『焦土の野球連盟』(1993.3.)
阿部牧郎が、終戦直後、幻の如く現れ消えた国民リーグの勃興を描きながら、大塚幸之助という一人の男の夢の挫折や、野球が人々の夢であり、生きる力でもあった幸福な時代を浮き彫りにする。
ここでは元セ・リーグ会長の鈴木龍二が敵役であり、今は忘れられた終戦成金の大塚がヒーローの如く描かれる。つまり歴史に名を残していない人物の方が、作家の思い入れも含めて、読む側にドラマチックな印象を与えるということ。いわゆる敗北の中の栄光というやつだ。
もっとも、後書きには、国民リーグの敗北を予感させるこの小説のラストが、本当の意味での大塚の流転の始まりであるとも書かれている。阿部はこの続きを書いたのだろうか。それともあえて大塚の旬の時代だけにとどめたのだろうか。追跡の要あり。
『ドン・キホーテ軍団』(1993.4.)
『焦土の野球連盟』の続きを探したが見つからなかった。結局、阿部牧郎の中では国民リーグと大塚幸之助についてはあれで完結してしまったようだ。その代わりに見付けたのがこの一冊。
これまた敗者の栄光伝であり、野球を捨て切れず、半ばだまされていると知りながら、グローバルリーグ設立といううさんくさい話にのめり込んでいってしまった男たちの喜怒哀楽が描かれる。
もちろん、この小説を読む前にグローバルリーグの失敗は知っていたし、何より筆者がタイトルでその結末を明かしている。にもかかわらず、一気に読まされてしまったのは、幻と終わる野球への見果てぬ夢、魅力的な主人公が体験する絶頂と挫折という物語の構成が、『焦土の野球連盟』と重なるところと、野球や、アウトロー、不器用な男たちに寄せる筆者の優しいまなざしに心打たれたからだろう。
『狼たちが笑う日』(1993.5.)
阿部牧郎が『焦土の野球連盟』『ドン・キホーテ軍団』と続いた実録ものに変えて、架空の球団を舞台に描いたフィクションだが、そこに実在のセ・リーグ6球団を絡めて、架空と現実のギャップや現実の欠点を明らかにするという仕組み。この小説が書かれたのは79年だが、応援団の横行、もはや選手ではない長嶋の人気に便乗した愚行、企業の宣伝として野球を利用する経営側などの問題はさらに悪化していると感じさせられた。
『素晴らしきプロ野球』(1994.1.)
久々に阿部牧郎の野球小説を集めた短編集。筆者の野球人を描いた一連の小説の特徴は、話のエピローグを描かない、つまり主人公たちの人生の途中のある時期で、話をすぱっと切って終わらせるところだ。それ故、彼らのその後の人生は読み手の思いに託されるところもあり、もやもやしたものが残るのだが、その半面、主にその人物の旬の時代を描き、あえてその後は描かないところに筆者の優しさも感じるのだ。今回は巨人の監督・水原茂が浪商の坂崎一彦を、阪急代表の村上実が多治見工の梶本隆夫を発見し、再び立とうとする姿を描いた2編のラストが印象的だった。
阿部牧郎が、終戦直後、幻の如く現れ消えた国民リーグの勃興を描きながら、大塚幸之助という一人の男の夢の挫折や、野球が人々の夢であり、生きる力でもあった幸福な時代を浮き彫りにする。
ここでは元セ・リーグ会長の鈴木龍二が敵役であり、今は忘れられた終戦成金の大塚がヒーローの如く描かれる。つまり歴史に名を残していない人物の方が、作家の思い入れも含めて、読む側にドラマチックな印象を与えるということ。いわゆる敗北の中の栄光というやつだ。
もっとも、後書きには、国民リーグの敗北を予感させるこの小説のラストが、本当の意味での大塚の流転の始まりであるとも書かれている。阿部はこの続きを書いたのだろうか。それともあえて大塚の旬の時代だけにとどめたのだろうか。追跡の要あり。
『ドン・キホーテ軍団』(1993.4.)
『焦土の野球連盟』の続きを探したが見つからなかった。結局、阿部牧郎の中では国民リーグと大塚幸之助についてはあれで完結してしまったようだ。その代わりに見付けたのがこの一冊。
これまた敗者の栄光伝であり、野球を捨て切れず、半ばだまされていると知りながら、グローバルリーグ設立といううさんくさい話にのめり込んでいってしまった男たちの喜怒哀楽が描かれる。
もちろん、この小説を読む前にグローバルリーグの失敗は知っていたし、何より筆者がタイトルでその結末を明かしている。にもかかわらず、一気に読まされてしまったのは、幻と終わる野球への見果てぬ夢、魅力的な主人公が体験する絶頂と挫折という物語の構成が、『焦土の野球連盟』と重なるところと、野球や、アウトロー、不器用な男たちに寄せる筆者の優しいまなざしに心打たれたからだろう。
『狼たちが笑う日』(1993.5.)
阿部牧郎が『焦土の野球連盟』『ドン・キホーテ軍団』と続いた実録ものに変えて、架空の球団を舞台に描いたフィクションだが、そこに実在のセ・リーグ6球団を絡めて、架空と現実のギャップや現実の欠点を明らかにするという仕組み。この小説が書かれたのは79年だが、応援団の横行、もはや選手ではない長嶋の人気に便乗した愚行、企業の宣伝として野球を利用する経営側などの問題はさらに悪化していると感じさせられた。
『素晴らしきプロ野球』(1994.1.)
久々に阿部牧郎の野球小説を集めた短編集。筆者の野球人を描いた一連の小説の特徴は、話のエピローグを描かない、つまり主人公たちの人生の途中のある時期で、話をすぱっと切って終わらせるところだ。それ故、彼らのその後の人生は読み手の思いに託されるところもあり、もやもやしたものが残るのだが、その半面、主にその人物の旬の時代を描き、あえてその後は描かないところに筆者の優しさも感じるのだ。今回は巨人の監督・水原茂が浪商の坂崎一彦を、阪急代表の村上実が多治見工の梶本隆夫を発見し、再び立とうとする姿を描いた2編のラストが印象的だった。