会の始まる、ご前6時は、この地でももう明るい。
当地の今朝は、放射冷却でしょうか-7℃、寒く、しばれる朝でした。
老師の撞かれる
6時の梵鐘を聞きながら、参加者全員座についている。
今日は、私の知人2名が遠地から初参加。
老師の語り口は、いつもと違った、
初めての人への分かりやすい専門用語の少ない語り。
今、座っている位置で、体を左右に振り、身体や足の痛くない位置を各自が知る、
此れは各人により体の違いが有るからです、
左右の膝頭とお尻(坐部)の3点で、重心を分け安定した位置で停まります。
この間も静かな息の出し入れを続ける。
これができれば、
1.まず体の構え、
腕、肩の力を抜き、右掌の上に左の手のひらを載せ、親指で印を結ぶ「法界定印」。
下腹部を少し前へ出す気持。
へそ下に力をいれ両膝で突き返す、背筋をピンと伸ばす、その上に頭をおく。
「耳と肩と対し」、耳の下に肩が来る、「鼻と臍と対せしめん」鼻線の下におへそが来る。
「唇歯相つけ目は須らく常に開くべし」上下の唇をつけ、目を閉じない。
この姿勢が整うと、あごに出る、あごの位置は、上らず、下がらずの構え。
2.呼吸の仕方
「鼻息微かに通じ」と有る、微かとは今の語と少し異な。
すっとすい、静かに長く吐く、長さは各自流でよい。
3.心の置き方
座っている間中、体の構えが崩れていないか、息は正しく出し入れしているか、
此れのみに心・気を置く、他の雑念は捨てる。
他に気を散らさない「一行三昧」。
(この間約30分、もちろんみんな静に座っている)。
ここで初めて正式の開始鐘3つ。
老師の言葉がなくなると、外は十分明るい、禅堂内は一段と静寂が深まる。
鐘1つで、おしまい。
のべ40分(一炷という)
今日も、座後に頂く「一汁一采とごま塩粥」の味は
坐禅を成し遂げた思いも重なり格別の味、
初めて参加された方には、この振舞いと坐禅雰囲気は心に残られたのでは。
禅堂の設えは、午後からの「涅槃会」のため
大型の涅槃図が、また、
団子まき用のお供えも。
今年は、お釈迦様の涅槃会とご母堂様が重なったのか、
ご母堂様への思いがこみ上げた様子でした。
いまひとつの話しは、誰もが出さなかった中で、
「一昨日来の惨事、勝山市にとっては当分続く話題かも知れないが、
そのことに対する、怒り、慈悲、思いやり、叱咤など、
単なる週刊誌ネタとしての話題にとどまらず、
赤トンボの研究で市民や子供達に慕われ接していたことも思い、
成熟した大人として、この事を考える機会にして欲しい」
と結ばれた。