田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『焦土の野球連盟』『ドンキホーテ軍団』『狼たちが笑う日』『素晴らしきプロ野球』(阿部牧郎)

2019-05-17 20:00:37 | ブックレビュー
『焦土の野球連盟』(1993.3.)



 阿部牧郎が、終戦直後、幻の如く現れ消えた国民リーグの勃興を描きながら、大塚幸之助という一人の男の夢の挫折や、野球が人々の夢であり、生きる力でもあった幸福な時代を浮き彫りにする。

 ここでは元セ・リーグ会長の鈴木龍二が敵役であり、今は忘れられた終戦成金の大塚がヒーローの如く描かれる。つまり歴史に名を残していない人物の方が、作家の思い入れも含めて、読む側にドラマチックな印象を与えるということ。いわゆる敗北の中の栄光というやつだ。

 もっとも、後書きには、国民リーグの敗北を予感させるこの小説のラストが、本当の意味での大塚の流転の始まりであるとも書かれている。阿部はこの続きを書いたのだろうか。それともあえて大塚の旬の時代だけにとどめたのだろうか。追跡の要あり。

『ドン・キホーテ軍団』(1993.4.)


 
 『焦土の野球連盟』の続きを探したが見つからなかった。結局、阿部牧郎の中では国民リーグと大塚幸之助についてはあれで完結してしまったようだ。その代わりに見付けたのがこの一冊。

 これまた敗者の栄光伝であり、野球を捨て切れず、半ばだまされていると知りながら、グローバルリーグ設立といううさんくさい話にのめり込んでいってしまった男たちの喜怒哀楽が描かれる。

 もちろん、この小説を読む前にグローバルリーグの失敗は知っていたし、何より筆者がタイトルでその結末を明かしている。にもかかわらず、一気に読まされてしまったのは、幻と終わる野球への見果てぬ夢、魅力的な主人公が体験する絶頂と挫折という物語の構成が、『焦土の野球連盟』と重なるところと、野球や、アウトロー、不器用な男たちに寄せる筆者の優しいまなざしに心打たれたからだろう。

『狼たちが笑う日』(1993.5.)



 阿部牧郎が『焦土の野球連盟』『ドン・キホーテ軍団』と続いた実録ものに変えて、架空の球団を舞台に描いたフィクションだが、そこに実在のセ・リーグ6球団を絡めて、架空と現実のギャップや現実の欠点を明らかにするという仕組み。この小説が書かれたのは79年だが、応援団の横行、もはや選手ではない長嶋の人気に便乗した愚行、企業の宣伝として野球を利用する経営側などの問題はさらに悪化していると感じさせられた。


『素晴らしきプロ野球』(1994.1.)




 久々に阿部牧郎の野球小説を集めた短編集。筆者の野球人を描いた一連の小説の特徴は、話のエピローグを描かない、つまり主人公たちの人生の途中のある時期で、話をすぱっと切って終わらせるところだ。それ故、彼らのその後の人生は読み手の思いに託されるところもあり、もやもやしたものが残るのだが、その半面、主にその人物の旬の時代を描き、あえてその後は描かないところに筆者の優しさも感じるのだ。今回は巨人の監督・水原茂が浪商の坂崎一彦を、阪急代表の村上実が多治見工の梶本隆夫を発見し、再び立とうとする姿を描いた2編のラストが印象的だった。
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『90番死なず』『失われた球譜』(阿部牧郎)

2019-05-17 13:54:50 | ブックレビュー
 作家の阿部牧郎が亡くなった。著作には官能小説が多いが、自分は彼が書く野球小説が好きだった。

 1980年の長嶋監督解任、王選手引退を受けて書かれた『90番死なず』(1981.4.)



 官能小説が多い阿部牧郎の、野球小説家たる一面が垣間見える短編集。突拍子がない設定と言えなくもない内容だが、「OにはNが、NにはOが不可欠であった。Nはジャイアンツの華であり、Oはジャイアンツの力であった。この二人の引退によりジャイアンツは崩壊した」という一言は的を得ている。

 直木賞受賞後に出版された『失われた球譜』(1988.6.)



 野球小説家としての阿部牧郎を見直した。名もない人々の生活の中の野球を描き、アメリカとは違う日本独特の野球の存在を浮かび上がらせているからである。5編それぞれが好編だが、中でもフランク・ハワードをモデルにしたと思われる、外国人助っ人の悲哀を描いた「桃色の巨人」、村山実を心の支えにして人生を強く生きる男を通して語られる村山の球史「ある男の熱球」が心に残った。
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『日曜日が待ち遠しい』

2019-05-17 12:08:15 | 映画いろいろ
『日曜日が待ち遠しい』(83)(1985.5.31.有楽町シネマ2)



 不動産事務所の秘書をしているバルバラ(ファニー・アルダン)が思いを寄せる上司のジュリアン(ジャン・ルイ・トランティニアン)に妻殺害の容疑がかかる。バルバラは彼を事務所の地下室にかくまい、素人探偵として調査に乗り出す。

 フランソワ・トリュフォー監督の遺作である。遺作となると、それが監督であれ俳優であれ、そのどこかに何かしらのメッセージを感じ取りたくなるような、センチメンタルな気持ちで見てしまうところがある。この映画にしても、トリュフォーの過去の傑作と比べれば驚くような出来ではないのだが、彼は最後までヒッチコックに傾倒し、女を愛し抜いたんだなあと、見る側に思わせるような、素直さを感じさせられる。

 また、トリュフォーには最後まで巨匠というイメージはなかったような気がする。それは、いい意味で、俺たちと同じような映画好きの男が、フィルムを通して、自らが愛するもの(映画、女たち、子供たち)へのオマージュを捧げ続けただけだったと感じさせるからなのだろう。それにしても、この映画はファニー・アルダンの魅力を引き出そうとしたシーンが終始目に付く。トリュフォーはよっぽど彼女に惚れていたんだろうな。


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『アラジン』作曲のアラン・メンケンにインタビュー

2019-05-17 06:53:27 | 仕事いろいろ
 『アラジン』の音楽を作曲をしたアラン・メンケンにインタビュー。



 オリジナルのアニメ版(97)から27年。改めてどんなアレンジを施したのか。また、ガイ・リッチー監督や新曲「スピーチレス」についても聞いた。
詳細は後ほど。

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