爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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11年目の縦軸 38歳-36

2014年07月11日 | 11年目の縦軸
38歳-36

 戻りたくないあの日。

 そういう日々が自然と増えていく。せめて片手の指の数ぐらいで収まってほしい。

 失敗など一回もしないということは不可能だ。何度も同じ過ちを繰り返すというのも愚かだった。しかし、人間はどちらかをする。いや、どちらもするというのが普通だ。誰かを好きになり、いずれ別れてしまうということまで愚かと定義してしまうには極端すぎ、景色としても途中の道は華やかだった。失恋を考慮に入れて恋などしないが、あれも含めて好きになってしまった褒美と土産だった。

 褒美だろうが戻りたくない日々なのは変わらない。

 恥ずかしさ。言わなければよかった言葉。口にするべきだった一言。謝るタイミング。怒りをおさめる機会。自らの怒りからも手を引く。

 ぼくはまじめすぎる過去をなつかしんでいる。いまは、もっと無頓着になり、図々しく変貌し、厚顔になった。なれないと思っていた厚かましさも悠然と手に入れた。堂々とその厚顔さを披露した。

 戻りたくても戻れないし、戻りたくなくても、どう足掻いてもあの日に再び帰れないことは知っていた。気持ちだけがその過去に縛られている。だが、それが両方とも同じことだとは思えなかった。意図していることと、冷や汗をともなうもの。

 絵美の体温を感じている。布団のなかでつるりとした足が絡んでいる。あの日も、この日もない。この瞬間だけが正解だった。ぼくのひげは伸び、絵美のおなじくすべすべの腕に微小な痕跡をのこす。横にいてくれるだけでぼくは大満足だった。別の誰かを探す必要もない。やり直しの二回目の告白に戸惑い、ためらう青年でもない。ぼくは自分をコントロールでき、悲しみの袋もいくらか干上がってしまった。みな、若くて元気だからできたのだ。悩みも悲しみも存分に味わう新鮮な若さがぼくにはあったのだ。もう、遠くに生き別れた弟を感じるように、ぼくはその過去の日々のあれこれを復唱していた。

 十六才のあの日。ぼくは彼女とぼくの同級生(後釜)が店を出た後、行きそうな場所を探した。ぼくにそうする権利はあったのだろうか? あれも、若いからためらいもなく行動できたのだ。恥も見栄もなかった。ただ彼女を取り戻したかった。ぼくらの世代に純潔などという言葉は、もうなかった。概念も意味も、すべて絶滅した古代の動物たちのようなものだった。ぼくは、そして、もし取り戻したら責めないでいられただろうか。放さないということを躊躇しなかった自分に、理屈も何も通らない。自分勝手の権化なのだ。

 ぼくは絵美の腕をさすり、トイレに立ちあがった。いつもと違う芳香剤の匂いがしたが、実際には殺風景なトイレのままで、棚にも数個のトイレット・ペーパーがむきだしに置いてあるだけだった。ぼくは水の音を聞く。それから、レバーをひねった。

 カーテンからもれる微かな日差しが絵美の足首あたりにあたっていた。ぼくはその部分を毛布で覆い、自分もその横に身体をすべり込ませた。

「何時?」

 ぼくは十六才の彼女を探した。ついに居なかった。もし、見つけていたら、どうなっていたのだろう。ふたりの男性を天秤にする彼女。ぼくが断られていたら、あの時以上に立ち直る早さが遅くなっていたかもしれない。だが、ぼくはもう立ち直っていた。古びた表現ならば、十度のカウントの前には立ち上がり、顔の傷も素早く治療されたのだ。

「そろそろ六時だよ」
「夜中、地震あったね?」
「気付かなかった」
「信じられない。でも、そうだと思った。ぐっすり寝てたから」

 これが、ぼくの到着点。神経も鈍麻し、なにも気付かない。すべては昨夜のできごと。過ぎ去ったものを評価し、分類して仕舞うだけ。

 彼女はあの夜のぼくがとったみじめな行動を知らないままで死ぬのだろう。そんなに夢中になったひとがいたことも、もう忘れているかもしれない。総じて、女性などそういう生き物なのだ。ぼくだけが過去に行ける扉をいまだに大切にもっているのだ。みな、そんな扉があることすら知らないのだろう。

「もっと、大きな地震だったら、どうしてた?」ぼくは、眠りの入口を失っていた。
「ひとりで、隣で寝ているひとは置いて逃げた」
「後悔するよ。ずっと」
「後悔しないひとなんて、ひとりも居ないよ」
「いるよ、ぼくとか」
「うそばっかり」

 十六才の少女は、ぼくの同級生の横で目を覚ます。もしかしたら、年齢的に夜通し過ごすことなど許されなかったのかもしれない。どこかで服を着込み、家まで送られて別れる。

「うそじゃないよ」
「だって、未練ぽい寝言、言ってたよ。未練ていうのは現在じゃないんだよね」

 真理を発見したように絵美は目を輝かせていた。

「絵美の寝言もきこえたよ」
「なんて?」
「オムライス、食べたいなって」
「食いしん坊」

 もう空は、朝のうららかという段階を辞めようとしていた。ぼく自身もそうだった。十六才が正午前なら、いまは何時ぐらいなのだろうかと考えていた。夕日に映える海岸というものを美しく感じる理性。今日あたり、もしくは今度の休日あたり、絵美と見に行ってもいいと考えていた。その時刻に着くには、朝の早い時間に出た方が思う存分、楽しめるだろう。
コメント
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