爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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11年目の縦軸 38歳-38

2014年07月17日 | 11年目の縦軸
38歳-38

 絵美のすべてを憶えておきたいと思っている。一挙手一投足。あらゆる形状。

 物忘れがはびこる年代にはまだ早過ぎた。でも、生活のなかで忘れてしまったものも多くある。忘れた事実も忘れる。だから、本当は忘れていないともいえる。

 約束や記念日を覚えていないと注意され、男性は自分の大ざっぱさに気付かされる。あのときは、ああ言ったと台帳を調べられるように過去のひとことを押さえられた。昨日のぼくからも自由でありたいという自分の願いは絵美の前では許されなかった。彼女はぼくのことやふたりのことを必死に憶えておきたいと始終、考えつづけているわけでもないのだろう。だが、細かな部分の情報をもっていた。ぼくはすべてを自分の掌中につかんでおきたいとの願望がありながら、細切れな部分はまったくあやふやだった。

 昨日の新聞やニュースの内容を忘れ、口にしたものも忘れる。やりかけの仕事は別の緊急な仕事の陰で、むっつりと黙ったまま、ぼくの記憶の奥でひざを抱えて座っている。反対に時間の作用の影響を受けずに、立ち止まるものもいる。砂時計の中味が重力にさからい、上に吸い込まれるように。

 ぼくと絵美はテレビでクイズ番組を見ていた。あの当時はみなが話題にしたものも時間が経てば自然の淘汰を避けられないことを知る。名前を思い出せない元有名人。大金を思いがけなく拾った人。金メダルを公共の場所に忘れるひと。みな、した(あるいはしない)ことは覚えていても、名前という個人を特定する分類までは到達しなかった。ぼくは絵美をそういう境地には決して置かないだろう。ある面では身近過ぎ、ぼくはその名前を自分の声で何度も呼んだ。彼女はその響きを聞き、振り返った。これまで忘れてしまったら、それこそ人間失格だろう。

「覚えてないもんだね!」

 と、感嘆のような、同情のような、嘆きのような声を絵美はもらした。ぼくは火の粉がふりかかる、という表現を思い出す。ぼくの記憶はゆるやかな下降の段階に入ってしまった。

 それだけが理由でもない。男性と女性の差もあった。もちろん、個人の得意や不得手という問題も加味された。

 ぼくらはクイズの答えを聞き、分かったような気になったが、明日にでもなれば、また忘れてしまうだろう。もう、重要ではないのだ。ぼくらの若いときは友人たちの電話番号を覚える理由があった。いまは、ひとつの器械を持ち歩く億劫と便利さを引き換えに、番号からも自由でいられる。

 写真は思い出をある形で保存するが、生身の人間の肖像を必要ないと宣べるほど有効ではなかった。もう行けない場所の景色や、いなくなった人間の当時の映像とかをまかなうことはできる。だが、現在という観点こそがいちばん重要であった。

 そして、ぼくは絵美の一挙手一投足を憶えておこうと願っている。憶えているのは会っていた状態のことや、会話した内容のことだ。不機嫌なときもあれば、上機嫌な時間もある。その感情も憶えておく必要ができる。しかし、時というのは忘却に傾いている。坂の下の方に忘却の部屋がある。

 だが、ぼくはその部屋を漁っている。中からは当然、絵美以外のものも含まれているので意図せずに引っ張りあげられる。腐敗も劣化もない。見事に当時のままの状態を保っている。色褪せないものたち。

 ぼくは忘れている。希美を送った成田のあとのあの女性を。忘れようと努力したことも、忘れまいと執拗に暗記帳に書き込んでめくった覚えもない。でも、いま不図、思い出している。先ほどのクイズに出題された人々のように。

 手順は忘れない。靴のひもの結び方も忘れない。ネクタイも結べる。自転車にも乗れる。体得したものは、減らすことも消し去ることもできない。名前や思い出が忘れられる運命にある。すると、ぼくは絵美をそういう分野から解放する必要がある。

 無駄な努力をいくつも考える。

 今日も新たな情報を入手する。これも記憶の一部になる。ついでに過去の一部を忘れないようにと計画して、実行しようとしている。ふたつの別々の流れが同じ脳でどう区分けされているのかぼくには分からない。一度、覚えたものをなぜ忘れてしまうのだろう。ぼくは二次関数が解けるかどうか想像する。ぼくはあれでなにを導き出そうとしていたのだろうか。

 何年もデパートの洋服売り場で働いたひとが、大体のサイズの見当をつけることを不得意とすることはないだろう。視力を測る電子機器はおおよその数値を当てる。それは数々のデータを通過し、インプットした結果なのだ。ぼくは無数のデータを欲しているわけではない。いまはこの絵美の分だけでいいのだ。そのひとつですらぼくには困難なようだった。

 彼女の生まれた年を口にする。その当時、ぼくは何才だったかも直ぐに浮かぶ。ふたりは会わないということもあり得た。だが、会った。会うまでにどれほどの日数が過ぎ、その日々を越えるには、ぼくらはそれぞれどの年齢になるのか計ろうとした。ふたつの数字が重なる。これが関数なのか。ぼくには分からなかった。ぼくも、絵美もグラフの上にはいなかった。碁盤上の四角いものではなく、さまざまな角度でぼくらはできていた。まっすぐに見える絵美の髪の毛一本も、詳しく見つめると、ゆるやかに曲がっていた。黒と思っているものも、もっと違う表現ができそうな色だった。