日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

W掲載

2009年10月21日 | エッセイサロン
毎日新聞「はがき随筆」と中国新聞「広場」のW掲載となりました。

晩酌の顔               

                 

2009年10月21日 毎日新聞「はがき随筆」掲載


 父の晩酌は、コップ1杯の酒と決まっていた。飲み干したときのうれしそうな顔ーー。おいしいのだろうと小学生のとき作文に書いた。

 20代半ばのころ、父は亡くなった。飲酒しない私は、父と晩酌を交わさずじまいだった。

 40歳までは飲まなかった。がらりと変わった仕事が、酒を始めさせた。それでも、在職中は宴席だけにした。退職後に晩酌を始めた。今は週3回、缶ビールならひと缶ほどだ。

 時々、下戸の妻が「おいしい?」と聞く。作文に書いた父の顔に似ているのだろうか。父が生きていれば今年100歳だ。

(写真:これだけあれば生涯晩酌できそうだ)

ロマン薫る町を散策

           

2009年10月21日 中国新聞「広場」掲載

 府中市上下町は、石見銀山からの銀を運ぶ街道の中継地点として栄え、白壁の似あうロマンの町であると観光案内に記されている。

 案内通り、当時の威容を偲ばせる土蔵や町屋が通りを挟んで続く。その町屋と一体の白壁やなまこ壁、格子窓など趣のある造作一つ一つが魅力的だ。このロマン薫る通りを秋の一日、散策した。

 町屋の続く中で「指し物」と墨で書かれたのれんが目に留まった。竹の棒に通されたのれんは、歳月を感じさせる色合いで、入口の障子戸と、よく釣り合っている。

 のれんの下に置かれたアンティークないすに「ティータイム」と小さな英文字で書いた木彫りの板が置いてある。通りに似あう町屋の玄関。そこに同居する、のれんと英文字の差異がほほ笑ましく、シャッターを押した。

 散策の後、「これだけの町並みを保存し、維持する関係者の苦労は大変だろう」と仲間と話しながら、大正時代に建てられた芝居小屋を後にした。

(写真:アンティークな椅子と英文字)
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女優とは、

2009年10月20日 | エッセイサロン
               

まもなく「女優 岡田茉莉子」という自叙伝が出版される。自叙伝だから本人が書いたものであるが、それに至った気持ちが文藝春秋11月号に「女優とは、優れた女と書く」というタイトルでおよそ1200字ほどの随筆が載っている。

母は宝塚歌劇の男役スターという母子家庭に生まれ、戦前戦後の苦しい時代を生きた。父の存在を知ったのは高校生のとき見たサイレント映画「滝の白糸」。母にその映画の話をすると表情がかわり「主演している岡田時彦」その人が私の父であると教えた。このときから女優になることが運命づけられていた、と断定している。

18才で映画女優としてデビュー、157本の映画、65作品の舞台、テレビドラマは多数出演したものの、映画女優という存在が消えつつあることから自伝タイトルを「女優 岡田茉莉子」にしたという。

彼女は女優という言葉に強い誇りを抱いている。女優とは「優れた女」と書く。これはスターやタレントとは異なり「女性として優れていなければならない」そうした思いから「女優を書き加えさせていただきました」と丁寧に断っている。多くの人に支えられたとも書いている。

自らが自叙伝に「女優」という冠をつけている。そこには最近の軽い感じのタレント層の振る舞いに対して言外に警鐘を鳴らしているようにも読み取れる。発売を待ちたい。

「母さん、あの帽子どこへ行ったんでしょうね」のセリフが映画の代名詞になっている「人間の証明」、岡田茉莉子の映画を見たのはこれが最後のような気がする。


(写真:自伝の表紙・文藝春秋書籍情報より)
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大きなスペースで

2009年10月19日 | 生活・ニュース
               

孫への新聞作りが100号になったことは以前アップした。そのあと中国新聞社から取材の申し込みがあり、先日取材を受けた。そのあと電話で追加の取材も受けた。孫へ電話取材もされたようだ。

その記事が今日の地方面「岩柳版」に載った。かなりのスペースで家内共々驚いた。掲載を見たある方が「岩国祭りより大きな記事じゃあないですか」と掲載を喜んでくれた。

電話やメールで「見た見た」と何人もの方からおめでとうを貰った。みんな気に入ったコメントでしたが「今朝の新聞の男前、見ましたよ」、冗談でも言われたことのない顔の表現、笑いながらメモした。

新聞作りをしている人で同好会を作ったら、という提案をいただきました。我が新聞の質的向上に役立つだろうと考えるが、即答はできなかった。

取材を受けながら「これで記事になるのか」とふと思ったりもした。今朝、大きなスペースにまとめてもらい、いい記念になったと喜んでいる。孫へも早速送った。喜んでくれると思う。

(写真:掲載紙面の様子)
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価格競争

2009年10月18日 | 生活・ニュース
               

報道によると安値売りが全国な傾向のようだ。TVや折込広告の価格を見ると、これまでの価格に偽りがあったのか、という疑念を抱かせる感がある。身近なスーパーでも同じ傾向だ。

消費者にとって適正な利潤を確保しての安値競争なら歓迎する。ただ安値の結果、経営が成立たなくなると困るのは消費者自身ということになる。

目を引くのが弁当とジーンズ。ユニクロの990円から始まって今はドン・キホーテの690円のという。クラボウはデニム生地の糸を生産する岡山工場を6月末に閉鎖したという。ボブソンも撤退するそうだ。ジーンズを穿かないので分からないが、690円の品と従来品の差は無いのか知りたい。

何度も「定休日」という立看が目につく。スパーなのに定休日の多い店だ、そのくらいにしか思っていなかった。あるときその近くの人と話したら「永久に定休日」と教えられた。

閉店の事情を知る由もないが、その人はちょっと不便になったという。そのスーパー以外にお店の無い地域。個人商店はとっくの昔に無くなった、別のスーパーなどに行く手段の無い人、特に高齢者はお困りだろう、とも話してくれた。

大型店舗は地域の小売業や個人商店を淘汰したことを現実に見てきた。その責任をどう果たすか、経営と企業責任の難しさ、これを乗り越えて欲しい。

(写真:今日も明日もたち続ける定休日の看板)
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益虫とはいうものの

2009年10月17日 | 生活・ニュース
               

蜘蛛の巣、巣といわず網とも言うそうだ。昨日、蜘蛛の巣のことを書いたが蜘蛛についてはサッパリ知らない。こんなとき便利なのがネット検索、様々なことがあるわあるわと見ているうちに時間が過ぎる。漁業用の網はこれがヒントになっていると書き込んである。

そんな中で「蜘蛛は益虫です」一緒に生活した方がいいでしょうという書き込みが目についた。大方の人は蜘蛛を見ると無条件で戸外へ追い出すだろうに、と思いながら読んだ。蜘蛛はゴキブリなどを餌さとするそうです。

室内で足の長い大きなクモ見かける、いや住んでいる。アシダカグモというらしいのだが、暖帯の人の住むところに広く分布している。夜行性なので長らく気が付かなかいがごく普通に住んでいる。が彼等はヒトには無害と断られている。

部屋の中に虫やクモが入りこむと不潔と思う人がいる。しかし、そうでないクリーンな環境は死の世界で、健全な世界ではないだろう。虫もクモも雑草もごちゃごちゃと生活しているのが健全な環境だ、ともいう。

そして子供たちもそんな虫やクモや雑草をつかんだり、むしったりして遊ぶのが健全な環境ではないでしょうか、賛否はあろうが1つの説と思った。

自らが紡いだ糸を伝って上っている蜘蛛、それに続く蜘蛛がいないので芥川龍之介作の「蜘蛛の糸」とは状況が異なるが、天空の彼方の極楽へ向って進む姿と見るのは蜘蛛に肩入れしすぎだろうか。

(写真:蒼い空に向って上る蜘蛛)
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蜘蛛の巣

2009年10月16日 | 生活・ニュース
               

「蜘蛛の糸」という芥川龍之介によって書かれた短編小説は子どものお話でも紹介される。それは人の途をさとす話しとして。

ある日の朝、極楽を歩いていた釈迦が、ふと蓮池の水面からはるか下の地獄を覗くと、カンダタという男を見つけた。カンダタは生前に様々な悪事を働いた泥棒であった。1度だけ小さな蜘蛛を踏み殺そうとしたが思いとどまり、その命を助けた。それを思い出した釈迦は地獄の底のカンダタを極楽へ案内しようと、1本の蜘蛛の糸をカンダタに下ろす。

この糸を上れば地獄から脱出できる、そう考えたカンダンは上り始める。途中で自分の後から上ってくる罪人を見て「この糸は俺のものだ。下りろ」と喚いた瞬間、蜘蛛の糸はカンダンの所からきれ、再び地獄へ逆落ちした。この様子を見られていたお釈迦様は悲しそうな顔をして立ち去られた、というお話。

早朝のウオーキングコースには幾つも蜘蛛の巣が道を遮っている。暗くてそれは見えない。人間様がかかっては巣もたまったものではない。かかった人間も顔や腕などにまとわりついたそれを除くのにひと苦労する。風の吹かない日は特に多い。

深さも幅も50センチほどの側溝いっぱいに陣取っている蜘蛛の巣を見つけた。破れたところもあり空き家になったのか主は留守のようだ。よく聞く過疎地の空き家のような寂しさを感じる。

過疎地にも極楽から下りて来た力強い糸のような救済策は無いものかと、下を流れていく枯れ葉を見ていた。

(写真:家主のいない蜘蛛の巣)
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左へ走る夢のトラック

2009年10月15日 | 生活・ニュース
               

今月初めのトラックの日にちなんで「夢・未来のトラック~あったらりいな こんなトラック」という絵が募集された。その作品が展示されている。描かれた何百台ものもそれが整列して進んでいる。

絵のタイトルから夢が広がる。お花屋さん、動物ふれあい、おもちゃリサイクル、水泳教室、公園、宇宙、きぼう、シャボン玉、モンスター、ペットショップ、くじら、ドーナツ・・・と一つとして同じトラックはない。発想の豊かさを感じさせる。

トラックの排気ガスは公害の源の一つとされ、その関係のTV番組では必ずマフラーからの排煙が画面一杯に映し出される。トラックはイメージとしてはよくないことを印象付けられる。

しかし、物流手段としては欠かせない存在も現実である。そんなことも思いながら何百台ものトラックを眺めていると、この絵を描いた子どもたちの時代、その次の時代には絵のようなトラックが、排ガスを気にしないで走っている、と信じたくなった。

展示を見ながら気付いた。描かれたトラックが絵の左方向へ進んでいる。何故だろうかと考えてみた。それは一方通行でないかぎり、歩道から車道を見れば車は必ず左方向へ向って進むからだ、と思いつきスッキリした。

お孫さんの作品だろう、デジカメをかまえるご婦人の妙に真剣な態度に、シャッターが降りるまで前を横切るのを遠慮した。

(写真:行進する夢のトラック集団)
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暖かい西日

2009年10月14日 | 自然 季節
               

最低気温がこのところ10~13度くらい、風のある日は肌寒く感じ、このところ早朝ウオークも1枚多く着込んでこなしている。今朝は錦帯橋上流の川面の波は高く、川舟の底を叩きバチャバチャと大きな音をたてていた。

扇風機を仕舞い終えて間もないが温風器の出番が近づいた。北海道の方でしばらく前に石油ストーブを準備したとブログにアップされていた。そういえば北海道では雪が観測されとの報道があった。

隣の庭で金木犀が開き始めた。何のお手伝いもしないのにその時期になると伝わってくる季節の香りに感謝している。

ふと気付くと午後の日ざしがガラス戸越に日焼けした畳にあたっている。日ざしの中に横たわり、夏に使った遮光用の簾を取り除いていてよかった思う。ほど良い暖かさが眠気を誘う。

(写真:午後の日ざしが部屋の奥まで届く)
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ヒューズが見える 

2009年10月13日 | エッセイサロン
               

広島県上下町にある翁座の舞台裏でむき出しのヒューズを見たとき、思わず「ヒューズが飛んだ」と大騒ぎした和30年以前を思い出し懐かしかった。ヒューズが飛ぶと玄関上の鴨居に取り付けた電源の蓋を開き、父がそれを取り替える。今ほど電気に頼らないのどかな時代のはなしだ。

正確には過電流が流れたときヒューズが溶けて電気回路を遮断するので切れると呼ぶのだろうが「ヒューズが飛んだ」といった。その瞬間を見た人は「一瞬火花が飛び散る」と話してくれたことを記憶していた。

翁座の配電盤には電気の使用先が木の板に墨書きされている。電源、扇風器、客席天井、楽屋、舞台(前五灯・中三灯・後二灯)、舞台端、音楽室、舞台前五灯、舞台中三灯、舞台後二灯、1枚は消えたのか判読できない。

今は使っていないが記念に残されているそうだ。それぞれの配線をたどってみると素人でもそのつながりが読める。いい教材が残されている。

今は過電流が起きてもヒューズが切れたとか飛んだとか騒がない。ブレーカーのスイッチをカチカチとすれば復電する。安全で便利になった。舞台裏の暗い壁に取り付けられた配電盤、便利さに慣れすぎた今をどんなに思っているだろうか。

(写真:懐かしいヒューズむき出しの配電盤)
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名優も出演した翁座

2009年10月12日 | エッセイサロン
               


広島県府中市上下町は「紡ぐ歴史 織りなす浪漫」と市の案内で紹介し「メインストリートを歩くと、白壁や土蔵造り、格子戸といった懐かしい町並みが続き、時間が止まったかのような錯覚を覚えます」と自慢している。

高田浩吉、鶴田浩二、大友柳太郎と名前を挙げて顔を思い出したり名前に覚えのある方は、そうした関係者以外は失礼ながら高齢者の仲間いりされている方と思う。ちなみに大友柳太郎は岩国市の出身。こうした名優も出演した芝居小屋を見学した。

JR福塩線上下駅前の広場を渡ると白壁の町並み通りへ。通りに沿って進み交叉点を左折すると突き当たりに大正時代に建てられた芝居小屋「翁座」が目に入る。外観は大正ロマン香る造りで「映画と実演」の看板が時代を語る。京都南座を小さくした造りと案内の方は自慢そうだった。

南座は知らないが内部は水戸黄門で見かける地方の芝居小屋のような感じだ。花道に回り舞台やせりがあり、奈落の入口に緞帳、客は座布団を敷いて舞台を眺めたという板敷きの席すべが古いまま残されている。周囲にかの時代の写真が掲示してある。一番新しいところにご当地出身の平幹仁朗の写真が笑っていた。

小屋の中を見回しながら子どものころ錦帯橋近くにあった銅版ぶきで青い屋根の「錦座(にしきざ)」を思い出した。錦座は取り壊されスパーに変わり40年くらい経つ。もし、あの姿で残されていたら錦帯橋にマッチした観光施設だろう、そんなことを思いながら小屋を後にした。

(写真:ロマン香る翁座の舞台と客席)
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