柿やミカンなどの果樹には実のなり具合に表と裏がある。表は収穫大、裏はその逆、その原因は理解していないが、1本から収穫する数を調整しているとリンゴ農家に聞いたことがる。これなら台風などの被害がない限り裏表はないだろ。リンゴに大きな裏表があるとリンゴが食べれなくなるかもしれない。
通り道で見かける何本かの柿の木、旬のはずなのに全く実のついていない木と、よくいう鈴なりの両方がある。どちらも人の手が加わっているようには見えない放置された木だが、生り具合には表裏が明確だ。表裏は柿全て同一でなく柿の種類によって異なるのかもしれないなど見上げて思う。
柿と言えば、故郷演歌の代表作の一つだと思うのは大竹市出身・石本美由起作詞の「柿の坂の家」を思い出す。1957(昭和32)年の曲というから高2のころ、大竹市は今の街風景からは思いつかない歴史を感じる通りだった。石本が描く駅から三里の故郷は市北のはずれになるだろう。ふるさと、赤とんぼ、村祭り、機織り、山ふもとに色づいた柿、そんな風景の中で乗合バスの悲しい別れ、古いと言われるかもしれないが、日本の原風景の一つとして思い浮かぶ。
大竹市出身の同期が長くマレーシアに駐在していた。赴任して食べたくなり、手を尽くして探しても口に入らないのが「柿」と報せてきた。留守宅経由で送った柿を喜んでくれたが、柿は日本の果実ということをしばらくしてから知った。柿は鳥や猿の餌として粗末に扱われているが、日本の秋を味わう貴重な品として今一度見直そう。