38歳-41
子どものころ友人と山道で水たまりのような、ほんのささやかな小川のような場所で遊んでいた。流れといっても葉っぱ一枚を運ぶのがやっとのような水流だった。ぼくらは小石でわざわざ流れを堰き止め、支流を指と爪を利用して新たに掘った。努力とも呼べないものだが、働きは実って簡単に支流が本流となった。このことが絵美にも起こった。自分が本流だと思っているのも最初から間違いで、本流と本流をつなぐためのわずかなダムのようなところが自分だったのかもしれない。
ぼくは悲しまなければいけない。後悔と嫉妬に苦しまなければならない。そう本能は答えと役割を導き出そうとするが、結局はそんな気分にならなかった。いつか、ひとりになることは知っていた。確保が必須な必要以上の預金をあえて散在してしまうように、身の丈に合った残金だけがぼくの手元にのこった。
その手元では、ひとりであることを望んでいた。ぼくに永続する関係はふさわしくなく、さまざまな無言の理由がこの状態の採点を居心地良く、かつ甘くした。
自分はひとりを愛するのかが唯一の問題であり、ある女性は何人かから口説かれたうえでチョイスするのが、愛の形だった。そもそもの形態が違う。焼き魚ではなく、アボカドの気分にもなるのだろう。すだちではなくドレッシングを要するのだろう。ぼくは、もてないタイプの男性の代表者のような気分になっている。
世界の終わりに直面した気にもならずに、普段通りに仕事に出かける。彼女とは近くの定食屋で昼を食べたりする仲でもあった。まだ電話で仕事の進捗を相談することもした。そのうちに彼女のグループ内で異動があったのか、その範疇からも消えた。普通の声音を出すことをとくに苦にも感じなかった。ぼくを選ばなかったことに立腹することもなかった。ぼくは、もっと前にそうするタイミングを別の女性で逸していた。だから、今更また同じことがあったとしても決断を後悔したり、鈍いこころを恨んだりすることができなくても大事にすべきでもなかったのだ。
いくつかのものを整理する。歯ブラシだったり、化粧品の小さな瓶を捨てる。このような行為はもう最後かもしれないとぼんやりと考える。宣言ではない。ただの与えられた事実だ。
ぼくのものも彼女の部屋で同じような憂き目にあうのだろう。一時、合流して、結局は別々の道筋になる。世の中はだいたいのものがそうなのだ。一時、スポーツでその国の代表になる。ずっとはいられない。そこに定位置など決められたものはないのだ。誰もが一時的な住まいとしている。そこで力を、そのときに発揮するだけでいい。発揮しなくても、永続した罪にはならない。みな、忘れる。
だが、ぼくは、この女性の全体とか、この部分とか、いくつかの角度で自然と照らし合わせ、「絵美に似ているな」と感じている。尺度や物差しが、絵美を見つめる目になってしまっているのだろう。将来の相撲取りの候補者をスカウトする親方が、体格の良い男の子を見逃すこともないように。基準とはそういうものなのだ。
ぼくに備わっていた恨むとか嫉妬したい感情はどこに捨てられたのだろう。もっとむかしは、漠然とした空想にすら確実に嫉妬できたというのに。つかむということができなくなってしまったからか。手放すとか、猶予を与えるという状況が本筋であり、正常である。
ぼくは仕事を終え、改札を抜けた。ホームまでエスカレーターで下る途中、定期が明日で終わることをそのときに知った。どこで買おうか悩む。途中下車して食事でもして、その帰りについでに更新してしまおうと考えた。すべてはついでにできることなのだ。ぼくは吊革につかまり、胸のなかでそう言った。
思いがけなく人混みだった。そのなかにも絵美に似ている背中があった。おおよその身長と肩のシルエット。髪の長さと色。横には男性がいた。もしかしたら本物かもしれない。だが、ぼくは確認する地点までたどりつけなかった。わざわざ、本人だったと認識できたところで、なにも変わらないのだ。そして、重要なこととして、もう変わってほしくないとも思っていた。
だが、酒を飲みはじめると、その自分の確固たる意志も揺らぐことになった。一定しないということも常に正しいのだ。状態も変動する。ぼくの気持ちも変動する。絵美の選択も変わる。地球ですら思いの外、動くのだ。岩盤だろうと、プレートだろうと、どう呼び名を変えても動くときは動くのだ。ぼくだけが、一定である必要もない。くよくよしても、はじまらないが無理強いして終わらすことも、またなかった。
ぼくは定期を買う。ひと月だけ生き延びる。そのひと月後に誰かを好きになることは可能だろうか。これは、意志ではない。衝動と覚悟なのだ。いや、ぼくに選択肢はない。カメレオンがその舌を伸ばすことと同様の本能の一環の作用なのだ。ぼくはひとりでにやける。その様子を後ろで静かに並んでいた女性が見とがめ、怪訝な顔をする。このひとかもしれない。しかし、あまりにも絵美に似ていなかった。希美にも、あの十代のときの少女にも似ていなかった。その事実だけで減点であり、正直にいえば失格に値した。
子どものころ友人と山道で水たまりのような、ほんのささやかな小川のような場所で遊んでいた。流れといっても葉っぱ一枚を運ぶのがやっとのような水流だった。ぼくらは小石でわざわざ流れを堰き止め、支流を指と爪を利用して新たに掘った。努力とも呼べないものだが、働きは実って簡単に支流が本流となった。このことが絵美にも起こった。自分が本流だと思っているのも最初から間違いで、本流と本流をつなぐためのわずかなダムのようなところが自分だったのかもしれない。
ぼくは悲しまなければいけない。後悔と嫉妬に苦しまなければならない。そう本能は答えと役割を導き出そうとするが、結局はそんな気分にならなかった。いつか、ひとりになることは知っていた。確保が必須な必要以上の預金をあえて散在してしまうように、身の丈に合った残金だけがぼくの手元にのこった。
その手元では、ひとりであることを望んでいた。ぼくに永続する関係はふさわしくなく、さまざまな無言の理由がこの状態の採点を居心地良く、かつ甘くした。
自分はひとりを愛するのかが唯一の問題であり、ある女性は何人かから口説かれたうえでチョイスするのが、愛の形だった。そもそもの形態が違う。焼き魚ではなく、アボカドの気分にもなるのだろう。すだちではなくドレッシングを要するのだろう。ぼくは、もてないタイプの男性の代表者のような気分になっている。
世界の終わりに直面した気にもならずに、普段通りに仕事に出かける。彼女とは近くの定食屋で昼を食べたりする仲でもあった。まだ電話で仕事の進捗を相談することもした。そのうちに彼女のグループ内で異動があったのか、その範疇からも消えた。普通の声音を出すことをとくに苦にも感じなかった。ぼくを選ばなかったことに立腹することもなかった。ぼくは、もっと前にそうするタイミングを別の女性で逸していた。だから、今更また同じことがあったとしても決断を後悔したり、鈍いこころを恨んだりすることができなくても大事にすべきでもなかったのだ。
いくつかのものを整理する。歯ブラシだったり、化粧品の小さな瓶を捨てる。このような行為はもう最後かもしれないとぼんやりと考える。宣言ではない。ただの与えられた事実だ。
ぼくのものも彼女の部屋で同じような憂き目にあうのだろう。一時、合流して、結局は別々の道筋になる。世の中はだいたいのものがそうなのだ。一時、スポーツでその国の代表になる。ずっとはいられない。そこに定位置など決められたものはないのだ。誰もが一時的な住まいとしている。そこで力を、そのときに発揮するだけでいい。発揮しなくても、永続した罪にはならない。みな、忘れる。
だが、ぼくは、この女性の全体とか、この部分とか、いくつかの角度で自然と照らし合わせ、「絵美に似ているな」と感じている。尺度や物差しが、絵美を見つめる目になってしまっているのだろう。将来の相撲取りの候補者をスカウトする親方が、体格の良い男の子を見逃すこともないように。基準とはそういうものなのだ。
ぼくに備わっていた恨むとか嫉妬したい感情はどこに捨てられたのだろう。もっとむかしは、漠然とした空想にすら確実に嫉妬できたというのに。つかむということができなくなってしまったからか。手放すとか、猶予を与えるという状況が本筋であり、正常である。
ぼくは仕事を終え、改札を抜けた。ホームまでエスカレーターで下る途中、定期が明日で終わることをそのときに知った。どこで買おうか悩む。途中下車して食事でもして、その帰りについでに更新してしまおうと考えた。すべてはついでにできることなのだ。ぼくは吊革につかまり、胸のなかでそう言った。
思いがけなく人混みだった。そのなかにも絵美に似ている背中があった。おおよその身長と肩のシルエット。髪の長さと色。横には男性がいた。もしかしたら本物かもしれない。だが、ぼくは確認する地点までたどりつけなかった。わざわざ、本人だったと認識できたところで、なにも変わらないのだ。そして、重要なこととして、もう変わってほしくないとも思っていた。
だが、酒を飲みはじめると、その自分の確固たる意志も揺らぐことになった。一定しないということも常に正しいのだ。状態も変動する。ぼくの気持ちも変動する。絵美の選択も変わる。地球ですら思いの外、動くのだ。岩盤だろうと、プレートだろうと、どう呼び名を変えても動くときは動くのだ。ぼくだけが、一定である必要もない。くよくよしても、はじまらないが無理強いして終わらすことも、またなかった。
ぼくは定期を買う。ひと月だけ生き延びる。そのひと月後に誰かを好きになることは可能だろうか。これは、意志ではない。衝動と覚悟なのだ。いや、ぼくに選択肢はない。カメレオンがその舌を伸ばすことと同様の本能の一環の作用なのだ。ぼくはひとりでにやける。その様子を後ろで静かに並んでいた女性が見とがめ、怪訝な顔をする。このひとかもしれない。しかし、あまりにも絵美に似ていなかった。希美にも、あの十代のときの少女にも似ていなかった。その事実だけで減点であり、正直にいえば失格に値した。