「おばさん、貰うで」「怪我せんように取りんさいよ」。
畑も田も山も小川も遊び場だった子どものころ、柿やイチジクやびわなど実のなる木があちこちの家や畑にあった。遊びながらそんな実をもらって食べた。もらうというより、その家に断ってから、勝手にもぎ取った。食べれるだけで無茶取りはしなかった。
そんな遊び場の風景は道路や宅地などに変わり、実のなる木は姿を消した。後には立派な観賞用の庭木が植えられているが、それを昔のように外からうかがう事は出来ない。
甘くおやつ代わりに口にしていた実、収穫する人手がないのか、食べる人がいないのか、収穫されない木も多い。根本に落ちた実は朽ち果てている。もったいない気はするが何も手伝い出来ない。
近所の家の白壁から熟れたびわがのぞいている。色づいてしばらく経つが収穫された様子はまだない。実までは手が届かない。通学の児童らは見上げる事もない。「おばさん、貰うで」、もう返ってくることのない会話を思い出す。
(写真:食べごろに見えるびわの実)