田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『天井桟敷の人々』

2019-05-22 18:39:47 | 1950年代小型パンフレット

『天井桟敷の人々』(45)(1981.12.1.スバル座)



 入場料金が半額になる、年に一度の映画の日にマルセル・カルネ監督の『天井桟敷の人々』を再見。以前、NHKで放送された時は「犯罪大通り」と「白い男」の前後編として2週にわたって放送されたので、全体のイメージが散漫になったところがあったのだが、この3時間余りの大作は、やはり映画館で満員の観客と一緒に、時に笑いながら、あるいは感動しながら見るべきものであった。

 1820年代、パリの犯罪大通りを舞台に、女芸人ガランス(アルレッティ)と、彼女を取り巻く俳優のフレデリック(ピエール・ブラッスール)、伯爵(ルイ・サルー)、白塗り芸人のバチスト(ジャン・ルイ・バロー)の関係に焦点を当てながら物語は進んでいく。

 まず、戦時中に作られたにもかかわらず、そのスケールの大きさに目を見張らされる。そして、多彩な登場人物を配して、芸術を志す者に愛を絡めて描く魅力的なストーリー、時折見られるユーモア、バローの見事なパントマイム、対照的な女の魅力を発散するアルレッティとマリア・カザレス…。

 カルネの確かな演出、ジャック・プレベールの見事な脚本、優れた映像、美術、音楽、演技の総合体として、芸術の頂点の一つのに達した映画がここにあるという感じがした。

 再見の上に立ち見で、おまけに予定もあったので、前半だけ見て帰るつもりでいたのに、見事に引き込まれ、結局予定を変えて最後まで見てしまった。

【今の一言】この映画は、今見たらもっと心にしみるかもしれない、という気がする。見直してみるかな。

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『勝手にしやがれ』

2019-05-22 10:26:21 | 1950年代小型パンフレット

『勝手にしやがれ』(59)(1981.11.26.八重洲スター座 併映はトリュフォーの『アメリカの夜』)



 フランスが生んだ映画の新しい波=ヌーベルバーグの代表作とされ、映画の常識を変えたとも言われるこの映画をやっと見た。

 矢継ぎ早に繰り出されるセリフ、モンタージュを排除した長撮りなどは、今では珍しくもないが、この映画が作られた頃は、さぞや同業者や観客を驚かせたことだろうとは思う。また、イタリアのネオリアリズムとは違った形の、街中での隠し撮りが独特の雰囲気を醸し出しているし、ジャン・ポール・ベルモンド(若い!)とジーン・セバーグ(きれいだ!)の演技も自然でさり気なく、特に奇をてらった様子もない。

 ところが、ゴダールが邦題通りに「勝手にしやがれ」ってな感じで撮ったわけでもないのだろうが、こちらが映画に入り込む前に、映画自体がどんどん先に進んでいってしまう感じがして、原題通りに「息切れ」がして疲れてしまった。

 もともとゴダールの映画は観念的で分かりにくいものが多い。そう考えれば、社会に反抗しながら悪事を重ねる男と、何となく彼とくっついている女というありふれた人物設定とストーリーを持つこの映画は比較的分かりやすいもののはずだ。ではなぜ疲れを感じたのか。

 それは恐らくテンポの問題なのだろう。特に、フランス語ということもあるが、セリフのテンポについていけなかった気がする。何の意味もないような、それでいて何かをにおわすようなセリフを、こうも矢継ぎ早に繰り出されると、見ながら嫌な気持ちになってくる。

 また、名ラストシーンと言われる、警官に撃たれて街中をよたよたと走っていくベルモンドを追った長撮りにしても、客席のあちこちから笑い声が聞こえたし、俺自身も、感動もしなかったし、すごさも感じなかった。これは、もはやヌーベルバーグも古い波になったということなのか。それとも、俺にはこの映画が理解できなかった結果なのか。

【今の一言】などと、約40年前の自分は書いているが、要するに、ゴタールの映画は性に合わないというだけなのだ。

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『いい映画を見に行こう』『ぼくの大好きな俳優たち』『シネマディクトJの誕生』(植草甚一スクラップ・ブック)

2019-05-22 08:40:10 | ブックレビュー
ちょっと中毒気味になってきた『植草甚一スクラップ・ブック』。印象に残ったものを列記してみる。



『いい映画を見に行こう』(再読)
一九二〇年代のアメリカとエンターテインメント
フォークナーとハリウッド
「赤い風車」の色彩監督エリオット・エリソフォンのこと
ヴェルヌとディズニーが出会うとき
アメリカ的な映画の見かたについて(ポーリン・ケール)
小説家と映画
名作とその背景

『ぼくの大好きな俳優たち』(再読)
忍耐と努力でジャンヌ・モローは認められた
マストロヤンニ、あるいは演技の底流について
ジャン・ギャバンの手記
ローレンス・オリヴィエの小さな伝記
ゲイリー・クーパーの成仏だがねえ
エロールは四十三万ドルの喧嘩をやったのさ
エーリッヒ・フォン・シュトロハイムの映画生活をとおして
クロース・アップの演技者ジェームズ・メースン

『シネマディクトJの誕生』
「ミネソタの娘」と定石の活用
「大いなる幻影」の偉大さ
クレールの「沈黙は金」とタチの「祭の日」を見て
ワイラーの「我等の生涯の最良の年」
イギリス映画の現状
「靴みがき」にはすっかり感動してしまった
チャーリー・チャップリン(「殺人狂時代」「伯爵夫人」)
黒沢明(「羅生門」)
ベルイマンがアメリカで騒がれたとき
ストックホルムでの寒い日に「沈黙」
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