爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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11年目の縦軸 27歳-26

2014年04月15日 | 11年目の縦軸
27歳-26

 今年、はじめて蚊をつぶした。

 はじめて自転車に乗るとか、はじめて鉄棒で逆上がりができるとか境界がきっちりとして明瞭なものがあるが、大人になれば、ある日、惰性の連続で生活が組み立てられてしまい、特別、立ち止まらない限り、「ここで橋を渡ったんだな」とあらためて気づかない場合も多かった。達成感の薄まったその積み重ねが暮らしというものとなった。出来の如何にかかわらず。

 ぼくは重なった両手を開く。その無慈悲な行為は夏という季節と密接したものだったが、まだ春のはじめのうちだと戸惑うことにもなった。だから、違う虫が飛んでいると自分自身の認識の能力も疑うことになる。

 それでも、手のひらに赤い血のあとがついた。そして、その色を見ると首筋の痒さがぶりかえした。痒みは数日でとれるだろうが恒久的な免疫などできそうにもない。来年、また数回さされるだろう。再来年も。計画に入れるようなことではない。予算もなし。ただ、いま思いついただけだった。

「もう虫にさされたの?」テーブルのいちばん目立つ場所に置かれた虫刺されに効く塗り薬を持ち上げ、希美は訊いた。
「この前ね。蚊がもう、いた。春の新鮮な空気を入れようとしたときに勝手に入ったんだろう」
「いつも、勝手だけどね。トントン! そろそろ、入ってもいいですか、とか訊かないよ」
 ひとりで笑って希美はうれしそうに言う。
「行儀ただしい、正確には礼儀正しいかな?」
「不法侵入か」希美はまた液体の入った容器をもちあげて軽く揺すった。「うちの父なんか、こんなのつけたときないと思うな。だから、都会のやつの肌はヤワなんだとか、文句を言って」

「ほんと?」
「ほんと。ただなんでも自然治癒。信念とかポリシーじゃなくて、痒くならないだけかも」
「希美はそんなにきれいな肌なのにね」
「わたしも都会の女性になったんだよ」そして、くるっと身体をまわした。狭いぼくの部屋ではひじをぶつけてしまう心配があったが、案の定、彼女は鈍い音をもたらしたひじの辺りをおさえた。

 ぼくはその拍子に床に転がった塗り薬をひろった。あらためて裏の小さな文字を読むと、消費期限というものがあって驚いた。その日を境に腕の痒みに対処してくれなくなるのかと心配になった。その前にこれを使い尽くすことももともとできそうになかった。もっと内容量の小さなものでこと足りそうだ。

 ぼくはただの痒み止めを哲学的な論題にする。

 すべてのものに有効な期限がある。もしかしたら希美への愛情も終わる可能性があった。本音をいえば反対だ。希美がぼくに愛想を尽かすための期限というかゴールがある。ぼくは何かの薬でその悲しさを癒そうとする。もう有効な期間は終わり、役にたってくれない。そして、また新たに窓から闖入した蚊を見つけ、何度か空振りした後にやっとつぶす。そのものもぼくの血を無許可にいくぶん吸っている。ぼくはそうされた事実も知らなかったはずなのに。いつの間にか、気づくとあの女性に夢中になっていた。いや、かゆみが主張をはじめて、自分の脳の大部分を占めるようになっていることを告げ知らせる。とにかく、この痒みは気になるのだ。どうにかしなければならない。夜中、薬局は閉まっている。腕をかき、明日が来るのを待つ。この痒みが消えてほしいと望みながら、いくらかの辛さが自分が完全に恋におちていた証拠でもあると眠られぬ夜を別の状況にあてはめる。だが、次第に鈍感になる。去年、蚊に刺された場所など気になったりもしない。どこであるかすら思い出せない。それが順当な過去だった。暮らしというものからきちんと埋葬される穏やかな過去だった。

 数日だけで霧散してしまうような女性への好意もあった。親切にされたとか、思いのほか印象よりも優しいとか、スカートの柄が良かったなどのきっかけで。しかし、どれも表面的なことに過ぎないのだ。表面的なこと以上に、では誰がもっと奥に踏み込めるのだろうか。みな、深層にまで達せないぐらいの肌のうすい間だけで判断しているのだ。もっと多くのものを望めば、やはり、小さな傷を拒むことも代償としてできなくなる。痒み止めをさっと塗って消えるぐらいのものがいちばん適している。すべて、恋もなにもかも。

「そと、行く? こんな天気、いいよ」

 希美はカーテンを薄くめくっていた。その隙間からも日射しの予兆のようなものが垣間見られた。ぼくはこれを二十七才の話にしていたが、ぼくは次の年を迎えることになる。厳密に日数単位で、年単位で区切って生きているわけでもない。ぼくと希美の話は帳簿のなかの記述ではなかった。もっとあいまいで、もっと濃密な景色だった。だから、ぼくの記憶は取り込もうと準備しないのに、おおざっぱにすべてを吸い込んでいった。あやまって落ちている小銭もふくめてすべてゴミと判断して吸引してしまう掃除機のように。あとで選り分ければいい。それは未来のぼくがすることで、やはり賞味期限の切れた、あるいは熱いものが湯気として逃げ出してしまったコーヒーの残骸のように変な苦さを通して、判断する不気味さも取り除けなかった。恋する当人の当日の印象など、浮ついて読めたものでもないというのも正直な感想に近い。外には蚊がいる。家にいても、避けようもない。逃げおおせることだけが正しい解決では、もちろんないのだ。蚊はぼくらを食いちぎる猛獣には決してなれない。数日の我慢だけ。そして、渦中や道中ではなく、結果でしか理解できないこともたくさんあった。子どもの状態で楽しみ、痒さや痛みを感じた大人が分析する。蚊を哲学にまで高めてみれば。
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繁栄の外で(3)

2014年04月14日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(3)

 家の中には、数種類の野球のグローブがあった。ぼくが、机に向かってそろばんを習っているころ、兄は少年野球をしていた。両親が、どういうふうに選択したかは分からないが、そういうことになっていた。いま、考えれば、まさしく我が息子たちは動と静ということなのだろう。

 それでも、数種類というのは多かったかもしれない。

 兄には、ファーストミットが与えられ、ぼくにもキャッチャーミットがあった。その無骨な形状をぼくは愛していた。実際、学校が終わってから友人たちと集まりあって、野球がうまい子の速いボールを恐れずに受け取るということには、無常の喜びがあった。

 なぜか父は、キャッチャーマスクも買ってくれていた。意味もなく、それを家の中で被ってみることもした。それで、適度にやわらかくボールを顔面にあてて、どれほどの強度があるのか測ってみたりした。なんとか持ちこたえそうな感覚だけを手に入れた。

 兄は、休日にはユニフォームを着て、弁当をもって近くの河川敷で野球をしていた。何度か、その姿を父に連れられて見に行ったりもした。活躍した瞬間にはともに喝采の声をあげ、エラーなどのときは失望感の混じったため息を漏らしたりもした。しかし、そこでも自分は部外者であったという認識がある。ステージには、自分が立っていないという後ろめたさもある。誰かを、喜ばさないと、という変な焦りがあるのだろう。だが、自分でどうにかそれらのことと結びつけるすべを知らなかった。

 それでも、放課後には同じように友人たちといっしょに野球をした。彼らのそれぞれも近隣の少年野球チームにはいり、自分のランクを背丈と同じように伸ばしていった。だから、ぼくと彼らの成長度合いは違くなり、また対象に接しての愛や思い入れも少ないため、一心不乱にうちこむということもなくなっていく。

 そうなる前に、家の裏でバットを握り締めひとり素振りをしている自分がある。回数を増やせば増やすほど、その行為は、自分の一部となり、脳が命令している行動とは思えなくなった。しかし、一人で行う行為はやはりひとりだけのもので、なにかを誰かと共有する時間というものの方が大切であると、いまの自分は感じてしまう。それでも、そうしてバットを握って身体を回数を数えながら回転させていると、近所のおばさんたちが声をかけていく。

「偉いわね、がんばってね」

 などと、一様にほめ言葉を自分の軌跡として残していった。買い物袋が手にふえたおばさんたちは、家に戻るときも同じように声を掛けていった。

「ありがとう」とか「はい、がんばります」とか自分がいった記憶は残っていない。ただ、ある目標を設定し、そこにたどり着くまでは止めるのをよそうと考えることに夢中になっていた。誰にせかされたわけでもないが、これをしないことには夕方の自分の時間が無駄になってしまうと考えていた。

 自分の家からも夕飯の仕度のにおいがする。

「もう、そろそろご飯だから止めにして」
 という母の言葉があるはずだ。兄は、ユニフォームを汚して戻ってくるだろう。早番で仕事を終えた父は、野球のナイト・ゲームを観戦しながら、グラスの中のお酒をきょうも空けることになるはずだ。適度な量で終えるか、そうでないかは誰も知らない。

 兄は、実際の行為者である。ユニフォームが汚れた分だけお腹が減るらしく、大量にものを口につめこむ。ぼくは、なにかの制服を一度も身に着けていないことに気付く。スポーツの団体としての勝利には、どんな甘美が含まれているかを想像する。それは、とても胸が張れる状態のような気がした。

 父は無言でテレビを見ていた。兄は、なにかを解説している。ぼくは、行為者ではなく選手の名前や打率を記憶するということの方に夢中になる。

 自分らが、違った習い事をしていることに、互いに関心がなかった。ただ、逆の状態であったならば、ふたりとも三日坊主の烙印をおされたことだろう。それで、ぼくは選手の特徴を言葉にだした。
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11年目の縦軸 16歳-26

2014年04月13日 | 11年目の縦軸
16歳-26

 十才を迎えるころになると、いまの家が手狭になった。兄は中学生になるころで、弟ももう言葉を覚えている。父は新たな家に移ることを希望し、候補地になる土地や家屋を見学することが休日のイベントになった。そこには制限がきちんとあった。世田谷区や目黒あたりに移転することはそもそも検討事項にもなく、ぼくらは歩いていけそうな距離のなかを転々とした。その途中でついでのように誕生日のプレゼントを買ってもらった。二けたの年齢になった祝福として。

 父は自分の両親と縁が薄かったらしく、気難しい性格ながら、妻の親を家に文句もいわず住まわせていた。その祖母は内孫と外孫という言葉を悪意もなく使った。ぼくらはどうやら外孫に該当するらしく、大まかな遺伝や相続(利益や損失とは無関係の意味で)という観点から外れているような印象をぼくに与えた。

 結局、家となるべきところは決まり、上物は狭すぎるので取り壊すことになった。ローンの仕組みなのか、ぼくらは抵当となったらしいいまの家に家賃を払って住むという子どもの脳には不可解なことを両親が話しているのを聞く。そして、兄とぼくには個室ができ、父はボーナスのたびに、必要な電化製品を買い替えていった。

 ぼくは引っ越しではなく運命ということを語ろうとしている。ぼくが隣町にもし住んでいたら転校ということをはじめて経験する楽しみと不安をもてたのにという悩ましさの狭間にいた。気が合った友人がそこにいたかもしれず、親切な愛らしい少女がぼくの世話をしてくれたかもしれないし、ささいな面倒をみるという喜びも発揮できたのかもしれない。だが、ぼくは通学路を変えただけで、もとの同じ学校に通った。そして、中学にすすむには、前の家にいたときより少しばかり遠い道のりになった。数分という誤差に過ぎないが。子どもにとっては大きな変化だが、引っ越しの副作用として転校生にはならずに床屋をかえるというぐらいでわけなく納まった。

 だが、ぼくはここで彼女を見つけ、その後、交際するということを永遠に失っていたのかもしれない。そして、彼女の口からいまの家に来る前に隣町にいたということを聞く。どこかで、運命という幻想のかりそめの力を信じるならば、ぼくの方は隣町の未知の引っ越し先(建坪やローンの返済額は清い運命のため度外視)で成長して、彼女の両親は移転を取りやめそのまま暮らし、ふたりは近所に住む間柄になって同じ学校に通わせたという可能性も想像させた。映画なら後年、さまざまなずれを解消させるためにややっこしい展開になるだろうが。ぼくの物語だからぼくの主観が最優先だが、当然、兄にも生活があり、弟にも小さな生活があって、父にも通勤のルートがあった。母には無駄話の相手が必要だった。多分、これはどこにいても簡単に解消されただろう。運命という重圧も母の気さくさには無関係なのだ。

 現在という秒単位ですすむ生活のなかにすっぱりとおさまっていれば、会わなかったということなど信じることはできない。目の前に彼女がいて、そのことによってぼくの鼓動と高揚感は多少かわった。もし、運命とか可能性とか、あの時ああしていたらとかの人間の脳の遊びが一切、入り込まない世界なら信頼しかなく、疑念も生じない。しかし、それも即物的になり過ぎた。選択はどう無関心をきめこんでも絶えず目の前に転がっていた。ハンバーグにするか、シチューを頼むかですら。でも、ぼくは彼女を選ぶことに決めたのか? ぼくのもっと深い内部のなにかが勝手に決定してしまったから、ぼくという外面はその意思決定につられて行動しているだけなのか。どちらにせよ大して違いもなく、かつ大きな謎となる溝があった。

 ぼくは五、六年住んだ家にいる。思春期という時期はそのままこの部屋にあった。ぼくは学校と教師の口と黒板とで学ぶことを放棄した、得るはずだった賢さを本だけで代用しようとしていた。テクニックは必要なく、どこかの進学校に、有名な大学にもぐりこむという方法論もなかった。どこでも暮らしていける知識。偏見の入らない普遍的な情報。だが、ぼくは意気込みなどない。ただ学習という漠然とした憧れをのこしていただけなのだ。

 愛情も距離と、日常的に顔を合わせるという頻繁さに不躾に影響された。ぼくは寝転がり、本を開く。しおりの挟まった部分からつづければよい。どこまですすんだかは視覚的に一目瞭然であり、のこりも同じように解釈できた。その終わりまでの間に小説なら劇的変化を起こすかもしれない。ぼくは普通に生きている。彼女との間がどのぐらいまですすみ、次の本に向かう段階なのかなど客観的にも分からなかった。だが、当事者のみに許される幸福があった。ジェット・コースターは動いている間は、終わりのことなど考えずに楽しめるのだ。多少、胸が苦しくても。

 ぼくはラジカセのスイッチを入れる。カセットテープが回る。これも、のこりがどれだけあるのか形状として具体的に教えてくれる。ぼくはここに住み、この二階の一室をあてがわれた。更新も書き換えも必要ではない。親はぼくを養い、この部屋を与える義務があったのかもしれない。ぼくは彼女に対して、義務も権利も、契約もいっさい必要のないところにいた。そこに正真正銘の愛があったからだ。だが、野良犬にも野良猫にも書面はなく、手近な行動のみなのだ。ぼくはそれほど野蛮ではないと言えるだろうか。衝動だけではないと確信できるのか。正式な答えは遠く、回答の期限も設けられていないが、屋根のしたでじっくりと考える時間だけは完全に得ていた。
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11年目の縦軸 38歳-25

2014年04月12日 | 11年目の縦軸
38歳-25

 中学生時代の恩師が亡くなり、ぼくらは常磐線をくだった。あまりにも早い幕切れは突然過ぎて悲しみを起こす原因にはならず、大人に満たないぼくらにとって涙や鼻水を誘う胡椒の攻撃にも達せず、思いがけなく巡ってきた同窓会の役目しか担わなかった。ぼくらは何度もその先生に厳しく叱られた。そこに愛情があふれているのはときには理不尽な場合があっても、根底にしっかりとあることはぼくらのしびれた足を抜きにしても伝わっていた。

 ぼくは絵美にそのことを話していた。男の子という無慈悲な存在の妥当な証拠のように。

 絵美のひざの上にはぼくの学生時代のアルバムがのっている。尊敬するひとということを話題にしていた。最初のうちは両親であったり教師であったりする。野球選手や漫画家なども加わる。そのうち、伝説のミュージシャンとか、自分好みの理想をつくりあげる。自分には当時もいまも即答できるものがなかった。だが、何人かの先生の顔をひさびさに見て、悪い気持ちはしなかった。

「だから、この先生いないんだ。とっくにだけど。いても、みんな会うことももうないけどね」

 死と別れなどの区別は明確にない。それは先生に限ったことではない。ここにいる二百人ぐらいだろうか、もうほとんどは会わない。カラー写真として貼り付けられたぼくらもおじさんになり、おばさんになる。誰もその待ち受ける未来を知らないかのように個性を奪われる黒い制服に身を包んで、笑ったり、むっつりしたりしている。

 時間の流れが個人によって早い遅いはあるにせよ、悪いことばかりでもない。女性のこころや身体は一瞬にせよ自分のものになったこともあるのだ。この当時のぼくらには夢よりもっと遠い事柄だった。同じ部屋で寝て、同じ部屋で起きる。肌が密着しないように校庭でおっかなびっくりダンスを踊った仲よりましだった。同時にやりきれない傷も受ける。生きている間は、その対象となるべき相手を必死に探し、求めつづけ、代償として痛みも感じた。そうしないわけにはいかなかったのだ。ぼくは希美の身体にくるまれ安心した夜を思い出す。もし、あの暖かさがなかったら、ぼくは壊れる寸前まで追い込まれることも避けられなかった一夜が確かにあった。ぼくは冬山で遭難したひとのように希美の問いかけで生き延びた。なぜ、ぼくはあれほどまでに真剣過ぎたのだろう。そして、友情という範疇で満足せずに、ひとりの異性にたくさんのものを求めてしまうのだろう。

「どの子が好きなの?」
「さあ、どの子だったろう」

 絵美はひざの上からアルバムを持ち上げ、ぼくの胸の前に突き出して、点検するかのように促した。ぼくは過去というものが温情に厚くないことを知っていた。理由のひとつは、あのときの彼女はあのときのままでここにいた。ぼくは彼女から愛を受け、彼女の所為でもないが自分の身に傷を与えた。そのことをこの写真の彼女は知らない。数か月後にぼくらの運命はそうなった。第一楽章が終わった瞬間に演奏が見事だったので興奮してひとりで拍手をしてしまった恥ずかしさと厚顔の喜びをぼくはこの写真から受けた。

「このページにいるひと?」
「そうかもね」
「黙ってて、指ささないで、当てるから」と言って絵美はもう一度、自分のひざのうえにアルバムをのせた。

 絵美は半分ほどいる女性たちの名前をひとりずつ読んだ。読み方を間違えているひともいたが、訂正できるほど自分にも自信がなかった。忘却の彼方に消えた人物も数人いる。同じ学校に三年間も通ったのに、なにひとつ印象をのこしてはくれなかった面々。反対側から見れば、ぼくのことも忘れてしまった、あるいは最初から興味を起こす要因がひとつもないということも考えられた。

「この子でしょう?」急に絵美がひとりの少女を指差した。

「あたり」

 本当は、間違っている。だが、いまになってみれば、どちらでもよい気がしていた。本命の彼女はちょうど左となりに写っていた。ふたりを並び比べてどれほど違いがあるのか、もう判断する材料があまりにも乏しすぎた。テレビはどのメーカーでもテレビである。それだけ過去は遠退いてしまったのだろう。

「やった。さすが、わたし、わかってる」と嬉しそうに絵美がつぶやく。このいまの状態がここちよければ真実など曖昧のままでよく、本音を告げるとか、追求するとかはどうでもよかった。そして、自分の二十年前の表情も詳細な点を明らかにすることも望まず、かといって疑念もなく、絵美を見つけた自分を誇らしく思っているかのように笑っていた。

 そして、この固めの紙面にいるぼくも数か月後の自分のことさえ知らないのだ。自分の気持ちは相手に伝わり、相手も嫌いではなかったという単純な事実も。もっと先には結婚したい相手もみつかったこと。いまはこうして午後の時間をきれいな女性とじゃれ合っていることなども。もう少し勉強するんだったなと兄のような甘美な気持ちで教えてあげたいが、自分は自分だからなという肯定的なあきらめも存分にあった。ここにたどり着くまでの主張もしない路傍の小石のひとつひとつが美しかった。三つの峰もそれ以上に計り知れないほど魅惑的だった。
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11年目の縦軸 27歳-25

2014年04月11日 | 11年目の縦軸
27歳-25

 希美は学生時代、いじめられたと言った。それがどの程度のものか同じ場所にいないと分からないものだ。後年になっても傷をのこすようなものなのか、たわいのない戯れのようなものか、主観と客観によっても印象は違う。傍観という恵まれた立場もある。彼女が加害者の側に立つことは想像できない。あまりにも可愛すぎて手加減を忘れてかまってしまうということも考えられた。そうした意味なら、ぼくにも身に覚えがある。

 反対にぼくをいじめるというスタンスに立ったひとはいない。腕力と生意気さ加減が、ある面では挨拶のように重要視される環境だったのだ。ぼくはその小さな世界で勝ち抜く。当然、こぼれてしまうものもある。知性に依存するとか、芸に秀でるということはどこかでためらわれた。男の子は賢さより、スポーツで汗を流し、小さなことに拘泥しないということが最優先される。だからといって、みなが居心地が良いとも思っていない。理屈であるより、生き方の中立のように郷に入ればということが解決策であり信条でもあった。そうした鋳型の違いによってぼくらは作られた。

 いまはこうしている。ぼくは希美の切ない吐露をきき、悲しくなった。誰かが誰かの存在について、肯定する場合は問題ないが、否定というのをもちこみ行使するのは容認できないものだった。罵倒とか、無視とかの圧倒的な見えない腕力を用いて。

 しかし、もちろん自分もしてきたのだ。回覧板で暴かれることもなく、ニュースのなかの数秒を埋めなかっただけで。どれほど、卑怯で卑劣であるのか誰もきちんと説明してくれず、教えてもくれなかった。だが、教えられて理解させる類いのものでもないかもしれず、普通の両親は、それを最初の切り札としてしつけを施すのかもしれない。もう、いまになっては遅くなってしまったが。

 手遅れということがたくさんある。希美をいじめた誰かも後悔しているかもしれない。もし、人間が善を基準として、ずれたら揺り戻してもう一度、善に傾く方向に生きており、後悔をすると仮定しての話だが。それでも、傷がのこる以上、手遅れなのだ。では、後悔というのは訂正のきかない現実と戻れない理想との差分であるのだろうか。ぼくは加害者としての後悔も美化しようとたくらんでいる。

 ぼくは普段のおとなしさを酒の力によって豹変して暴君のように振る舞った父を許していなかった。彼は遂に楽しい酒にはならなかった。少なくとも家庭内では。重い雲が夜になるとたちこめ、傘もカッパも自前では用意できない子どもにとって、悪夢に近いものだった。結果として、びしょぬれになる。だが、もうその管理下にはいない。いなくてもたまに夢にみた。ぼくにも、はっきりと傷のひとつやふたつはあるのだ。環境も選べないし、それで給料をもってこないということにもならなかったので、天秤にかければ、それほど悪いことでもなかった。しかし、無意識では夢に訪れるぐらいには、きっちりと潜んでいた。冷蔵庫の裏の夏の黒い虫のように。

 力を有するものは、どうしても力のない者に圧力をかける。善意であればなお厄介であった。逃げられない関係性もある。そこまではひたすらに耐え、暴風雨が過ぎ去るのを待つ。人間という数十年をかけて大人になり、別の住処を見つけることが求められる生物はとくに。一気に子ども時代を駆け抜けるのは無理なのだ。

 ぼくはこのことだけではないが、希美をずっと見守ろうと思っていた。ぼくという欠陥品は声を大にして守るという簡単な宣言がどうやら口から出ないらしかった。それは、やはりずっと彼女が生まれた時点からしなければ意味がない。同時に成長する、あるいは育つということではぼくの力がすみずみまで及ばないので確かに減点だ。すると、解決するには年齢差を生じさせる必要がある。保護者が弱きものを守れる。ぼくは守ると言わない自分も、なんとかごまかそうとしている。もしかしたら、自分の柔なこころさえ守れなかった自分自身を憎んでいるのかもしれない。過去は動かせない。フィルムを逆回しにして滑稽な動きで笑い飛ばせるようになれば済むのだろう。

「その子の名前は? いじめた方」

 希美はためらいもせず、思案もはさまずに、すらすらと述べた。ひとは相手にいつまでも覚えてもらいたいと思い、成功させるにはこのような方法もあるのだとぼくは知る。歴史に名をのこした悪い王たち。重税を課すことをためらわない専制者たち。いくらでも、忘れやすい記憶にのこるチャンスはあるのだ。

「ねえ、いなかった?」
「いないこともないけど、言わせなかったんだと思うよ。いまになれば」
「強いんだね」

 ぼくが強いのか? ひとりの子の気持ちをどうこうできなかった自分は、強いと呼べるのだろうか。親の不機嫌が通り過ぎるのをじっと待つしかできなかった過去の少年は強さをもったことがあるのだろうか。

「これからは誰にもいじめさせないよ」

「たまに、わたしのこと泣かすくせに」その言葉を希美は笑って言った。女性はたまに泣きたいのだ。反対に男性は泣きわめくことを条例ぐらいの軽さによって抑え込まれているのだ。その違いが男性を優位に見せ、女性を弱いものと定義した。証拠の提出や吟味なども求められずに。ぼくは楽しくない寝汗をともなう夢を見る。それは父という不動のものからの独立という植民地の民の叫びのようなものだった。通り過ぎなければならない痛みでもあるのだ。
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繁栄の外で(2)

2014年04月10日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(2)

 ある一室に入り、そろばんを使って数字を足したり引いたりしている。その当時の子供にとっては、外で遊ぶ時間が減ってしまうので、そのことに対して当初は不満をもったはずだが、一度、規則ができてしまえば、それを守ることには抵抗がなくなってしまった。それで机に向かって座り、また掛けたりもしている。

 不注意にならなければ、その行為は必ず正当な答えを出した。ときには、数字が合わないという状態が生まれる。どこかの過程で散漫な考えが入り込んだのだろう。ありえることだ。それでも、また、間違いは必ずあとで発見できるようにもなっていた。ひとまず、自分がミスを犯さなければ良いのだ。

 時間がたてば暗算というものが出来るようになる。ある頭のなかの一部を借り、そこにそろばんの映像をうつし、その仮の映像をつかって足したり引いたりする。人間が、あることで笑ったりすることが出来るのは、頭の中でその話を映像として再構築して、そのことに対して笑いがこみ上げるのだとも思える。なので、頭の中でなにかを組み立てるということに、そのヒントとしてそろばんというものが役立っているとも言えた。

 こういう風に考えると、途中でミスをしないということが前提条件になってくる。ミスへの恐怖。間違いのもとを発見し、追及したいという渇望。

 常にそう考えているわけでもないが、いままでのことを念頭に置けば、そこそこ成績が良くなる。結果として、人から賞賛される。嬉しくないはずもないが、逆にほかの人たちは、間違った数字が現れることを憎んだりしないのだろうかと、逆に疑問に思ったりする。過程への不注意。そいつらにつけあがらせないこと。

 だが、環境にも左右される。自分は、ある小さな部屋では、ほぼ正確な答えを導き出すことができた。しかし、正式な検定を受けるため、初めて訪れる数駅はなれた大学の教室で、10歳ぐらいの自分の答えは狂いだす。もちろん、リアルタイムでは間違いが出たことを認識できてはいないが、結果として試験に落ちたという事実があることによって、いささかの動揺があったのだろう。もしかして、自分は本番に弱い人間であるという宣告への恐れが生まれる。

 しかし、また日常のなかでの計算はいつも通りになる。これも、与えられた数字を忠実に守るという前提があっての話だ。なにかをクリエイトする能力とは別物だ。

 大人になれば、ある機械がかってに計算してくれる。そういうソフトがあるのだ。だが、頭の中の映像化を止めることは出来なくなってしまった。レジで、品物のバーコードが読まれ店員を通過する間に、大体の金額を予想してしまう。消費税というものが導入されたときには、この無意識的に行っている計算が活用されていることを知った。それで、手のひらの小銭は、ぴったりの金額として用意されている。

 だが、そのようなことは機械に任せてしまっても良いのだ。もっと、創造的なことに頭は使われた方が、賢明かもしれなかった。

 といっても、あの数年間を消すことはできないので、自分の頭の中と指先は連動し、なにかを計算したがっている。そして、計算できない状態に自分をおくことを嫌がってもいる。列車の遅延。飛ばない飛行機。それにともなう人々の怒号。誰しも嫌いだろうが、途中でミスが入ってしまうことや、それを取り除く予知みたいなものを追及したくなる変な関心が隠せなくなってしまっている。

 いま考えると、そろばんでもマイナスを表すことが出来るようだが、自分はそこまで教えてもらわなかったように思えた。また、独習もしなかった。それで、数字は常にプラスという考えがあり、最小値はゼロであるという固定観念に身体ごとくるまれている。

 しかし、マイナスの世界というのは厳然と目の前にあり、それは、世界の国家の金庫であろうと、個人の預金の残高であろうと、いつかは通過するべき出来事なのだ。その返済にあてる能力や営みまでを、そろばんは教えてくれない。しかし、数字は数字として教えてくれるものもある。だが、自分が一室に閉じ込められ、その間に友達と遊んだりすることを、ささやかな犠牲としてはらったことの報いとしては、決して小さなものではないはずだ。しかし、その数字自体を小さな一室に、放り込んで閉じ込めたい衝動を捨てきれずにいる。
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繁栄の外で(1)

2014年04月09日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(1)

 繁栄の外にいる。いや、いつでも外縁部にいる。手の届かない中心には何があったのか。

 こうなったのは、なぜだろう。最初の記憶として、小学生時代に自宅の2階で、2段ベッドの下のほうにいて誰にも邪魔されずに漫画を読んでいる自分の姿を思い出す。突然、同じ部屋にいた兄がこちらを向いて、なにか用件を言いつけた。そのため、ぼくは外に買い物に行かされそうになった。使いっ走り。何度も言うが、ぼくは、心安らかに漫画を読んでいただけだったのだ。

「やだよ、漫画を読んでるから」
「お駄賃、あげるから頼むよ」兄の戦法は、こうだった。だが予期せぬことに、
「じゃあ、行くよ。いくら、くれるの?」と返事をすると、
「金なんかで動くような人間になるなよな」とまじめな口調で兄が言った。

 この宣言が、のちのち影響を残すであろうことは、ぼくは知らない。だが、しっかりとぼくに爪あとを刻んでしまった。

 この後、なにか言われた用件を果たしたのか、それとも、そのまま寝そべって漫画を読み続けていたのか、自分には記憶がない。行ったような気もするし、それならばと反論を持ち出して断ったような覚えもある。しかし、どちらでも良いのだ。金で動く人間にはなるな、という宣告に縛られる人生がここで約束されたのだ。ギリシャ神話の運命にまといつかれる人物のように。

 財布に穴が開いてしまっているみたいに、ぼくの頭の構造のなかには、利益という観念がまったくないらしい。それで、不利益になるかどうかは、利益の観念がない以上、判断のしようもなかった。

 まだ高校にあがる前の15歳のときの話だ。

 部活動も同じだった同級生が、ぼくに提案を持ちかける。最後の夏休みを期に、そろそろ運動部の一員である役目も終わり、宿題もある程度、終わりの目途がついていたのだろう。

「なんかバイトを2、3日しない?」

 肉体を動かして、その汗が金銭に代わるような内容だったと思う。ぼくは、なにかに拘束された自分が想像できず、
「いいよ、面倒くさいよ」と、あっさりと断ってしまった。一回ぐらい、その年代でお金を稼ぐあれこれを学習しても良かったのにと、ささやかな後悔を感じたりもする。しかし、宣告は、宣告のまま生かしておいた方が良いのかもしれない。

 彼は、別の誰かを誘って、たぶん働いたはずだ。その友人が、金銭のやりくりを根本的に知っている人間であったことを、今の自分は気付いているが、彼は、その汗の代価で新しい服でも買って、そこそこの女の子とデートをして、意味ある消費をしたはずだ。

 意味があっても、意味がなくても、金銭はどこかのよどみにたまり、またある一面では清流のように、魚影はありのままに見えるのだが、自分は決してそれを掴み取ることができないという運命の宣告が、どこか衣服の裏地にでも縫い付けられているように感じてしまう。

 どちらかを選ぶなら、膨らんだ財布か、薄っぺらな財布か、選択が各個人に任されているような気もするのだが、握られた拳の中身を知らないでいるのか、すすんで間違ったチョイスをしているのか、反対をぼくは指差した。その拳を広げられると、中は当然のように空だった。しかし、それを見るとどこかで安堵している自分もいた。多分、こうなるであろうことは予測がついていたのだ。目次をみた瞬間から、大体のあらすじが分かってしまうような欠陥のある推理小説のような人生が待っているのだろう。その稚拙なトリックをひとつひとつ誤魔化すように、下手くそな手品師のつもりで、いくらかきらびやかにまとってみたい。

 しかし、ごまかしは、どうあがいても誤魔化しである。ズボンの裾上げを失敗したみたいな人生だが、人を蹴落としてでも、なんとか自分を美化しよう、というたくさんの本(そんなに成功者と見られることは美しいのか)が店頭に並んでいる事実に目をつぶり、何ページか書いてみようと思う。
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11年目の縦軸 16歳-25

2014年04月08日 | 11年目の縦軸
16歳-25

 水槽を変えた所為なのか金魚が死んだ。十数年飼ったというわけでもないが、やはり居なくなれば淋しいものだった。実際に肌に触れて、気持ちや感情を交換するような類いの生きものでもない。機嫌に応じて吠えかけることもしない。ぼくのそれまでの喪失の体験といえば、どう掻き集めても小学生のときのちっぽけなそれが最大のものだった。

 水槽が汚れれば掃除をする。ひとりではできないので母に手伝ってもらった。夏場は水遊びの延長でもあったので快適で楽しいものだったが、冬場は凍えた。その手間がなくなってよかったとも思えるが、しかし、水中で優雅に泳ぐ姿(夜店でもらうようなものではなかった)を見たり、餌をあげて、水面で口を開ける任せっきりの信頼の様子を観察した機会を奪われるのとを比較すれば、喪失というのは当然に後味が悪いもので、厄介でもあった。

 ぼくは生身の人間と気持ちを通わせている。一日一日の小さな歴史が通常のこととなる。ぼくは毎日、通学ということもしていない。そのことに未練はないので仮説はもろくも崩れそうになるが、愛を傾ける対象に限ってと注釈をいれれば仮説は正当化される。

 立ち止まって考える。友情というのも楽しみをいっしょに経験したり、ときには摩擦したりしながら多くの時間を過ごすことによって深まっていく。そうすると、ぼくはもうそうした関係に深入りしないことで得るものも、反対に失うこともあるのだろう。失った重さを計る術も知らないから、答えようもない。アフリカの大地の景色を知らないのと同じ程度で知らなかった。

 ぼくは彼女との一日の積み重ねが自分に影響を与えているなど考えてもいなかった。母親の手料理を信頼していれば、独自に栄養学を身につけなくても健康を損なうことなどないとおぼろげに予測しているように。突然、母がいなくなれば、ぼくら兄弟はバランスのとれた食事と簡単に無縁になる。ぼくは彼女が提供するすべてのものから大事なものを吸収していた。笑顔。笑い声。ぼくは、こんなにも哀れで陳腐な表現しかできない。しかし、気張った、意気込んだ表現などあの当時の彼女にふさわしくもない。

 秋から冬の短い季節は、楽しみの多い少ないにかかわらず、あっという間に過ぎてしまう。金魚より短い命。ぼくは水槽の中のものより、もっともっと短い期間しか彼女を知らないことになる。

 ぼくは数行でこの物語についてもペンを置くべきなのだ。だらだらと無節操に蛇の足を書き込んでいる。蛇はいずれ帽子をかぶり、靴下まで履くようになってしまう。段々と彼女を拡大化させることによって、自分もすべても相対的に矮小化されていく。レンズの焦点から外れてしまったように。ぼくはそのことを望んでいたのだろうか。癒しのために、ぼくはあの彼女の姿をペンで追跡している。追跡ではない、追悼なのだろうか。ぼくはもう葬るべきなのだ。金魚を玄関の脇の固い地面に無残に埋めてしまったように。

 しかし、葬らない生き方もぼくの前にずっとつづくこともあり得たのだ。誰かが、邪魔をしたわけでもない。両親や教師がぼくらの関係を攻めたのでも、引き離そうと計画したのでもない。ぼくには先生という立場すらいない。その役割はいったい誰が担うのだろう。

 ぼくはバイトに行く。雨の坂道の最後に濡れた鉄板があって思わず自転車ごと転がった。痛みは恥辱に敵わない。ぼくは立ち上がり、傘をもう一度さして家に戻った。

 ひとの対処などすべてそのように簡単に行えるのだ。自転車を立て直し、金魚は埋める。水槽は処分して、新たな生き物は飼わない。しかし、自転車は傷つき、軋む音を立て、生き物から得られる愉しさはのこり、もう一度、同じ経験をしたいと願う。

 ぼくは彼女の寒さに抵抗する肌をながめる。鼻のあたまと頬はかすかにピンクに染まる。目は大人に完全に移行する前にぼくのことを眺めるために使われる。

 スケジュールなどないぼくらだったが、いくつかの約束はする。ぼくには一切、騙そうとか、おとしいれようという気持ちはなかった。後年、もしかしたらそのような気持ちで女性に接したことがあったかもしれない。だが、この時点まではぼくは完全に純粋であったのだ。自分にも負の感情がなく、誰もがぼくに対して用いなかった。

 しかし、パラダイスに生きているわけでもない。母はぼくの同級生の母に、「最近、学校の方はどう?」と訊かれる。ぼくが学校を辞めたことを、その女性は確実に知っている。世の中にはそういう難しさと面倒があることを知る。母の面子をつぶす。ぼくはなぐさめることも戦うこともしない。そのような世の中に薄いレースのカーテンのようなものを間に敷こうと思う。そこにぼくの彼女だけは入ってもらおう。

 何かを死なせたり、楽しい関係が終わってしまうことは避けられないのだ。ぼくはもっと前にその事実を強く認識しておくべきだった。だが、何度も言うが誰かが策を練ってぼくに挑んだわけでもない。ぼくが勝手に自分に許したのだ。だが、まだほんの少しだけ先だ。水槽は入れ替わっていない。なかに優雅に泳ぐ生き物がいる。それはぼくの彼女でもある。翌朝のひかりの下で、ぼくはまた見守る。寒かろうが、手が切れるほど痛もうが、ぼくはこの状態を清浄なまま保つ努力をするのだろう。ほんとうは、するべきだったのだろう。
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11年目の縦軸 38歳-24

2014年04月06日 | 11年目の縦軸
38歳-24

 もう取り決めなどは必要なかった。ぼくの結婚したかった気持というのは流されてしまった浮き輪のように遠くに行ってしまった。取り戻すために遠泳する気力も体力ものこっていない。ただ、そばにあるものだけで、身近にあるものだけでよしとした。

 どちらが愛の重さがあるのか、どちらを大事にしているのかなど量ることもできない。同じ解釈は自分自身に対してでさえ当てはめることができなかった。十一年も経ってしまったのだから。もしくは二十二年も経た自分なのだから。それでも、波はやってきては、また戻っていった。精密な形などもないが、定期性をもって繰り返す。そして、両手で海水をすくったところで世界の水の量にはまったく影響がなかった。ぼくだけが濡れた。手は乾くまではその海水の記憶を保っている。

 おそらくもっと生活力の旺盛な男性と絵美はいずれ会うことになるだろう。そうした可能性がわずかばかりもないということなど想像できない。田舎のバスの停留所のようなところで、ぼくらはたまたま横のベンチにすわることになっただけなのだ。一時は同じバスに乗るだろうが、目的地に着けばそれぞれの歩みをする。ぼくは傷つかないということを前提にそういうずるさを内在させるようになってしまった。希美がいた状況に慣れた。もっとまえに十六才のぼくはあの少女がいることに慣れはじめた。それが途切れると、当然に苦しんだ。身もだえということは立派な大人には訪れないと思っていたが、それも表面的にあらわれないというだけで、奥にじっと隠れてぼくを苦しめたのだ。

 あれはどうしても避けなければならない。さらに、その小さな願いがあれば愛の対象を発見することに歯止めがきくのか、抑制されるのか、反対にそんな気持など簡単に無視されてしまうのか、ぼくには見当がつかなかった。だが、空白の期間もあることだから、ある程度は有効なのだろう。来年の今頃までは風邪をひかないだろうというぼんやりとした目安ぐらいで。

 仕事が終われば、関係ないことを誰かと話したくなる。起こったこと。今後、起こり得ること。起こる可能性のあるものとして想像してみること。自分にもし起こったら困ること。泣いたこと。笑った話しの再現。ぼくはこれらのことを絵美としたかった。もちろん、彼女が女性の身体をもっているということは捨て難い魅力である。その神秘的に見える目。匂いを嗅ぐという機能とは別の意味がありそうなデザインに優れた鼻。笑った時の口の形。最初に彼女を意識させられた不思議な声。やはり、ぼくは失いたくないと思っている。

 同時に彼女の魅力について隠し通せるものでもないと思っていた。ある地域では目以外をレースのようなもので覆っている。ぼくは絵美がそのような姿でいることを思い巡らした。だが、するとぼくは彼女の魅力をいつ発見できるのだろう。出だしが分からない。薬指にはめた細いリングがある種の防御をする役目を担うのかもしれない。「なんだ、彼女、結婚してたのか」という具合に。そうなれば、等しくぼくの指にも同じものが課せられる。人気も、奪われるおそれもないのに。

 いや、本来はそういう意味合いでつけているのでもないのだろう。敵からの防衛ではない。なにかの誓いなのだ。ぼくはだから誓うという行為をおそれ、軽蔑している。

 絵美はどこかで酔って歩きながら電話をかけてきた。ぼくは家で静かに映画を見ていた。その立場の違いがそのままテンションの差になった。絵美は一方的になにかを伝えたいようだったが、酔いが妨げとなってうまく伝達できなかった。反対に酔っていなければ持ち出すような話題ではないのだろう。ぼくは一時停止され動きを止めた俳優の横顔を見ながら、気長に絵美の話を待った。機械というのは人間の動きもとめる。ぼくもあのとき、このように立ち止まって希美の話をきいておくべきだった。もしくは、希美をこのように少しだけ止めて、ぼくはその間にゆっくりと次の言葉や、解決策を探す。しかし、生身の人間にはそんな願いなど叶うわけもなく、不可能な頼みでもあった。ぼくは不用意な言葉を吐き、希美の涙を見る。風船は割られ、浮き輪はながされた。

 ぼくは相槌をうち、電話の声をきいている。ずっと黙っていれば問題は遠退くのだという打算がわずかだがあった。反対にこの酔いの状態ならば、絵美は自分の言ったことも、ぼくの返答も覚えていないというずるい猶予もあった。そう思っていると自然に静止に耐えられなくなった画面は映像を停止してしまった。待たせるとか、待ちわびるという言葉を思い浮かべる。そこには期待があり、幻滅という副作用があった。ならば期待は悪であり、退治し、根絶しなければならない負の要素であろうか。期待がなければ一日も生きていないのは分かっているのに。

 絵美は地下鉄のホームにいて、電車に乗り込むまで電話を切らなかった。ぼくは自宅で電車の発車の合図のベルをきく。そこで彼女の一日の追跡が終わった。ぼくはそのままトイレに行き、手を洗って冷蔵庫を意味もなく開けた。この行為をそれこそ無制限にしてきた。これも期待であろうか。なかのものは自分が入れ変えない限り変動もしないのに。

 ぼくは、ここを自分のこころだと思う。ぼくは何かを出し、何かを処分し、新しいものを追加する。しかし、なかで、とくに目につかない奥で、いらなくなったかもしれないものがまだ残っているのを知っている。ぼくは考えを止め、また映画のつづきを見る。ひとの生活。ひとの幸運。ひとの不幸。ぼくは最後のエンディング・ロールまで見届けなければならない。そんな義務などまったくないのに。数日後には、この映画もきちんと返却しなければ追加の金額を徴収される。ぼくは、こころに残しているふたりの女性の追加の金額がいくらぐらいに積もったのか試しに想像してみる。
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11年目の縦軸 27歳-24

2014年04月01日 | 11年目の縦軸
27歳-24

 年齢もあり、生活力のこともあり、平均ということも計算にいれる。しかし、そうしたもろもろのことを抜きにして結婚という未来を考えたのは希美だけだった。いや、無意識では当然のこと計算にいれたのだろう。誰も十二才で相手の親や周りにいる兄弟や親友を説得しようなどとは思わない。世の中は手続きと、それに伴ううんざりするほどの長い行列でできているのだ。反対に七十九才ではじめて結婚したいと芽生えるのもどこかのプログラムの故障かもしれない。偏見という確たるフィルターを通してだが。そして、そう思う相手はぼくにとってひとりで充分だった。

 どんな欲張りでも手の指を六本ほしいとは思わないそうだ。形状としても向きとしてもよくできている。さらに、どれほど楽しくてもゴルフの十九ホール目を普通は勝負にも計画にも入れない。ふさわしい数字というのがある。そこに美がある。

 ぼくは二十七才だった。希美はすこし年下。何度か恋をしたであろうし、胸を痛めたこともあるだろう。失恋という避けられない帰りの切符も、数回は手にしたことであろう。手放せないほど固く握りしめて。ぼくも同じだった。それから、各駅停車でもどってきた。のどかな風景なども見ずに下を向いて。変化のない足元をじっと見つめて。ところで、急行や特効薬はないのだろうか? せめて準急でも。

 その当時になって希美という存在が目の前にあらわれる幸福が訪れる。凱旋門の先に。少し前でも、少しあとでも駄目だったかもしれない。なにが駄目ということもないが、時期やタイミングというのが何にもまして大事なものだというのも経験だけが教えてくれた。

 この気持ちは膨らむという類いのものでもなかった。ただ、あったという表現が妥当である。塀のうえには猫がいたとか、電線のうえにスズメが並んでとまっているという映像に似て。大きな音がすれば逃げ去ってしまうのかもしれないが、安全だということが分かると、また元の状態にもどってきた。あそこが殺風景でも、逆に絶景でもとにかく居心地が良いのだ。

 そう自分が思っているぐらいだから、希美も同じように感じていると判断していた。無理強いということはぼくらの間柄にはなく、かといって着々とすすめるということにも移行していなかった。当然ながらぼくには前もって練習することも不可能だったし、前年度との比較という相関関係で計ることもできないのだ。すべては最初であり、かつ最後だった。そうなると思っていた。

 ほかに似たものがあるだろうか。はじめて風邪をひいたことなど、もう思いだしもしない。それ以降、何度も意に反して同じ症状に見舞われた。春は何度もやってきて、冬の凍える寒さに馴れることもなかった。夏に咲き誇る大輪の花はいつでも新鮮さがみなぎっていた。ぼくは結婚を継続という観点で理解しているわけではない。ただのスタート地点として認識していた。だが、決断としては大きなものだ。ぼくがいままでの生活で決めたどのことよりも重大なものだった。それこそ、勉強に打ち込むとか、なにかに没頭するとか、合否は別にしてひとりでできることだった。あとは自分の始動のキーを回すだけ。いまは希美も同じ気持ちにならなければいけない。等しい重力で引っ張られなければ均衡は保てない。

 ぼくが重くなることもあり、希美の方が重心をかけることもあった。そのシーソーから互いは逃げることはないが、思いのほか軽くなることはあった。いなくなれば、また行楽地からの帰りの切符を手に入れる。車内は誰もいない。もし、いてもぼくらは軽口を言い合える状況ではない。みな寡黙であり、背中が演技ではなく悲しんでいる。

 十一年前の少女はそのタイミングを迎え、自分で決断をすでにしたのだろう。ぼくは確認する術もない。ただうわさできいた。胸騒ぎのようなものもあったかもしれないが、ぼくに小細工も、大幅な変更もできるはずもない。そして、大事なことだが、もうぼくには関係のないことなのだ。長い時間はかかったが、きちんといくつものトンネルを越えて、ぼくはこの地点にもどってきてしまっているのだ。いまは希美の気持ちが比べられるもののないほどに大切なことであり、もっとも近い場所に置いていた。

 はしかとか、おたふく風邪とか一度しか発症しないものもある。もちろん、ぼくのざわついた気持ちは病気だからではない。永遠を前にしての抗体をつくることは似ている。予防する理由もない。ただ、一度味わえばよいのだ。そのあとに、快適な免疫ができたぼくらが待っている。

 希美を選ぶということは欲張りと呼ばれるのだろうか。ほかの選択肢を検討しなくてもよいのだろうか。ぼくは芝の目を読んでいる。十八番ホールにいて。何人かはホールアウトしている。そして、ぼくの最後のパットを熱心に見つめている。あの十一年前の少女もいる。なぜだか、心配そうだ。ぼくは完璧な道筋を見極めている。軽く叩くとボールは適度なスピードで転がり、すこし左に傾きつつ穴に向かっている。このままいけば入りそうだ。観客は微動だにしない。多分、ここでぼくの運命が決まるのだろう。もしかしたら、明日にもう一度ゲームは続行するのかもしれず、来年は、もうワンランク上の位置にいけるのかもしれない。だが、ぼくはここにしかいない。じっと転がるボールの行く末を見守るしかない。
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