これまでも山田監督と小百合さんが日本の母親像を紡ぎだそうとしていたけど、過去の2作はどちらも感心しない出来で、寅さんはじめ沢山傑作を生み出した御大の作品としては退屈だった。山田作品の魅力は日本の家族(血縁のわだかまり)をべったりと面白可笑しく観せてくれるところだし、それは日本の家庭で育った者にとって煩わしさはあるけれど掛け替えのない郷愁だったりもする
小百合さんが悪いわけじゃ無いけれど、小百合さんが演じると吉永小百合にしか見えなくて、市井の老婦人として観ることはない。前2作の「母べぇ」「母と暮せば」も今までの美しく気高い小百合像のままで、ボクの母親ではなかった
ようやくこの3作目で母に会えた気になれたのは、年齢相応の役回りにしっかりはまったからだと思う
小百合さんの下町風の喋り方もちょっと新鮮で、足袋屋の未亡人の役どころもしっくりくるから馴染みやすい
大泉洋とのマッチングもすこぶる良い。もう少し早く山田作品の常連になっていればと悔やまれる
御大に気に入られたのか今回も永野芽郁ちゃんが狂言回し的な女の子をハツラツと演じていて、芽郁ちゃん好きとしては嬉しい。こんな世界的名監督に使ってもらえればこれからの肥やしになるだろう
母親の恋と失恋に戸惑い、自分の家族の崩壊に怯え、会社でも柵の板挟みに喘ぐ
中年男の悲哀が今のわたくしには沁みる
決して同じような境遇では無いけれど、例えばソファーに横になると座布団を枕がわりに差し出す母親の仕草に自分の年老いた母の姿を重ねてしまう。郷里に帰るたびにグズグズ聞かされる愚痴にうんざりしながらも、息子にしか気安くグチれない母の孤独に気がつく
なんでだかよく分からないけど所々でグズグズ泣いてしまい、似ても似つかぬ小百合さんと田舎のおふくろがオーバーラップしてゆく。8月の帰省時、雪が降る前にもう一度帰ってきて欲しそうだったけど、仕事を理由にまた来年まで帰れないと言ってしまった
死ぬことの怖れではなく、誰かに面倒をかけるかもしれないという先行きの不安に怯える姿も映画の描写と一緒で身につまされてしまう
紅葉が美しい時季にもう一度顔を見に行こうかなどと愁傷なことを考えてみる
御大にとってこれが最後の作品になってしまうかも知れない
相変わらず共産主義的イデオロギーは時代錯誤な気がするし、東京大空襲の惨劇をホームレスに語らせても今の若い子には何のことやら分からないだろう
20歳前後の女の子の描き方は昭和時代のお嬢様然として違和感あるし、都心の一等地にある会社に勤務する人事部長があんなにお気楽なわけなく、生き続けている現在の日本社会とは微妙にズレている
それでも根幹にある人がしっかり描かれていて、山田洋次のフィルムを通せば隣に住んでる普通の家族のように思えてくるのだ
叶うなら母、息子、孫娘の暮らす下町の足袋屋を訪れてみたい
小さな中庭の縁側に腰掛けて、欠けた煎餅をツマミに安いビールでも飲めたらなんて想像してみる
老いた母親の愚痴を聞くのも良いかもしれない