よさこい祭りが始まりました。炎天下というより灼熱の太陽の下というのかな。熱帯をものともせず熱気発散とばかり踊り狂う踊り子たち。熱中症もものともせず応援する観客たち。夜になれば熱帯夜。それでも踊る踊る。 このパワー、どこに普段は潜んでいるんでしょうね。高知中のパワーが結集して爆発。
まさにそんな感じ。この祭りの面白いところは観客が観客ではなくサポーターだからだ。この一体感は、ほかの祭りにはないだろう。
晴れた夜空に花火舞うというのかな。「熱帯の夜に大輪の花」というのが新聞の見出しでした。いつもならニュースがない地元紙のトップを飾る花火ですが今年はリオにおされ第2社会面の片隅に置かれてました。毎年のことですがいつもの場所でいつもの席で今年も花火を楽しみました。今年はここも観客が増えているような気がします
今年は空高く上がる花火が多いみたい。
カメラの設定がおかしいのか能力の限界なのかこんな風に撮れました。まるで別物
まぁいいか。「今年も花火を見ることが出来ました」というのが感想です。来年はどうなることやら、来年も見えるのかなというニュアンスを含んでいる言葉ですが僕らの年代には納得がいく言葉です。夜空一面に大輪の花を咲かせバーンと鳴って散ってゆく。人生各ありたいものだと願いつつ線香花火のような俺の人生・・・か。と苦笑まぁ、人それぞれですから、いいじゃないの幸せならば。
昨日の天皇陛下のお言葉、ごもっともなことだと思います。御心に沿うには憲法で定められた皇室典範の改正が必要だとか。「永遠の0」「永遠の与党」「永遠の天皇」と思っていたけど象徴天皇って国民の総意で成り立っているんだってね。知らなかった。 「俺の目を見ろ何にも言うな。ジイ任せとけ」と思っただけではことはスンナリいかないんだね。なるべく早く陛下の意向に沿った形が出来て安心の老後を過ごさせてあげたいものですね。82歳ですからモタモタしてる時間はないですよ。でもこれを期に安倍ちゃんが一気に憲法改正に突き進むのではないか。とイギリスの新聞に出てましたっけ皇室典範を改定したりすると憲法改正へのハードルは低くなりますよね。それでなくても中国は尖閣の海を友好の海にしようと230隻からの船を押し出し北の将軍様はミサイルを排他水域まで飛ばしてくるんだから9条改正に舞台は整いつつありますね。何でも遺憾で済ましてきた政府ですがまさか天皇の誠意を踏みにじるような真似はしないとは思いますが今の内閣は油断が出来ませんから目を光らしておかないといけませんね。
シドニーポワチエが修道院の尼さんを助けてアリゾナの砂漠に教会を建てるという話でAmenがキーワードでしたっけ。神の御心ではなく人の善意に気づくという神の御心というのかなそんなのがテーマになって底辺に流れてたしかエンドタイトルがENDじゃなくてAmenでしたよね。自由気ままに生きている黒人青年と東ドイツからやってきた尼さんたちとの出会いと交流。教会建設と完成と別れ。ポワチエが小気味いいくらい黒人の青年を生き生きと演じていました。何でも神の御心という英語の不確かな尼さんとポワチエのめんどくさそうな交流。トラックの後ろでのキャンプ生活や最後に建てた教会の天辺にある十字架に登って見下ろすシーンを覚えてますね。なんで「野の百合」っていうのかマタイ伝のなんとかに書いてあると尼さんが説明してくれるんだけど覚えてない。その百合がどんな百合だったかも。 僕らの畑の「野の百合」です。自然に生えたものです。この道を歩くとき僕はAmenを思い出すのです。あの若かったシドニーポワチエを。
開会式よかった。北京、ロンドンとアメリカのオリンピックを引きずってショー化したセレモニーで少々鼻についていたけどこの環境に優しいエコオープニング、「やられた」という感じで感動もんだった。ボサノバもサンバも心に響いたしブラジルの選手団のコスチュームもよかった。なによりも人間というのを久しぶりに感じて懐かしい感覚が目を潤ませた。これだよなオリンピックって。国威掲揚の場じゃないんだ。お祭りだよ。カーニバルなんだ。カーニバルならリオにおまかせだよね。ヒロシマの原爆投下の日と重なったから日本ではそれほどの伝わり方でなかっただけに後でテレビで見て「やるじゃないかブラジル」と思った。何よりも良かったのはマンパワーだね。そしてエコロジーのコンセプト。まさかリオで環境問題をつきつけられるとは思わなかったね(失礼)どこかのアジアの自称大国のようにここもバカだろうと思ってただけに非常に新鮮で懐かしい切り口だった。地球は消費で考えるのではなく再生で考えないといけないんだ。みんなで地球を守ろうというブラジルの叫びは世界の開発業者に届くのだろうか。木を植えた男がブラジルにいたなんて。これだけでもリオオリンピックは成功だね。世界にリオのスピリッツは届いたから。東京のオリンピックもマンパワー、ナチュラルパワーでいきたいね。でもあの男じゃ無理だろうな。木を三つ持ってるけどな。派手なこと好きそうだからエコとはほど遠いだろうな。
叢を行く虫。2日前に見た時は羽が半分しか生えてなかった。今日は一人前に見える。ゴキブリでようでゴキブリでない。それは何かと尋ねたら・・・。分からない。体はぶよぶよした感じで俊敏じゃない。割と物おじせずに堂々と歩いている。小屋の近くに生息。真っ黒な虫。 見ていて気持ちのいい虫じゃない。少し目を離すと草のなかにもぐりこんで姿が見えなくなった。ここを通る時間が決まってるみたい。困るときもあるけどいろんな虫が生きている畑っていいな。
リオ・オリンピック開催でブラジリアンの女性の意識が変わったってね。褐色の肌にこれまでは白人をまねたストレートヘアーが主流だったけど自分らしさをだそうとチリチリのナチュラルのヘアーに戻したって。文化を民族の誇りを女性たちが取り戻した。「私たちの髪は美しい」と。オリンピック効果ってこんなところにでるらしい。男は強盗ばかりやっててテイタラクだけどね。「静かに耳を澄まして、小枝の歌、小石の声、野原の中の小さな道に落ちている永遠の声、川の流れ、きらめく水」の世界がまだ広がっているのがブラジルだからね。リオで都会的なことばっかりやってイメージ落とすんじゃないぞ。こっちではリオのオリンピックじゃなく「よさこい」が始まるほうが話題だけどねこんだけ盛り上がらないオリンピックも珍しいね。そんな中でもブラジルの女性が自分たちのスタイルを取り戻したのはうれしいね。ブラジルってほとんどがヨーロッパとの混血の子孫でしょう。きれいな顔にアフロヘアーこれがあうんだよね。やっぱりナチュラルが一番。毛がないのもナチュラルかとブツブツ。
ぶつぶつと言わせてもらえば「暑い」「雨が降らない」。畑の水桶がもうすぐ空になる。裸の島じゃあるまいにまた、せっせと水を運ばないといけないかと思うと畑にだけ雨が降れと思う。雨乞いの踊りをすると午後4時頃にパラパラと雨が降る。すぐに止む。どうも年を取って力が衰えたらしい。若い時も力がなかったからこんなもんか。下でバジルが騒ぐからヘビでも出たかと見に行ってみると鳥の巣があった。 誰の巣だろう。もう空き家になっていたけど立派な巣だ。それに結構大きい。上の段に行って見下ろしてみるとちょうど死角となって見えない。よく考えられていると感心。小屋の周りには高砂百合が咲き始めて明るくなってきた。
目の前の木の幹には大きなムカデ。
夏本番ですかな。あと3日でリオオリンピック。無事に開催されるんでしょうかね。
昨日花木さちこの「三月の水」をyou-tubeで聴いていたら待機動画の項目に「太陽がいっぱい」のサウンドトラックと「太陽はひとりぼっち」のテーマがあったので懐かしさのあまりクリックした。若き日のアランドロンの美しいこと。ヨットのシーンだったけど今の俳優のようにどこかのアスリートでもあるまいに腹筋が割れたような体ではないが体が薄く現実感は濃厚だった。見せかけの嘘っぽさではなくどこかギラギラしたものが今でも伝わって来て「いいな」とつぶやいてしまった。plein soleilというくらいだから音楽も煌いていて懐かしいというよりヘンに新鮮だった。僕の大好きな映画の一つだった「太陽はひとりぼっち」はモニカヴィッティの魅力は半端じゃない。アランドロンもはまり役だったね。懐かしい映画の1シーンが昔を醸し出すね。そうだよな、昔は夏と言えどもキチンとした服を着てたんだよな。薄い靴下なんか履いて。「たそがれのローマ、夏の日のローマ・・・・」なんて日本語の歌詞つけてザピーナツとか園まりとかが歌っていたよねツイストのリズムで。いつからかなこんな裸族みたいな恰好でどこにでも出かけるようになったのは。でもあの夏は30度を超える暑さじゃなかったからね。自然環境を壊すと文化も壊れるのか。もう一度ダラダラとしたそぞろ歩きではなくビシッとした服を着て街を闊歩したいものですね。この暑さじゃ三歩歩めずだろうけど。
暑い昼下がり、誰もいない公園ってけっこうあるもんで。そこが意外と涼しかったりして、東屋なんかに座るとここで昼寝したらいいだろうなって気分になってくる。ここは人がめったに来ないのか蝉が木の下の方に止まって鳴いている。 トンボは興味があるのか周りを飛ぶ。時折近くに止まってこっちの様子を見ている。トンボの種類も豊富でオニヤンマ、ギンヤンマ、麦わらトンボ、シオカラトンボ、糸トンボと見える。蝉はいまはアブラゼミが中心だがたまにヒグラシとツクツクボウシが見える。不思議と蚊がいない。山の方から緑に漉された涼しい風が吹いてくる。焼きたてのパンと田舎寿司と瓶の牛乳。今日のお昼のメニュー。田舎寿司はところによって味が違うからこれは楽しみ。小さなパン屋さんもがんばっていておいしいパンを焼いてくれる。何といっても瓶の牛乳だね。瓶に入ってるというだけでなんでこんなに美味しいんだろうか。東屋のテーブルにメニューを広げて誰にも邪魔されずランチタイムを過ごす。これって多分贅沢なことなのかなと少し思う。でもこれが自分の日常なんだからとたっぷりとある時間を過ごす。静かな夏の昼下がり。