27歳-37
写真を見ながら電話で話していても、彼女の今日というものに嫉妬を覚えてしまった。希美の微笑みを誰かが一メートルも離れていないところから見て、素敵だなと思うかもしれない。小さな怒りで頬をふくらます様子を可愛さと等しく思うかもしれない。その架空の事実にすら嫉妬する。ぼくの希美はまるで動かなかった。
新しい場所。
新しい関係性。
見慣れない顔が増えた。もし、歓迎会でもあって、アルコールの作用で多少の酔いが生じれば、不図、淋しさに襲われ、誰かの温かさを求めるかもしれない。渇望という程度にまでそれは強く、かつ高められることはないかもしれない。しかし、永遠に遠ざけておくことも難しいからこそ、ぼくは遠い地で嫉妬を感じているのだ。
すると、ぼくはその身体に嫉妬を抱いているのだろうか。ぼくの横にその身体がないということが、ぼくの究極の困惑の原因であり、理由なのだろうか。
「ぼくはあてどなく町をさすらう」と頭に思い浮かべて悲劇の主人公のように歩いていた。森のようなビルの乱立のなか、ぼくは獣道さえ失ってしまった迷子のように途方に暮れていた。期限というのがぼんやりとありながらも、ぼくはその無性に長い期間をどう過ごしていいのかも判断できず、やり切れなさでいっぱいだった。
ぼくはいくつもの失恋の歌を口ずさむ。この感情が忘れていたぼくの十一年前の悲しさを容易に再現させるきっかけとなった。それは過ちをおかした自分への罰と結ばれた。ぼくから離れることを許したのだ。平気だと浅はかに考えていたぼくの無理解への罰だった。
ぼくは友人と酒を飲む。途中で新婚の妻が合流する。彼らの間には疑うことのない平和があった。ぼくのこころは時化ていた。大揺れだった。友人はふざけてぼくに新しい女性を紹介すると言った。妻は笑いながらもいやな顔をしてその提案をいさめた。ぼくは宙ぶらりんである。ただ、帰ってくるのを待つしかないのだ。その間に、彼女のこころも変わることなどないと宣言できるのだろうか。
そばにあるものに愛着を抱くようにできている。ショーケースのなかの新しいものを欲しても、手近なものに未練がある。こだわりもある。つづいてきた関係性もあった。子どもが手放せない汚れたぬいぐるみと似た気持ちだった。
だが、距離を置いてしまうとその愛着もほこりだけがただ目立った。揺り返しとして急に美点だけしか目に付かなくなる状況もあった。ぼくはショーウインドウ内のおもちゃを目にする。新しいものは、新しいという一点にこそ貴重な価値があった。
ぼくはその友人と、女性がとなりの席につく店に入った。彼の妻はこういうことに関してなぜだか寛大だった。その交渉はどこでどのように締結へと至ったのか、経験も薄い自分には分からなかった。友人はぼくの立場をおもしろおかしく女性たちに説明した。裏切られた男性。少し生活の排出に困っている男性。ひたすら待つということに忠実な番犬の複合体として。
「目の前にいてもらわないと絶対にダメだよね」と、派手な化粧をほどこした女性は言った。どんな見かけをしていたって真実は真実である。「目の前でしっかりとつかまえていてもらわないと」
結婚したばかりの友人は、もうひとりの女性と親しく話していた。同性からからすれば、たまに信頼に値しないほど重みのない彼だったが、異性はその短所を見抜けないのか、あえて盲目でいることを望んでいるのか、年齢によって聴きやすい音調が違うように性別によっても見える部分が別々なのだろうか、そのことを指摘されないままでいた。ぼくは、普通に判断に迷う。しかし、この場面では彼は勝利に甘んじ、ぼくは敗者の気持ちを多くなぞっていた。
彼女たちも仕事を終えて、次の店に四人で行った。その後、ぼくはタクシーにひとりの女性と乗り込む。ぼくは自分の家に帰る予定だった。予定というのは現実に近いもののはずだが、結果には差異が生じた。
その女性が化粧を脱ぐと、幼い少女があらわれた。ぼくは復讐する。希美に対して。自分に対して。この会ったばかりの女性に。あるいは未来の誰かに。だが、本音としては十六才の少女と、彼女と消えたあいつに対してだ。ぼくは、これぐらいに酔っていた。
「このこと、誰にも言わないよ。だから、言わないでね」と、その女性は言った。酔いが作った朦朧とした夜だった。それにしてはぼくの身体にさまざまなものが付着した。彼女の香水もそのひとつ。他にもたくさんのものがあった。
ぼくは希美がいない間に、このようなことを何度、繰り返すか予想した。多分、これが最後だったろう。縁を切るという考えも起こらないほどの一瞬のできごとだった。ぼくは純粋ということを忘れかけたものに変化する。これとまったく同じことが希美に起こらないとも言い切れない。可能性があるものは、つまりは可能なのだ。ぼくは言い訳を探す。探してふさわしければ正当化させる。正当だと思ったものが自分の脳に記憶される。これが一連の思考の流れだ。彼女はまた化粧をする。昼の日射しのなかで見ると、華やか過ぎた。ぼくは希美の顔を思い浮かべた。だが、もうどこかで違う。ぼくは余程、モナリザの方が希美の顔よりうまく描けると思っていた。そのぐらい、意味もないことに自信があふれていた。
写真を見ながら電話で話していても、彼女の今日というものに嫉妬を覚えてしまった。希美の微笑みを誰かが一メートルも離れていないところから見て、素敵だなと思うかもしれない。小さな怒りで頬をふくらます様子を可愛さと等しく思うかもしれない。その架空の事実にすら嫉妬する。ぼくの希美はまるで動かなかった。
新しい場所。
新しい関係性。
見慣れない顔が増えた。もし、歓迎会でもあって、アルコールの作用で多少の酔いが生じれば、不図、淋しさに襲われ、誰かの温かさを求めるかもしれない。渇望という程度にまでそれは強く、かつ高められることはないかもしれない。しかし、永遠に遠ざけておくことも難しいからこそ、ぼくは遠い地で嫉妬を感じているのだ。
すると、ぼくはその身体に嫉妬を抱いているのだろうか。ぼくの横にその身体がないということが、ぼくの究極の困惑の原因であり、理由なのだろうか。
「ぼくはあてどなく町をさすらう」と頭に思い浮かべて悲劇の主人公のように歩いていた。森のようなビルの乱立のなか、ぼくは獣道さえ失ってしまった迷子のように途方に暮れていた。期限というのがぼんやりとありながらも、ぼくはその無性に長い期間をどう過ごしていいのかも判断できず、やり切れなさでいっぱいだった。
ぼくはいくつもの失恋の歌を口ずさむ。この感情が忘れていたぼくの十一年前の悲しさを容易に再現させるきっかけとなった。それは過ちをおかした自分への罰と結ばれた。ぼくから離れることを許したのだ。平気だと浅はかに考えていたぼくの無理解への罰だった。
ぼくは友人と酒を飲む。途中で新婚の妻が合流する。彼らの間には疑うことのない平和があった。ぼくのこころは時化ていた。大揺れだった。友人はふざけてぼくに新しい女性を紹介すると言った。妻は笑いながらもいやな顔をしてその提案をいさめた。ぼくは宙ぶらりんである。ただ、帰ってくるのを待つしかないのだ。その間に、彼女のこころも変わることなどないと宣言できるのだろうか。
そばにあるものに愛着を抱くようにできている。ショーケースのなかの新しいものを欲しても、手近なものに未練がある。こだわりもある。つづいてきた関係性もあった。子どもが手放せない汚れたぬいぐるみと似た気持ちだった。
だが、距離を置いてしまうとその愛着もほこりだけがただ目立った。揺り返しとして急に美点だけしか目に付かなくなる状況もあった。ぼくはショーウインドウ内のおもちゃを目にする。新しいものは、新しいという一点にこそ貴重な価値があった。
ぼくはその友人と、女性がとなりの席につく店に入った。彼の妻はこういうことに関してなぜだか寛大だった。その交渉はどこでどのように締結へと至ったのか、経験も薄い自分には分からなかった。友人はぼくの立場をおもしろおかしく女性たちに説明した。裏切られた男性。少し生活の排出に困っている男性。ひたすら待つということに忠実な番犬の複合体として。
「目の前にいてもらわないと絶対にダメだよね」と、派手な化粧をほどこした女性は言った。どんな見かけをしていたって真実は真実である。「目の前でしっかりとつかまえていてもらわないと」
結婚したばかりの友人は、もうひとりの女性と親しく話していた。同性からからすれば、たまに信頼に値しないほど重みのない彼だったが、異性はその短所を見抜けないのか、あえて盲目でいることを望んでいるのか、年齢によって聴きやすい音調が違うように性別によっても見える部分が別々なのだろうか、そのことを指摘されないままでいた。ぼくは、普通に判断に迷う。しかし、この場面では彼は勝利に甘んじ、ぼくは敗者の気持ちを多くなぞっていた。
彼女たちも仕事を終えて、次の店に四人で行った。その後、ぼくはタクシーにひとりの女性と乗り込む。ぼくは自分の家に帰る予定だった。予定というのは現実に近いもののはずだが、結果には差異が生じた。
その女性が化粧を脱ぐと、幼い少女があらわれた。ぼくは復讐する。希美に対して。自分に対して。この会ったばかりの女性に。あるいは未来の誰かに。だが、本音としては十六才の少女と、彼女と消えたあいつに対してだ。ぼくは、これぐらいに酔っていた。
「このこと、誰にも言わないよ。だから、言わないでね」と、その女性は言った。酔いが作った朦朧とした夜だった。それにしてはぼくの身体にさまざまなものが付着した。彼女の香水もそのひとつ。他にもたくさんのものがあった。
ぼくは希美がいない間に、このようなことを何度、繰り返すか予想した。多分、これが最後だったろう。縁を切るという考えも起こらないほどの一瞬のできごとだった。ぼくは純粋ということを忘れかけたものに変化する。これとまったく同じことが希美に起こらないとも言い切れない。可能性があるものは、つまりは可能なのだ。ぼくは言い訳を探す。探してふさわしければ正当化させる。正当だと思ったものが自分の脳に記憶される。これが一連の思考の流れだ。彼女はまた化粧をする。昼の日射しのなかで見ると、華やか過ぎた。ぼくは希美の顔を思い浮かべた。だが、もうどこかで違う。ぼくは余程、モナリザの方が希美の顔よりうまく描けると思っていた。そのぐらい、意味もないことに自信があふれていた。