば戻ればいい。だが、ぼくらはつづいている。ただ、身体も声もここにはないのだ。
ぼくはこの痛みを再度、味わうとは予想していなかった。スクーターの女性はこころから消えたのだ。おたふくやある種の伝染性の病気はいちどかかれば耐性というのか免疫というのかができるはずだった。ぼくは、このような状態から抜け切れる即効の薬が欲しかった。その役目にビールはなってくれなかった。ぼくはテーブルの濡れたグラスの底がつくった輪っかのいくつかを眺め、そこをあとにする。
円というのはそれだけで完全であるようにも思え、その完全さを主張することこそ、いびつなのだという矛盾した考えをぼくは階段をのぼりながら考えていた。ぼくは堂々巡りをしている。希美に似たひとは振り返ると、まったく似ていなかった。希美はひとりであるべきだ。ぼくが選んだ彼女の代わりはいなかったのだ。ぼくは、なぜだか息切れのようなものを感じていた。外にでる。無意味な大型電気店の店名とロゴを小さな声に出して呼んだ。歩き出すと、いくつものティッシュを受け取ることになる。ひとや会社は何かを宣伝し、売り上げや利益に結び付ける。ぼくには利益も得もなかった。希美がいないのに、あるはずもなかった。いや、見つけなければいけないのだろう。だが、どこに? 誰と。ひとりで。
戻るべきあの日。
希美がいなくなり、ぼくらの関係はつづいていたとはいえ、物理的な距離が間に挟まった。この距離の介在を無視できるほど、ぼくは精神的にできていなかった。ぼくは、はじめて希美に会ったときを追憶している。彼女は仕事の相手側の会社にいた。
その姿こそが重要だった。ぼくは内面など一切、知らなかった。徐々に世間話もするようになり、望んでいたことだったが交際することになる。いっしょの時間を過ごす。そこには必ず肉体が伴っていなければならない。ぼくらはまだ通信会社の宣伝を鵜呑みにして、かつ全面的に受け入れるほど、電波やシグナルを信じていなかった。対面することが親密さを増すには第一の、唯一のとっておきの方法だった。
年齢というものはとても重要だと仮定する。ひとは三才で結婚する相手を決めたりしない。そう宣言したこともあるかもしれないが生活の実感は無論、まったくない。自分も養われる存在で、ぐずって眠れなければあやされる立場なのだ。
何かがピークに向かい、いっしょにいたいというひとを探す。運よく巡り会う。相手も同じであってほしいと願う。話さなければ、ないと同然になってしまう。打ち明ける。返事は宙ぶらりんのまま、彼女の姿はなくなる。
あるところも知っている。電波も信号も信じていないといったが、その役目と恩恵にまかせっきりになる。時差がそれほどないにもかかわらず、同じ朝という感覚は、それでも遠ざかってしまう。空はつづいているという事実も法則も無視して、別の空間の下で暮らしているという感覚が圧倒的に支配した。
休みのたびに会うということが、あんなにも幸福だったということをこの日々に教え込まれていた。ぼくはひとりでピカソの絵を見ている。難解というぼくへの挑戦は、はっきりといえば、ぼくのこの状況より難解ではなかった。彼は自由だった。ぼくは不自由だった。彼は愛するひとをたくさん変える。ぼくは、ひとりを愛しつづけようともがいている。まったくの反対にいるひとの絵を、ぼくはひたすら眺めている。希美は、この絵をどう思うだろうか。
次のピカソの絵は泣いている女性らしかった。題名はそう伝えていた。ぼくは希美が泣いている姿を思い出していた。ぼくに分からないようにして背中を向けていた。この絵の女性は泣くことを強烈にアピールしていた。画家はそのことを冷静に分析できるのだろう。普通ならば、泣いている女性がいれば筆などもたずに、なぐさめることになった。報道写真家も決定的瞬間を求める代わりに、いくつかの命を救うこと、また自分の命を危険にさらすことも避けられた。だが、使命のあるひとは、どう説得してもしないわけにはいかないのだろう。
ぼくは足の疲れをおぼえ、同じビル内の地下で冷えたいやに丈の高いグラスでビールを飲んだ。ぼくは、ひとりで休日を楽しむことを長くしてきたはずなのだ。だが、いまはどんなに不機嫌でもいいし、もちろん慟哭という言葉がぴったりくるぐらいに泣いたままでもいいので希美に会いたかった。すっぴんでもかまわない。パジャマでもよかった。ただ、目の前にいてほしかった。それを離れた相手に電話でいうのは今更、卑怯な気がした。言うならば出発を決める前に口に出すべきだったのだろう。ぼくは、大人ぶろうとした。大人というのはふところの広いことと同義語だった。相手に自分の気持ちを押し付けないことだった。その報いとして、ぼくはビールをお代わりする羽目になる。長いグラスは、もっと長く伸びたような印象を与えた。
ぼくは希美が好きそうな洋服を着ている女性の後ろ姿を見ている。彼女と髪形も似ていた。希美は髪を切る場所を見つけられるのだろうか。いっそ一度別れるという選択はあったのだろうか。もし、戻ってきたときにどちらもまたあの同じ状態をなつかしめば戻ればいい。だが、ぼくらはつづいている。ただ、身体も声もここにはないのだ。
ぼくはこの痛みを再度、味わうとは予想していなかった。スクーターの女性はこころから消えたのだ。おたふくやある種の伝染性の病気はいちどかかれば耐性というのか免疫というのかができるはずだった。ぼくは、このような状態から抜け切れる即効の薬が欲しかった。その役目にビールはなってくれなかった。ぼくはテーブルの濡れたグラスの底がつくった輪っかのいくつかを眺め、そこをあとにする。
円というのはそれだけで完全であるようにも思え、その完全さを主張することこそ、いびつなのだという矛盾した考えをぼくは階段をのぼりながら考えていた。ぼくは堂々巡りをしている。希美に似たひとは振り返ると、まったく似ていなかった。希美はひとりであるべきだ。ぼくが選んだ彼女の代わりはいなかったのだ。ぼくは、なぜだか息切れのようなものを感じていた。外にでる。無意味な大型電気店の店名とロゴを小さな声に出して呼んだ。歩き出すと、いくつものティッシュを受け取ることになる。ひとや会社は何かを宣伝し、売り上げや利益に結び付ける。ぼくには利益も得もなかった。希美がいないのに、あるはずもなかった。いや、見つけなければいけないのだろう。だが、どこに? 誰と。ひとりで。