38歳-40
渇望というものが自分のなかに見当たらず、一切、なくなってしまった。妥協と調整の複合で体内は占有されており、平均値の産物と化す。
鮮烈ということに憧れをいだいたこともあったような気がした。センセーショナルと言い換えてもいい。だが、そうした日々はもう来ないし、よくよく考えれば一度もないようだった。それは疲れをともなうだけのもののような気もする。疲れはなるべく避けたかった。すると、変化もない方がいいと判断する。日々も小さな些末な変更すらいやがるようにもなる。極端に考えれば。だから、結婚も同棲も、もう自分にとってふさわしいものではない。大きく変わるのは常に悪なのだ、と思考は求める。悪までいかなくても、好ましくはない。
だが、ほんとうにそうであろうか。それほど、臆病になってしまったのだろうか。今後もチャレンジを打ち消す作業に忙殺するのか。もうこうなると自分自身ではないようだった。無我夢中もなくなり、小手先で解決する。経験はあらゆることに対処できる。また対処できることしか巡ってこない。こうして若さを失ってしまう。若さははじめてすることの連続だった。そのひとつひとつの山をどうやら切り抜け、成長してきた。成長というのは怠惰の状態を、横たわることを許すための賭けだった。賭け金が戻ってくれば、やはり安泰という体たらくに舞い戻った。
もう一歩、思考を戻せば、結婚も同棲も過去のあの日々に終えておくべき事柄だった。真冬にひまわりは咲かないし、あじさいはあの雨とともに終わった。ぼくは雪かきの道具を準備するべきなのかもしれない。しかし、それも早過ぎた。準備も雪が降ってからで遅くないのだろう。売り切れてもかまわない。売り切れというのも何度か味わったが、そう悪いものでもなかった。流通するのは余剰か、品切れしか身分として与えられないのだ。ぼくのエネルギーも減少していく。スタンドのような場所で簡単に給油することもむずかしかった。
渇望がない。欲しくて胸が苦しくなることがない。同時に失ってそれほど困ることもない。ぼくはすべてのものをこの立場に置く。もうぼくに必要なくなったものしか、失われない。だから、なくすものは、その直前から段々とぼくのものではなくなりはじめていたのだ。別のふさわしい居場所を探す。これは恋には当てはまらないかもしれないが、達観した気持ちが入りだすのも大人への証しだった。
なくす過程に入っていた。手放さないと新しいものもなく、中古店は手放したものも別の誰かには貴重な品であることを痛切に教えてくれる。
ぼくはレコード屋で長年、欲しかったものを手にした。むかしほど、暇もお金もかけないが、たまに入った店で偶然、目にしてレジに運ぶのは楽しかった。店の外での足取りも軽く、早く流れる音を聞きたかった。この前向きな感情は久しぶりのようであった。だが、これも誰かが手放さないと生じない事柄だった。
ひとは物ではない。だが、仕事を変えるのは究極的には罪ではなかった。スポーツで違うチームに移るのも悪いことではない。活躍する場は需要と供給でも決まるのだ。恋というものが入り込むと一気に複雑になる。愛は、育んだからこそ貴重なものになったのだ。いくつかの試練を乗り越え、頑丈になったのだ。鉄のチェーンで組み合わさったような強固なものとなる。ぼくはまだ幻想を抱いている。
「レコード?」
と、あきれたように絵美が言う。ぼくは、古臭いものを収集したいわけではない。この数年間だけでも楽しませてくれるものを求めているのだ。時期がくれば手放すこともあるだろう。飽きもあれば、金銭の必要をまかなうために売ることもある。喪失の悲しみも忘れてしまう。ぼくの耳はその音楽を覚えている。あるいは、音楽を聴いた状況を覚えている。そのため込んだ景色がすなわちぼくだった。
ぼくは自宅に帰り、いくつかの電源のボタンを押す。レコードを取り出す。ゆっくりと回転する。見た目にも傷はない。針の落ちる音。スピーカーはただの箱であることを辞める。全身に信号を通して空気中に波を送る。
ぼくは冷蔵庫を開け、ビールを取り出した。絵美はベッドの端にすわり、電話をいじっていた。そして、ひとりで笑う。ぼくはこの音楽が彼女に伝わっているのか分からなくなる。熱心に聴こうと思わなければ、ただのノイズ。いや、まじめに聞こうとしても望んだものでなければ、こころは動かないのだ。たくさんの音楽。たくさんの感動。たくさんの女性。そのなかのトップ・クラスの三人の女性。それはぼくにとってのという注釈がいる。女性だけではない。すべてのことにとって、ぼくのという注釈が太文字でもなく刻まれているのだ。
半分が終わる。ぼくは裏側を聴こうと思ったが、絵美が覆いかぶさり、ぼくが裏側になった。もしかしたらこの状態は表かもしれない。スピーカーはまたもとの箱になった。黙っていれば、大きめの役に立たない家具に過ぎない。タンスの用途にもならず、皿も靴もしまえない。だが、自信もありそうだった。これを所有している年月は意外と長かった。この絵美よりも関係が深いものだった。あの前の女性のときもここにいた。おとなしく自分から能動的に自己主張しないが、ぼくが音源を引っ張り出せば、常に忠実に応えてくれた。これこそが、愛すべきもののような気もした。
渇望というものが自分のなかに見当たらず、一切、なくなってしまった。妥協と調整の複合で体内は占有されており、平均値の産物と化す。
鮮烈ということに憧れをいだいたこともあったような気がした。センセーショナルと言い換えてもいい。だが、そうした日々はもう来ないし、よくよく考えれば一度もないようだった。それは疲れをともなうだけのもののような気もする。疲れはなるべく避けたかった。すると、変化もない方がいいと判断する。日々も小さな些末な変更すらいやがるようにもなる。極端に考えれば。だから、結婚も同棲も、もう自分にとってふさわしいものではない。大きく変わるのは常に悪なのだ、と思考は求める。悪までいかなくても、好ましくはない。
だが、ほんとうにそうであろうか。それほど、臆病になってしまったのだろうか。今後もチャレンジを打ち消す作業に忙殺するのか。もうこうなると自分自身ではないようだった。無我夢中もなくなり、小手先で解決する。経験はあらゆることに対処できる。また対処できることしか巡ってこない。こうして若さを失ってしまう。若さははじめてすることの連続だった。そのひとつひとつの山をどうやら切り抜け、成長してきた。成長というのは怠惰の状態を、横たわることを許すための賭けだった。賭け金が戻ってくれば、やはり安泰という体たらくに舞い戻った。
もう一歩、思考を戻せば、結婚も同棲も過去のあの日々に終えておくべき事柄だった。真冬にひまわりは咲かないし、あじさいはあの雨とともに終わった。ぼくは雪かきの道具を準備するべきなのかもしれない。しかし、それも早過ぎた。準備も雪が降ってからで遅くないのだろう。売り切れてもかまわない。売り切れというのも何度か味わったが、そう悪いものでもなかった。流通するのは余剰か、品切れしか身分として与えられないのだ。ぼくのエネルギーも減少していく。スタンドのような場所で簡単に給油することもむずかしかった。
渇望がない。欲しくて胸が苦しくなることがない。同時に失ってそれほど困ることもない。ぼくはすべてのものをこの立場に置く。もうぼくに必要なくなったものしか、失われない。だから、なくすものは、その直前から段々とぼくのものではなくなりはじめていたのだ。別のふさわしい居場所を探す。これは恋には当てはまらないかもしれないが、達観した気持ちが入りだすのも大人への証しだった。
なくす過程に入っていた。手放さないと新しいものもなく、中古店は手放したものも別の誰かには貴重な品であることを痛切に教えてくれる。
ぼくはレコード屋で長年、欲しかったものを手にした。むかしほど、暇もお金もかけないが、たまに入った店で偶然、目にしてレジに運ぶのは楽しかった。店の外での足取りも軽く、早く流れる音を聞きたかった。この前向きな感情は久しぶりのようであった。だが、これも誰かが手放さないと生じない事柄だった。
ひとは物ではない。だが、仕事を変えるのは究極的には罪ではなかった。スポーツで違うチームに移るのも悪いことではない。活躍する場は需要と供給でも決まるのだ。恋というものが入り込むと一気に複雑になる。愛は、育んだからこそ貴重なものになったのだ。いくつかの試練を乗り越え、頑丈になったのだ。鉄のチェーンで組み合わさったような強固なものとなる。ぼくはまだ幻想を抱いている。
「レコード?」
と、あきれたように絵美が言う。ぼくは、古臭いものを収集したいわけではない。この数年間だけでも楽しませてくれるものを求めているのだ。時期がくれば手放すこともあるだろう。飽きもあれば、金銭の必要をまかなうために売ることもある。喪失の悲しみも忘れてしまう。ぼくの耳はその音楽を覚えている。あるいは、音楽を聴いた状況を覚えている。そのため込んだ景色がすなわちぼくだった。
ぼくは自宅に帰り、いくつかの電源のボタンを押す。レコードを取り出す。ゆっくりと回転する。見た目にも傷はない。針の落ちる音。スピーカーはただの箱であることを辞める。全身に信号を通して空気中に波を送る。
ぼくは冷蔵庫を開け、ビールを取り出した。絵美はベッドの端にすわり、電話をいじっていた。そして、ひとりで笑う。ぼくはこの音楽が彼女に伝わっているのか分からなくなる。熱心に聴こうと思わなければ、ただのノイズ。いや、まじめに聞こうとしても望んだものでなければ、こころは動かないのだ。たくさんの音楽。たくさんの感動。たくさんの女性。そのなかのトップ・クラスの三人の女性。それはぼくにとってのという注釈がいる。女性だけではない。すべてのことにとって、ぼくのという注釈が太文字でもなく刻まれているのだ。
半分が終わる。ぼくは裏側を聴こうと思ったが、絵美が覆いかぶさり、ぼくが裏側になった。もしかしたらこの状態は表かもしれない。スピーカーはまたもとの箱になった。黙っていれば、大きめの役に立たない家具に過ぎない。タンスの用途にもならず、皿も靴もしまえない。だが、自信もありそうだった。これを所有している年月は意外と長かった。この絵美よりも関係が深いものだった。あの前の女性のときもここにいた。おとなしく自分から能動的に自己主張しないが、ぼくが音源を引っ張り出せば、常に忠実に応えてくれた。これこそが、愛すべきもののような気もした。