16歳-37
ぼくが実際にこの目で見なかったものまでが、ほんの一瞬でも、頭に浮かばせたという理由だけで、いとも簡単にぼくを責め立てる。真相は、「ほんの」という程度のごく短く、そして、細切れの時間ではない。もっとこの頭のなかには長い間、映像としてたゆたい、底に沈むことなく泳いでいた。それこそ、疑いを起こさせること自体が犯行に匹敵する為なのか、原因や動機の追究のためなのか分からないが、胸にいぶった炎がまだあったので、無限の追及から、死にもの狂いの脱走兵のように逃げる手段も機会も逸したのだろう。こんな事態から、許しも自由も、誰も与えてはくれなかった。
ある映像。いくつかの積もった姿。
左利きの女性をその後、何人か見た。ぼくは当然、ぼくの彼女と結びつけない訳にはいかなかった。捜査線上の証拠はこの左利きというひとつのことだけなのだ。彼女は選ばれた側のひとだと大げさに考えるように関連付ける。それは半数(男女比)のさらに半数以下のひとびとの小さな集団、群れなのだ。
ある飲食店で給仕をしてくれる女性の振る舞い。左手でお玉をつかみ、スープをよそう仕草。それは世界に挑まれている姿だった。大多数がルールを自分たち用に決める。少数派は世間に不平を言う価値も役割もあるのに、この女性は自分自身に信頼を置くことができている。そして、黙って甘受するのも厭わない。ぎくしゃくともせず、まるで優雅な作法を身に着けているようだ。ぼくは反対に些細なことで、不満をもらした。このひとつのモデル例をとっても、ぼくにはとても生きやすい世界なのに。マジョリティの傲慢さとちっぽけな優越感。
ぼくは左利きの女性の信奉者になる。いや、求心力にあらがえない。
もうひとつ加える。髪の短い女性。飾りを華美にしなくても素材だけで勝負できる側のひと。シンプルなエレガントさ。
ぼくの十六才のたったひとつの選択がその後の生活まで影響するようになる。偶像としての、左利きのショート・ヘアのひと。
しかし、あの十六才のときのぼくの気持ちなど簡単に思い出すことはできない領域に入ってしまっていた。カギも壊れているとあきらめていたが、ぼくの前にずっと後になってあらわれた女性によってあの気持ちをかき立てられたのだ。こうして物語の三分の一として仕立てあげることも可能になった。
不思議な会話。
ぼくはその後、その封印していたはずの扉を開くきっかけになった女性と世間話をするようになる。面影も背丈もよく似ていた。十六才のときにもし別れていなければ、ぼくの前に二十代の前半の女性になったときに、こういう成長を果たしたのだという確定の姿を教えてくれた。仮にという状態を決して越えない確定の範囲なのだが。
「いちばん好きな映画って?」
彼女はある映画の名前を上げる。その年代の子が見る映画でもなかった。ずっとむかしの記憶に埋もれてしまった映画。だが、ぼくはびっくりする。それは、ぼくがあの最後のデートの日に見たものだったのだ。ぼくは秘密を固く封鎖していた。誰も暴きに来たりはしないが、あの日々の記憶はぼくだけが所有するもので、アクセスの権利もぼくのみが許されていたのだった。
「かなり古いものだよね?」
ぼくは平然とした振る舞いをする。そういえば、オレも、見たことあったっけかな、という軽い感じで。そして、彼女は突然バイトを辞めると宣言して、ぼくの前から消えそうになる。その日は、偶然にも、ぼくの最後のデートの日だった。あの寒い渋谷の日だった。この長くつづったことを書かそうとする力をぼくは感じる。ぼくの歓喜と恥と後悔がクリームとしてつまったパンのコロネのような物語を。
しかし、三人以外の女性の要素を排除しなければならない。彼女と希美と絵美以外は。ピラミッドを他の場所に建ててはいけない。
愛は変わるのだ。それを否定するように愛をピンで止めるのだ。その模索がこの物語なのだ。
ぼくは苦手だった理科の時間をいまになって思い出している。幼虫とさなぎと成虫というある命にとっては避けて通れない異なった段階のことを。彼女らをむりやりにそれに当てはめようとする。不可能なことはいちばんぼくが知っている。彼女らはそれぞれの段階と役割で魅力的だった。ぼく自身がその変態の過程をゆっくりと経てきたのだ。自分の気持ちを大っぴらにしないで、地味にうごめく虫のような存在として。最後に蝶にもならないし、羽ばたかないことも自分は説明もいらないほどに知っていた。解明や弁解の余地もない。
誰かは誰かに似る。そのことすら許そうとしない。だが、彼女に似ているひととの一瞬の邂逅で、ぼくは居なくなった彼女をパズルでも組み立てるように再現しようとしてしまう。ピラミッドの石の破片で年代を計算できる研究者のように。訓練も鍛錬も考古学の知識もいらずに、自己流という溢れる自信だけなのに、権利だけは主張する。左利きのひともいなくならない。髪の短い女性など無数にいる。その組み合わせは、いったいどれほどの数なのだろう。ぼくの握りつかんで手放さない思い出と、どちらが多いのだろう。どこかの部分が一致するにせよ、しないにせよ。
ぼくが実際にこの目で見なかったものまでが、ほんの一瞬でも、頭に浮かばせたという理由だけで、いとも簡単にぼくを責め立てる。真相は、「ほんの」という程度のごく短く、そして、細切れの時間ではない。もっとこの頭のなかには長い間、映像としてたゆたい、底に沈むことなく泳いでいた。それこそ、疑いを起こさせること自体が犯行に匹敵する為なのか、原因や動機の追究のためなのか分からないが、胸にいぶった炎がまだあったので、無限の追及から、死にもの狂いの脱走兵のように逃げる手段も機会も逸したのだろう。こんな事態から、許しも自由も、誰も与えてはくれなかった。
ある映像。いくつかの積もった姿。
左利きの女性をその後、何人か見た。ぼくは当然、ぼくの彼女と結びつけない訳にはいかなかった。捜査線上の証拠はこの左利きというひとつのことだけなのだ。彼女は選ばれた側のひとだと大げさに考えるように関連付ける。それは半数(男女比)のさらに半数以下のひとびとの小さな集団、群れなのだ。
ある飲食店で給仕をしてくれる女性の振る舞い。左手でお玉をつかみ、スープをよそう仕草。それは世界に挑まれている姿だった。大多数がルールを自分たち用に決める。少数派は世間に不平を言う価値も役割もあるのに、この女性は自分自身に信頼を置くことができている。そして、黙って甘受するのも厭わない。ぎくしゃくともせず、まるで優雅な作法を身に着けているようだ。ぼくは反対に些細なことで、不満をもらした。このひとつのモデル例をとっても、ぼくにはとても生きやすい世界なのに。マジョリティの傲慢さとちっぽけな優越感。
ぼくは左利きの女性の信奉者になる。いや、求心力にあらがえない。
もうひとつ加える。髪の短い女性。飾りを華美にしなくても素材だけで勝負できる側のひと。シンプルなエレガントさ。
ぼくの十六才のたったひとつの選択がその後の生活まで影響するようになる。偶像としての、左利きのショート・ヘアのひと。
しかし、あの十六才のときのぼくの気持ちなど簡単に思い出すことはできない領域に入ってしまっていた。カギも壊れているとあきらめていたが、ぼくの前にずっと後になってあらわれた女性によってあの気持ちをかき立てられたのだ。こうして物語の三分の一として仕立てあげることも可能になった。
不思議な会話。
ぼくはその後、その封印していたはずの扉を開くきっかけになった女性と世間話をするようになる。面影も背丈もよく似ていた。十六才のときにもし別れていなければ、ぼくの前に二十代の前半の女性になったときに、こういう成長を果たしたのだという確定の姿を教えてくれた。仮にという状態を決して越えない確定の範囲なのだが。
「いちばん好きな映画って?」
彼女はある映画の名前を上げる。その年代の子が見る映画でもなかった。ずっとむかしの記憶に埋もれてしまった映画。だが、ぼくはびっくりする。それは、ぼくがあの最後のデートの日に見たものだったのだ。ぼくは秘密を固く封鎖していた。誰も暴きに来たりはしないが、あの日々の記憶はぼくだけが所有するもので、アクセスの権利もぼくのみが許されていたのだった。
「かなり古いものだよね?」
ぼくは平然とした振る舞いをする。そういえば、オレも、見たことあったっけかな、という軽い感じで。そして、彼女は突然バイトを辞めると宣言して、ぼくの前から消えそうになる。その日は、偶然にも、ぼくの最後のデートの日だった。あの寒い渋谷の日だった。この長くつづったことを書かそうとする力をぼくは感じる。ぼくの歓喜と恥と後悔がクリームとしてつまったパンのコロネのような物語を。
しかし、三人以外の女性の要素を排除しなければならない。彼女と希美と絵美以外は。ピラミッドを他の場所に建ててはいけない。
愛は変わるのだ。それを否定するように愛をピンで止めるのだ。その模索がこの物語なのだ。
ぼくは苦手だった理科の時間をいまになって思い出している。幼虫とさなぎと成虫というある命にとっては避けて通れない異なった段階のことを。彼女らをむりやりにそれに当てはめようとする。不可能なことはいちばんぼくが知っている。彼女らはそれぞれの段階と役割で魅力的だった。ぼく自身がその変態の過程をゆっくりと経てきたのだ。自分の気持ちを大っぴらにしないで、地味にうごめく虫のような存在として。最後に蝶にもならないし、羽ばたかないことも自分は説明もいらないほどに知っていた。解明や弁解の余地もない。
誰かは誰かに似る。そのことすら許そうとしない。だが、彼女に似ているひととの一瞬の邂逅で、ぼくは居なくなった彼女をパズルでも組み立てるように再現しようとしてしまう。ピラミッドの石の破片で年代を計算できる研究者のように。訓練も鍛錬も考古学の知識もいらずに、自己流という溢れる自信だけなのに、権利だけは主張する。左利きのひともいなくならない。髪の短い女性など無数にいる。その組み合わせは、いったいどれほどの数なのだろう。ぼくの握りつかんで手放さない思い出と、どちらが多いのだろう。どこかの部分が一致するにせよ、しないにせよ。