ある画家の本を読んでいたらシモーヌ・ヴェルイュは「単に知ること」と「全精神を尽くして知ること」との間に大きな隔たりがあることを知っていた。著書「重力と恩寵」のなかに「人間の活動における真、美、善の真正にして純粋な価値は、唯一無二の行為すなわち充溢せる注意力を対象にそそぐ行為から生じる」と言って「単に知ること」と「全精神を尽くして知ること」との両者の隔たりをなくすことが彼女の人生の目的だったと言っても過言ではないだろうと書いてあった。大きな括りとしては同世代だから同じ本を読んで発想の基本が同じ基盤からされるものが多いから分かるのかもしれないがデッサンの本からシモーヌが飛び出してこようとは思わなかった。知らなかったけどあの有名な「モナリザ」も4~6年の月日をかけて描かれているんだってね。「全精神を尽くして知ること」ってそういうことなのか。デジタル化された映像ばかり見せられるから見るとか知るとかはこういうことなんだと教えてくれる一文でした。
「秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音におどろかれぬる」古今和歌集にもあるように見るものは見られるものの感覚を日本文化は持っているから意外と隔たりを埋めやすいんじゃないかななんて勝手に思っています。これもシモーヌがいなけりゃ気付かなかったことかやっぱりシモーヌか。
「秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音におどろかれぬる」古今和歌集にもあるように見るものは見られるものの感覚を日本文化は持っているから意外と隔たりを埋めやすいんじゃないかななんて勝手に思っています。これもシモーヌがいなけりゃ気付かなかったことかやっぱりシモーヌか。