
清流で知られる錦川沿いにはあちらこちらに菜園がある。中には定年退職後の健康と趣味と、そして経済的指向から作る人があり、そんな知人も何人かいて、出会うと土産を持たせてくれる。10年以上も散歩かてら見ていると、菜園が雑草や小木の茂る荒れ地に姿を変えた畑も多い。これまで見て来た作業姿から、大方は高齢化がそうさせているように思う。
川沿いの菜園といえども、畑を潤す水が川面から一人でやって来ることはないので雨か人手で賄うしかない。その役目を担うひとつに手押しポンプがあり、菜園には幾つも見かける。しかし、雑草に覆われその姿が見えなくなったポンプもある。この夏の暑さではしっかり働かされたのではなかろうかと思う。川沿いなので水脈に不自由は無かろうが、汲み上げは大変な作業だったろう。
知人の菜園にあるポンプは設置から20年以上の時間が過ぎたという。この間、風雨にさらされてきたが1度も故障をしない優れ物と自慢する。ただ、ポンプは元気だが、年々、手押しがつらくなり畑は水不足気味と笑う。まもなく80歳の知人、仕事がなくても土に足音を聞かせると畑を見回りに来る。そんな大事な畑の後継者をどうするのか聞き出せないでいる。
ポンプのほかに水確保の工夫がある。農業器具を仕舞う小屋に雨樋をつけ、その先端が貯水槽に届いている。雨水も貯水槽には直接降りこむので効率は良い。貯水槽はドラム缶や古い風呂釜などユニークだ。貯水槽からパイプを引いた畑もある。水を制する者は一国を制するというが、水無くして畑は成らずということだろう。