27歳-26
今年、はじめて蚊をつぶした。
はじめて自転車に乗るとか、はじめて鉄棒で逆上がりができるとか境界がきっちりとして明瞭なものがあるが、大人になれば、ある日、惰性の連続で生活が組み立てられてしまい、特別、立ち止まらない限り、「ここで橋を渡ったんだな」とあらためて気づかない場合も多かった。達成感の薄まったその積み重ねが暮らしというものとなった。出来の如何にかかわらず。
ぼくは重なった両手を開く。その無慈悲な行為は夏という季節と密接したものだったが、まだ春のはじめのうちだと戸惑うことにもなった。だから、違う虫が飛んでいると自分自身の認識の能力も疑うことになる。
それでも、手のひらに赤い血のあとがついた。そして、その色を見ると首筋の痒さがぶりかえした。痒みは数日でとれるだろうが恒久的な免疫などできそうにもない。来年、また数回さされるだろう。再来年も。計画に入れるようなことではない。予算もなし。ただ、いま思いついただけだった。
「もう虫にさされたの?」テーブルのいちばん目立つ場所に置かれた虫刺されに効く塗り薬を持ち上げ、希美は訊いた。
「この前ね。蚊がもう、いた。春の新鮮な空気を入れようとしたときに勝手に入ったんだろう」
「いつも、勝手だけどね。トントン! そろそろ、入ってもいいですか、とか訊かないよ」
ひとりで笑って希美はうれしそうに言う。
「行儀ただしい、正確には礼儀正しいかな?」
「不法侵入か」希美はまた液体の入った容器をもちあげて軽く揺すった。「うちの父なんか、こんなのつけたときないと思うな。だから、都会のやつの肌はヤワなんだとか、文句を言って」
「ほんと?」
「ほんと。ただなんでも自然治癒。信念とかポリシーじゃなくて、痒くならないだけかも」
「希美はそんなにきれいな肌なのにね」
「わたしも都会の女性になったんだよ」そして、くるっと身体をまわした。狭いぼくの部屋ではひじをぶつけてしまう心配があったが、案の定、彼女は鈍い音をもたらしたひじの辺りをおさえた。
ぼくはその拍子に床に転がった塗り薬をひろった。あらためて裏の小さな文字を読むと、消費期限というものがあって驚いた。その日を境に腕の痒みに対処してくれなくなるのかと心配になった。その前にこれを使い尽くすことももともとできそうになかった。もっと内容量の小さなものでこと足りそうだ。
ぼくはただの痒み止めを哲学的な論題にする。
すべてのものに有効な期限がある。もしかしたら希美への愛情も終わる可能性があった。本音をいえば反対だ。希美がぼくに愛想を尽かすための期限というかゴールがある。ぼくは何かの薬でその悲しさを癒そうとする。もう有効な期間は終わり、役にたってくれない。そして、また新たに窓から闖入した蚊を見つけ、何度か空振りした後にやっとつぶす。そのものもぼくの血を無許可にいくぶん吸っている。ぼくはそうされた事実も知らなかったはずなのに。いつの間にか、気づくとあの女性に夢中になっていた。いや、かゆみが主張をはじめて、自分の脳の大部分を占めるようになっていることを告げ知らせる。とにかく、この痒みは気になるのだ。どうにかしなければならない。夜中、薬局は閉まっている。腕をかき、明日が来るのを待つ。この痒みが消えてほしいと望みながら、いくらかの辛さが自分が完全に恋におちていた証拠でもあると眠られぬ夜を別の状況にあてはめる。だが、次第に鈍感になる。去年、蚊に刺された場所など気になったりもしない。どこであるかすら思い出せない。それが順当な過去だった。暮らしというものからきちんと埋葬される穏やかな過去だった。
数日だけで霧散してしまうような女性への好意もあった。親切にされたとか、思いのほか印象よりも優しいとか、スカートの柄が良かったなどのきっかけで。しかし、どれも表面的なことに過ぎないのだ。表面的なこと以上に、では誰がもっと奥に踏み込めるのだろうか。みな、深層にまで達せないぐらいの肌のうすい間だけで判断しているのだ。もっと多くのものを望めば、やはり、小さな傷を拒むことも代償としてできなくなる。痒み止めをさっと塗って消えるぐらいのものがいちばん適している。すべて、恋もなにもかも。
「そと、行く? こんな天気、いいよ」
希美はカーテンを薄くめくっていた。その隙間からも日射しの予兆のようなものが垣間見られた。ぼくはこれを二十七才の話にしていたが、ぼくは次の年を迎えることになる。厳密に日数単位で、年単位で区切って生きているわけでもない。ぼくと希美の話は帳簿のなかの記述ではなかった。もっとあいまいで、もっと濃密な景色だった。だから、ぼくの記憶は取り込もうと準備しないのに、おおざっぱにすべてを吸い込んでいった。あやまって落ちている小銭もふくめてすべてゴミと判断して吸引してしまう掃除機のように。あとで選り分ければいい。それは未来のぼくがすることで、やはり賞味期限の切れた、あるいは熱いものが湯気として逃げ出してしまったコーヒーの残骸のように変な苦さを通して、判断する不気味さも取り除けなかった。恋する当人の当日の印象など、浮ついて読めたものでもないというのも正直な感想に近い。外には蚊がいる。家にいても、避けようもない。逃げおおせることだけが正しい解決では、もちろんないのだ。蚊はぼくらを食いちぎる猛獣には決してなれない。数日の我慢だけ。そして、渦中や道中ではなく、結果でしか理解できないこともたくさんあった。子どもの状態で楽しみ、痒さや痛みを感じた大人が分析する。蚊を哲学にまで高めてみれば。
今年、はじめて蚊をつぶした。
はじめて自転車に乗るとか、はじめて鉄棒で逆上がりができるとか境界がきっちりとして明瞭なものがあるが、大人になれば、ある日、惰性の連続で生活が組み立てられてしまい、特別、立ち止まらない限り、「ここで橋を渡ったんだな」とあらためて気づかない場合も多かった。達成感の薄まったその積み重ねが暮らしというものとなった。出来の如何にかかわらず。
ぼくは重なった両手を開く。その無慈悲な行為は夏という季節と密接したものだったが、まだ春のはじめのうちだと戸惑うことにもなった。だから、違う虫が飛んでいると自分自身の認識の能力も疑うことになる。
それでも、手のひらに赤い血のあとがついた。そして、その色を見ると首筋の痒さがぶりかえした。痒みは数日でとれるだろうが恒久的な免疫などできそうにもない。来年、また数回さされるだろう。再来年も。計画に入れるようなことではない。予算もなし。ただ、いま思いついただけだった。
「もう虫にさされたの?」テーブルのいちばん目立つ場所に置かれた虫刺されに効く塗り薬を持ち上げ、希美は訊いた。
「この前ね。蚊がもう、いた。春の新鮮な空気を入れようとしたときに勝手に入ったんだろう」
「いつも、勝手だけどね。トントン! そろそろ、入ってもいいですか、とか訊かないよ」
ひとりで笑って希美はうれしそうに言う。
「行儀ただしい、正確には礼儀正しいかな?」
「不法侵入か」希美はまた液体の入った容器をもちあげて軽く揺すった。「うちの父なんか、こんなのつけたときないと思うな。だから、都会のやつの肌はヤワなんだとか、文句を言って」
「ほんと?」
「ほんと。ただなんでも自然治癒。信念とかポリシーじゃなくて、痒くならないだけかも」
「希美はそんなにきれいな肌なのにね」
「わたしも都会の女性になったんだよ」そして、くるっと身体をまわした。狭いぼくの部屋ではひじをぶつけてしまう心配があったが、案の定、彼女は鈍い音をもたらしたひじの辺りをおさえた。
ぼくはその拍子に床に転がった塗り薬をひろった。あらためて裏の小さな文字を読むと、消費期限というものがあって驚いた。その日を境に腕の痒みに対処してくれなくなるのかと心配になった。その前にこれを使い尽くすことももともとできそうになかった。もっと内容量の小さなものでこと足りそうだ。
ぼくはただの痒み止めを哲学的な論題にする。
すべてのものに有効な期限がある。もしかしたら希美への愛情も終わる可能性があった。本音をいえば反対だ。希美がぼくに愛想を尽かすための期限というかゴールがある。ぼくは何かの薬でその悲しさを癒そうとする。もう有効な期間は終わり、役にたってくれない。そして、また新たに窓から闖入した蚊を見つけ、何度か空振りした後にやっとつぶす。そのものもぼくの血を無許可にいくぶん吸っている。ぼくはそうされた事実も知らなかったはずなのに。いつの間にか、気づくとあの女性に夢中になっていた。いや、かゆみが主張をはじめて、自分の脳の大部分を占めるようになっていることを告げ知らせる。とにかく、この痒みは気になるのだ。どうにかしなければならない。夜中、薬局は閉まっている。腕をかき、明日が来るのを待つ。この痒みが消えてほしいと望みながら、いくらかの辛さが自分が完全に恋におちていた証拠でもあると眠られぬ夜を別の状況にあてはめる。だが、次第に鈍感になる。去年、蚊に刺された場所など気になったりもしない。どこであるかすら思い出せない。それが順当な過去だった。暮らしというものからきちんと埋葬される穏やかな過去だった。
数日だけで霧散してしまうような女性への好意もあった。親切にされたとか、思いのほか印象よりも優しいとか、スカートの柄が良かったなどのきっかけで。しかし、どれも表面的なことに過ぎないのだ。表面的なこと以上に、では誰がもっと奥に踏み込めるのだろうか。みな、深層にまで達せないぐらいの肌のうすい間だけで判断しているのだ。もっと多くのものを望めば、やはり、小さな傷を拒むことも代償としてできなくなる。痒み止めをさっと塗って消えるぐらいのものがいちばん適している。すべて、恋もなにもかも。
「そと、行く? こんな天気、いいよ」
希美はカーテンを薄くめくっていた。その隙間からも日射しの予兆のようなものが垣間見られた。ぼくはこれを二十七才の話にしていたが、ぼくは次の年を迎えることになる。厳密に日数単位で、年単位で区切って生きているわけでもない。ぼくと希美の話は帳簿のなかの記述ではなかった。もっとあいまいで、もっと濃密な景色だった。だから、ぼくの記憶は取り込もうと準備しないのに、おおざっぱにすべてを吸い込んでいった。あやまって落ちている小銭もふくめてすべてゴミと判断して吸引してしまう掃除機のように。あとで選り分ければいい。それは未来のぼくがすることで、やはり賞味期限の切れた、あるいは熱いものが湯気として逃げ出してしまったコーヒーの残骸のように変な苦さを通して、判断する不気味さも取り除けなかった。恋する当人の当日の印象など、浮ついて読めたものでもないというのも正直な感想に近い。外には蚊がいる。家にいても、避けようもない。逃げおおせることだけが正しい解決では、もちろんないのだ。蚊はぼくらを食いちぎる猛獣には決してなれない。数日の我慢だけ。そして、渦中や道中ではなく、結果でしか理解できないこともたくさんあった。子どもの状態で楽しみ、痒さや痛みを感じた大人が分析する。蚊を哲学にまで高めてみれば。