
自己紹介を促されて「私はおまけの付け足しで来ておりますから」と謙遜しながらPRを抜かりなく堂々と出来る人がいた。これもひとつの才能であり特技でもあると納得しながら、主を食わないかと、はらはらした。その付け足し。
「付け足し言葉」というものがあることを知った。それは「活きのいい言葉は急に止まれない。付け足し言葉は余勢を引き受け、いよいよ加速させる」。そんな言葉が幾つも列記してる。その中には子どものころにも使っていた。使っていたといってもその意味を解してのことではなかった。記憶にあるそんないくつかを抜き出してみる。
驚き桃の木山椒の木、あたりき車力よ車曳き、おっと合点承知之助、その手は桑名の焼蛤、恐れ入谷の鬼子母神、結構毛だらけ猫灰だらけ、など声にだすと口調よく快活な響きがする。余勢を引き受け勢いを増す。画面と向き合いゲームに興じていてはこうした感覚は生じないだろう。最近は自分でも使ったという記憶がない。
付け足しの言葉、素直に解するなら、それ自身に深い意味があるようには思えない。しかし、会話や力を合わせる仕事などをしているとき「合いの手」となって進行にリズムが生まれスムースに進むことになろう。そのときは付け足しでなくエネルギー活性剤になっている。
原発事故の影響などもあって省エネ省エネで電気使用量を控えよう運動が数値目標を掲げて始まった。これに打ち勝つ「つけたし言葉」になる川柳、指折りながら考える。