爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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11年目の縦軸 16歳-38

2014年07月15日 | 11年目の縦軸
16歳-38

 彼女のことを忘れなければならない。過去を葬る努力をはじめなければならない。うっかりでも常習的にでも忘れるということは善の側には常にいなかった。これまでに起こったなにかを忘れて叱られた体験を思い出す。宿題や絵の具や音楽の授業で用いる笛を忘れ、注意される。家に電話して学校までもってきてもらうよう叱責される。忘れるということは不注意の結晶であり、いつでも誤りの領域にあった。今度は、まったく反対のことをしなければならない。ぼくの生存は、彼女を忘れることを要求しているし、必須だった。

 だが、つい先日までぼくの一部以上のものだったのだ。それを簡単に忘れるなんて。

 代理という考えも入り込む。ぼくはバイトの帰りに、コンビニエンス・ストアに寄る。レジにいるのは一学年下の女性だった。小柄な身体。エネルギーがみなぎっているような溌剌さ。ぼくは缶の紅茶を買う。充分に雑誌を立ち読みしたあとに。デート・コースや会話の方法など、いまさら仕入れるには遅過ぎたのに。ぼくはお金を払う。この子でも、間違いではないのではないのだろうか。もう、ぼくの目から見ても子どもではない。

 彼女はソフトボールをしていた。ぼくは下から投げる球が意外と早いのに驚く。野球の劣化版という態度では、バットで前に運ぶことすらむずかしかった。その女性。遊びでピッチャーをしてくれた。

 だが、もし仮に、前の彼女が万が一でもやり直したいと思ってくれたときに、ぼくの身体もこころも、誰のものでもなく、絶対的に自由であるべきなのではないのだろうか。いまの継続の関係をすんなりと終わらす手間すらあってはいけなかった。束の間の猶予も。そこを通過することは新しい相手にも失礼にあたるのだ。サブスティチュート。代理。野球やソフトボールなら代打は正式なルールの範囲だった。しかし、この場合は確実に違う。

 だからぼくには新たな関係を見つけて育んだり、構築することは許されなかった。忘れようと努力することも解決にと道は通じていなかった。まっすぐでも、曲がりくねっていなくても。

 ぼくは一学年下の卒業アルバムを借り、別の女性にも目を留めた。彼女らも高校生になる。垢抜けない制服の少女たちではもうなかった。その姿をぼくは駅で目にした。もちろん、ほんとうに出会いたかったのはひとりの女性だけであったのに。

 ぼくはアルバムのなかに書かれている電話番号をメモする。そして現物は返した。自分にチャレンジする能力があり、多分、本気にならなくても交際のスタートぐらいには立てるだろうという確信のない自信があった。それを証明する機会を設けようともせず、ぼくは手足をもがれたひとのように傷を隠せないでいた。隠せないのは自分自身だけで、この胸中の葛藤を友人も、もちろん以前の彼女も知らないでいるのだろう。このアンバランスさは、どこかでひとを遠ざけ、自分を気難しい人間へとその後、導いた。だが、それはもっと遠い未来であり、ただ種だけがここで蒔かれていた。さらに、ぼくは水を与えつづけた。日陰でもそれは充分に育った。

 こうして被害者のフリをしている。あまりにも居心地が良いので。

 ぼくは、同じ年から選ぶということをまったくしないことに数十年経ったいまになって気付かされている。ライバルだったチームからトレードしたひとをブーイングする観客のことを思いだす。ぼくが、もし彼女以外の同年齢のひとを見つけたら、ぼくの耳にはそうしたノイズが激しく、厳しく、こだまするだろう。

 どれも思案と模索で終わる。代理などなかった。だが、災害でもあれば線路のうえの障害物は直ぐに取り除かれ、通行を再開する。ぼくも、きっとそうするべきだったのだろう。模造のダイヤだって、偽のブランド品だって愛着をもてば、本物より好きになることもあるのだろう。あとは自分の気持ちだけが問題だった。

 ぼくは付き合いもしなかった少女たちをいまになって傷つけようとしている。だが、当時、ぼくは代わりだと言って傷つけた訳ではなかった。しかし、同等の罪と悪意がある。誰かを好きになった報い(あるいは、報われないもの)がこれだった。この状態から早く抜け出したかった。

 ぼくは待っている。待つということが恒久的になっている。携帯電話がない時代で良かった。そのなかに電話番号やアドレスがあれば、我慢という火あぶりにも似た事実を胸に突き付けられので、これも地獄にも等しかったろう。ぼくは家の電話にかかる電話を四六時中、待つことなど決してできない。家にいつづけることは不可能で、友人たちと夜通し遊ぶことも多かった。

 彼らもそれぞれ愛を見つける。何度目かもある。ぼくだけが二度目がない。夜が長すぎる。月の領分も多すぎる。橋の上で別の年下の女性を見かける。いつの間にか大人に成りかけていた。そして、重要なこととして、いつの間にかぼくの彼女と似た容貌をもちはじめていた。代理になりそうだった。次の打者としてサークル内で素振りも充分に果たしたかもしれない。ぼくは失礼なことをずっと考えている。ぼくは生きなければならなかった。どうしても、生き延びなければならなかった。そこには忘却が絶対に必要だったのだ。そして、自分でもとっくに知っているのだが、絶対に忘れることなどできるはずもなかった。忘れるなどはあってはいけないのだ。だから、低空飛行のまま軌道に乗らずに間違った行路を、ぼくはずっと、たゆまず、ずっと、進んでいった。