目の前のヤギ、広い庭の隅に相当に長い綱で繋がれている。人の仕事ぶりに例えるなら、黙々した姿で雑草をもぐもぐと食べている。大旱魃で牛の飼育を止めた米国の映像を思い出した。これだけの餌、雑草だけど一匹占めしているヤギ、見た目はとても幸せそうに見える。
耕作放棄された田畑の雑草対策に新除草機ならぬ身近な動物の活躍が報じられる。動物は牛やブタ、ヤギやヒツジなどが放牧風に各所に放たれる。その光景は何度か見ている。それは、深刻な農業問題を身近な生き物が解決してくれているとは思えないのどかな風景だ。放たれた動物に共通するのは草を食べること。広大な場所では周辺に電気柵が設けられ域内にとどまる方策がとられる。
気ままに何の制約もなく生き生きとした草を食べられる。ノルマがあるわけでもなかろうが、放つ方は食べつくすおおよその日時を計算し、次の予定を組み入れる。ブタは草の根も掘り起こして始末してくれと聞いた。根まで処理してくれれば、除草を頼む側にはこれ以上のことはないだろう。
牛や馬、子どものころには近くの農家では必ず飼育されていた。ヤギは農家ならずとも乳を得るために飼われていた。これらの家畜、ペットとは呼ばなかったが、家族のように大事にされるのを見ていた。農業の大きな課題を解決するため、かっての家畜たちが今登場してきた。人手をかけなくても雑草処理するヤギを眺めながら、そんなことを思った。