この月になると、当地の日の出も5時少し前、
早い起床も苦ではありません、むしろ爽快。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/55/f369bebb1e59743f8994d6df1ce7b676.jpg)
6時の老師のたたかれる梵鐘と般若心経の読経は、
澄み渡り、坐禅堂にも響く。
今朝は、老師のお話にも力が入り、
突然の基本「座り方」の教示。
1. 最初から「禅定に入るための姿勢」は不要。其の前の準備が必要、各人それぞれ準備時間はいろいろ、できる人は5分でも良い、長くかかって30分でもよい、鐘3つの始まり坐禅(姿勢・息・心を整える)前に済ませておけばよい。
2. 「準備姿勢」の方法は、自分の坐蒲(ざぶ)の位置で、其の席をを清める「空坐問訊」、続いて反対位置の方にご挨拶「対座問訊」
この段階では足はあぐらなどでも良い、痛くない姿勢でゆったり、手は「法界定印」
3. 「いよいよ準備」とは
大あくびをして、リラックス、息の仕方は鼻からのみで、すばやくに吸い込み、
下腹までいっぱいに入れ、出すときは、長く長く長く。
このときの気持が大切、「吸った息は大宇宙の空気を吸っており、大地へ吐き出す」
(このとき目を閉じても良い、瞑想する)
自分という人間を忘れ、「身体は空気を通すパイプ」と思え、
そこには、呼吸しいる私は無く、深く静かな世界に入りこみ、宇宙と一体になった私がいる。言い換えれば、宇宙と私が一体になった思い。
そして、正式の坐禅に入る「端坐」である。
4. 「坐禅中」
ふらつかないよう姿勢を整え、口を閉じ、舌を上あごへつけ、自分の体は風(息)の通り道にして自分を意識しない、「鼻息かすかに通じ」之を続ける。
5. 「坐禅の禅定」とは、
この繰り返しにより、五感を超えて、死へのぎりぎりの様にたどり着いたとき、
自分の生き様を納得する思いが派生する、それはもう仏様に向かう姿でもある。
6. 道元禅師様は、「参禅を学ぶは、坐禅なり」、「只管打坐(だだすわれ)」と説かれたと有る。
今日の老師の力の入った教示は、坐禅に「入るための心の準備」
は初めての教示であり、其の内容は重い、重い。
静寂の中、聞こえる野鳥の声がひときわ印象に残った。
座禅は、正しい座り方のルールだけでなく、其の心の準備の大切さを説かれたのであろう、
「自分を捨て、身体は、空気を通すバイプ」、之が禅定に入る準備、之を重ねていく。
其の後、鐘3つの「止静」から鐘1つの「放禅鐘」
まで、実際の座る時間は10分でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/cd/97e86bfb61e278759d498a0ddc92d549.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/ef/5567f4890d20255b1cd2f012e9cf7e10.jpg)
その後、仲間の「篠笛の演奏」、奥方の振舞われる「ゴマ塩粥」
印象にのこる「坐禅会」でありました。
早い起床も苦ではありません、むしろ爽快。
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6時の老師のたたかれる梵鐘と般若心経の読経は、
澄み渡り、坐禅堂にも響く。
今朝は、老師のお話にも力が入り、
突然の基本「座り方」の教示。
1. 最初から「禅定に入るための姿勢」は不要。其の前の準備が必要、各人それぞれ準備時間はいろいろ、できる人は5分でも良い、長くかかって30分でもよい、鐘3つの始まり坐禅(姿勢・息・心を整える)前に済ませておけばよい。
2. 「準備姿勢」の方法は、自分の坐蒲(ざぶ)の位置で、其の席をを清める「空坐問訊」、続いて反対位置の方にご挨拶「対座問訊」
この段階では足はあぐらなどでも良い、痛くない姿勢でゆったり、手は「法界定印」
3. 「いよいよ準備」とは
大あくびをして、リラックス、息の仕方は鼻からのみで、すばやくに吸い込み、
下腹までいっぱいに入れ、出すときは、長く長く長く。
このときの気持が大切、「吸った息は大宇宙の空気を吸っており、大地へ吐き出す」
(このとき目を閉じても良い、瞑想する)
自分という人間を忘れ、「身体は空気を通すパイプ」と思え、
そこには、呼吸しいる私は無く、深く静かな世界に入りこみ、宇宙と一体になった私がいる。言い換えれば、宇宙と私が一体になった思い。
そして、正式の坐禅に入る「端坐」である。
4. 「坐禅中」
ふらつかないよう姿勢を整え、口を閉じ、舌を上あごへつけ、自分の体は風(息)の通り道にして自分を意識しない、「鼻息かすかに通じ」之を続ける。
5. 「坐禅の禅定」とは、
この繰り返しにより、五感を超えて、死へのぎりぎりの様にたどり着いたとき、
自分の生き様を納得する思いが派生する、それはもう仏様に向かう姿でもある。
6. 道元禅師様は、「参禅を学ぶは、坐禅なり」、「只管打坐(だだすわれ)」と説かれたと有る。
今日の老師の力の入った教示は、坐禅に「入るための心の準備」
は初めての教示であり、其の内容は重い、重い。
静寂の中、聞こえる野鳥の声がひときわ印象に残った。
座禅は、正しい座り方のルールだけでなく、其の心の準備の大切さを説かれたのであろう、
「自分を捨て、身体は、空気を通すバイプ」、之が禅定に入る準備、之を重ねていく。
其の後、鐘3つの「止静」から鐘1つの「放禅鐘」
まで、実際の座る時間は10分でした。
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その後、仲間の「篠笛の演奏」、奥方の振舞われる「ゴマ塩粥」
印象にのこる「坐禅会」でありました。