田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

アラン・ドロンに「名誉パルムドール」

2019-05-20 17:21:08 | 映画いろいろ

 カンヌ国際映画祭でアラン・ドロンに「名誉パルムドール」が贈られたが、米国の女性の人権擁護団体などが「過去に女性に暴力を振るったことを公言したり、同性愛に差別的な発言をしたりしている」などとして抗議しているという。これに対して主催者側が「ノーベル平和賞ではなく、俳優としての功績に与えるもの」と反論したらしいが、これはごもっとも。もともと俳優に品行方正などを求めても無駄なこと、というか、普通の人ではないからスターなのだ。



 特にドロンの場合は、昔とからいろいろと黒いうわさが後を絶たなかったが、その危うさが、逆に役柄との重なりや、俳優としての魅力にもつながっていたのだから、今さら彼に“いい人”を求めても仕方がないのだ。特別ドロンのファンというわけではないが、こんなふうに批判が出たら、演技賞なんて誰にも授与できなくなるのではないかと思った。


『違いのわかる映画館』vol.02 新宿K's CINEMA アラン・ドロン生誕75周年映画祭https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/3c533d0cadc613e16a0df94391ea7b5b


『ル・ジタン』(75)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/056a162a14eb74d6884ef3f5b479dd41

『暗黒街のふたり』(73)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/3b8a070bcbd63b0be6d9d6fbc31f5f1c

『あまい囁き』(72)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/2eb7d34aafe4c4af31071afb32e91fd1

『レッド・サン』(71)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/469e977ed783889db23eb4f6859c1dc8

『地下室のメロディー』(63)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f236c35f8aa2fd8d3f92153b786f73c0

『生きる歓び』(61)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/cdda6998432d01589b0f747e03b1aa3d

『太陽がいっぱい』(60)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/d99f98184f88ad18b0db44f37e379796

 

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マリンスタジアム『ゴジラvsメカゴジラ』

2019-05-20 10:32:09 | 雄二旅日記

 天気が良かったので、ZOZOマリンスタジアムに千葉ロッテマリーンズと東北楽天ゴールデンイーグルスの試合を見にいった。



 楽天の先発は広島から移籍した福井だったが、相変わらずの制球難でフォアボールを連発して自滅。嗚呼。ロッテの先発石川の出来も良くなかったので、結果的には打撃戦となり、5本のホームラン(浅村、ウィーラー、鈴木、レアード(2本))を見ることができた。いい天気の中、潮風に吹かれながら見る野球は格別だった。

 マリーンズについては、オリオンズ時代に本拠地を仙台、川崎と渡り歩きジプシー球団と呼ばれた頃を知っているだけに、今はすっかり千葉になじんだようで、よかったなと思う。駅前のマリーンズストアのショーウインドーにはオリオンズ時代の写真やグッズ、選手のサインが飾られていた。

 ところで、マリンスタジアムといえば、幕張周辺が舞台となった『ゴジラvsメカゴジラ』(93)ではラドンが飛来し、ゴジラに壊されていた。同じく野球場としては、『ガメラ大怪獣空中決戦』(95)で、ギャオスをおびき出し、ガメラに壊される場所として福岡ドームが登場したことを思い出す。さて、ハリウッド版の新作『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』の出来はいかに。

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『トリュフォーの思春期』

2019-05-20 08:57:16 | 映画いろいろ
『トリュフォーの思春期』(76)(1982.6.12.)



 フランソワ・トリュフォーが、夏休み前の子供たちの何げない日常を断片的なエピソードで綴る。『大人は判ってくれない』(59)『野性の少年』(70)で“子供”を主人公にして描いた彼の集大成のような映画。『アメリカの夜』(73)では自身の映画に対する愛を、この映画では子供に対する愛を描き切った感がある。
 
 子供ほど扱いが難しい“役者”はいないだろうが、その半面、大人の俳優には決して出せない純粋な味も持っているから、監督としては使いたくもあり、使いたくもなしという複雑な思いを抱くのではないか。多くの監督が子役を使って成功し、また失敗もしている。要は、監督が子役の心に入り込む純粋な心を持っていなければ駄目だということ。その点、トリュフォーは見事に子供たちの立場に立って映画を作っている。

 聞けば、トリュフォーはオーディションで選んだ子役たちとディスカッションを重ねながら撮影を進めていったらしい。それ故、大人の目から見た子供という、一方的な視点にはなっていない。そこには邦題の「思春期」を象徴するような、異性への目覚め、子供じみたいたずらといった、誰もが通る成長過程での変化や戸惑いが微笑ましく描かれている。

【今の一言】後年、小説化された『子供たち時間』(山田宏一・訳、和田誠・絵)を読んだが、こちらも素晴らしかった。
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