tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

涅槃月の「特別な坐禅会」

2013年03月19日 | 坐禅会
ゴーン。
午前6時の梵鐘の響き。
今日は、お釈迦様入滅の「涅槃会」とのことで、

いつもと異なり
鐘3つのスタートから老師のお話は始まった。
今日の坐禅は特別のようであり、いつもと違うお話は、仏語(禅語)
が混じり新鮮なものでした。



座るということは、特別のことを行っているのではない。
半跏・結跏趺坐など胡坐をかいて、
背を伸ばし、体を整え、静に呼吸を繰り返す。
普段、無意識に呼吸をしているが、座っているこの時間だけ
呼吸の出し入れに心を置く・・・ただそれだけである。
この姿を「安楽の法門なり」。
つまり静かに座って居る姿は、
安楽国(極楽)の姿といわれる。

その上で、くつろいで吸う息、吐く息に意識を置く。
呼吸をするということは、
もともと労せずとも、有るといえばある、無いといえば無い、
そういった存在を「空(くう)」という。
人間の基本は何も無い「くう」のはずであるが、
目・耳・肌・口など外部に意識が働く、
そこから「あれも欲しい、あれもしたい」などなど意識が働く、
この意識は際限なくとらわれていく、
これを「煩悩」という。



「くう」のはずの人間が、煩悩紛れの己の姿、
それに目を向けて見ましょうというのが宗教、
とりわけ仏陀の教えられる「己事究明こじきゅうめい」(
仏陀の教えに近かずく道。と説かれている。

お釈迦様の教えは、こうしてはいけない、こうしなければならない、
と説くことは一つも無い、一人ひとりが別々であり、
貴方にとってはこうでしょう、10人10色の考えあり、
それをそれぞれが受け入れる、そこに独立独歩の道があるのです。
釈迦の教えは100人百様の考えを受け入れてくださる、
それぞれは、己のいく道を運命と受け入れ、
其のまま進んでいくのが、貴方の人生だと諭す。
進んでいく
自分の姿が、私という己にとって受け入れがたいことが起きた時、
この段階からの慈愛のまなざしで、何事も受け入れてくださると
仏典「阿弥陀経」に出ている。

(17日早朝のいつもの坐禅会でしたが、老師の話をまとめて、思い返すのに大変時間がかかりました、また、漢字で書くことが出来ない用語や、禅語など専門用語がたくさん混じり、素人の私の解釈が間違っているかも知れません、
1炷(ちゅう)40分の殆どかけられたお話しでした。ご紹介します。 「塩粥」に添えられた、いかなごの佃煮が新鮮。)

*このブログに訪問くださる先生から専門用語解説くださいました。 安楽の法門・己事究明こじきゅうめい・阿弥陀経・1炷(ちゅう)
間違い当て字ばかりで修正させていただきました。素人の悲しさ、指摘くださいまして感謝感謝です。


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雨上がりの今朝「おうばい」満開。

2013年03月19日 | がーディニング・園芸
これ3鉢も一緒に撮っていますが、
なかなか太く大きくならないのは閉口です。
おうばい」の花は満開、春一番です。







白梅」・赤色の「ぼけ」など、花卉類もそろそろ開花時期
例年よりは遅れて居ます。
もう少し、もう少しです。






地面の「ふきのとう」はまだ健在。
昨夜は゜てんぷら」が口に入りました、
店頭で売られ蕾のような形の綺麗なもので無く、
花開いていますが、
それなりに独特の苦味、これも春です。




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