
友愛内閣も短命だった。あるときから国民の声が「それは違う」と世論調査という扉をドンドン叩いた。叩いても叩いても届かなかった。それが聞こえたときは扉の周りに人がいなかった。
友愛、広辞苑では「兄弟の間の情愛。友人に対する親愛の情。友情」などとある。そこには国民全体、有権者をあらわすような解釈が見つからない。だから、いくらドンドン叩いても聞こえなかったろうし、叩く方も叩くところを間違っていた事になる。形容詞的言葉になんとなく酔わされていた、と反省する。
新しい内閣も大臣の辞任、事務所費のうんぬんなどさざ波が立っている。辞任はともかく、事務所費など、かって多くの例があり、大臣を辞した人もある。そんな時どうして見直しをしてこなかったのか、不思議でならない。
龍馬の立像のある桂浜を訪れたとき、観光バスのドライバーさんに教えられたこと。穏やかな波のときでも、何千回かに1度、大波がきます。穏やかといって、波打ち際に近づかないように、と。瀬戸内海では思いつかない。
川底の石も見える清流・錦川のさざ波を見下ろしながら、新しい内閣がいつくるかも知れない大波から国民をどう守ってくれるか、少し気にしながら、考えていた。
(写真:郷土が誇る清流、錦帯橋のすぐ上流付近)