もうすぐ平成も終わりですね。
驚いたニュースと言うより忘れてはいけない話として、ここに記しておきましょう。
平成5年、春から寒冷な気候がつづき、いつかは気温も上がるだろうと思っていたのですが、その夏は記録的な大冷夏となりました。
全国の作況指数が74となり、1000万トンの米の需要があるのですが、800万トンしか収穫できないことが解りました。
政府は260万トンを緊急輸入して対応しました。
タイ共和国は、いち早く日本政府の要請に応じたため、タイ米がたくさん日本に入ってきました。
性質の違うタイ米を嫌う消費者が多く、日本米と抱き合わせで買ったタイ米を廃棄したりする不届き者も出る始末です。
平成6年は豊作となり米不足が解消されたのですが、余分となったタイ米は家畜の餌となり廃棄物のような扱いを受けてしまいます。
確かにタイ米には独特の香りがあり、それを臭いと感じる人も多かったですし、確かにはじめは臭いと感じました。
しかし、平成6年秋に日本の米を食べたとき、香りがないのが物足りなく感じました。
タイの人が、あの香りが好きだというのを理解できた瞬間でした。
タイでは、米の高騰により貧しい人が餓死をするという状況に陥る中で、一部の日本人たちは飽食に溺れ、米を粗末に扱ってしまったのです。
平成3年~平成5年にかけてバブルが崩壊し、当時は、まだバブルの再来を期待する人たちも多くいました。そんな日本人たちを試すかのように襲った大凶作。暗くて長い不況のトンネルの入り口となったのです。
食料自給率の低い我が国。この教訓は決して忘れてはならないものですね。
平成の30年間にいろいろなことがありましたが、原発事故に匹敵する日本の将来を占う大きな事件でした。
1993年の米の大不作はよく覚えています。
当時私は小学生で、ご飯を茶碗2杯食べる子だったのですが、子どもなりに米が不作で非常にまずい状況だというのは分かりました。
私の家ではブレンド米を食べることになり、ブレンドならそんなにタイ米の風味を気にせずに食べることができました。
タイ米100%はチャーハンに向いているという情報もあったのですが、試すことはなく米不足の時期は過ぎていきました。
米は必ず十分な量を収穫できるとは限らないというのを思い知らされる事件だったなと思います。
米は太陽と雨水の恵みであり、どちらが欠けても収穫量が少なくなってしまいます。
特に7~8月の日照が重要で、これがないと人間の技術ではどうすることもできません。
m(__)m
タイ米、懐かしいです。(^^)
私は焼き飯にして、美味しくいただいていましたよ。(^q^)
それを楽しんだ人と、食べることを徹底的に拒否した人に二分したと思います。
楽しめた人の勝ちだったと思います。
確かに寿司にすると不味かったですが、チャーハンやカレーにするとおいしかったですね。