日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ロマンの町並みで

2009年10月11日 | エッセイサロン
               

「かって幕府の天領として栄えた上下は、備後・備中5万石を支配する代官所が置かれ、いち早く中央の文化が伝わった歴史と文化の町です。当時を偲ばせる白壁やなまこ壁が、訪れる人々をロマンへと誘います」。

石見銀山からの銀を運ぶ街道の中継地点として栄えた「上下(じょうげ)」の観光案内にはこう記されている。また「白壁のにあうロマンのまち」とも自賛している。観光案内どおりの当時の威容を偲ばせる土蔵や町屋が並び、白壁になまこ壁や格子窓といったロマンをただよわせる静かな町並みを散策した。

そんな町屋の中で「指物」と書かれた暖簾、竹ざおにさがった大きなそれは年月を感じさせる色合いで、入口の障子戸とよくつりあっている。

指物といえば木の板や細い角材などを組合わや糊貼り付けして小物の箱などを作る仕事で釘は使わない。小学校の帰りその店先で覗き込んで静かに眺めていた。邪魔と怒られたことは無かった。

そこの入口に置かれたアンティークな椅子のうえの小さな板切れに「coffee room」と小さな文字が書いてある。格子の隙間から中をうかがうと確かに喫茶店風な造りだ。通りに似合う町屋の入口に置かれた英語標記の小さな看板、クスリと笑った。

町名の由来は中心部付近が芦田川(瀬戸内海側)水系と江の川(日本海側)水系の分水嶺になっていることからきたといわれ、04年の合併で広島県甲奴郡から府中市上下町になた。散策路はJR福塩線上下駅前のロータリーから始まる。

(写真:目にとまった指物の暖簾、左下にアンティークな椅子が見える)
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コスモスの意味

2009年10月10日 | エッセイサロン
               

コスモスは英語やギリシャ語で「宇宙」という意味があるという。もともとは秩序正しいという意味の言葉だったが、いつしか宇宙の意味になったという。辞書にもそんな意味が載っている。

確かに、宇宙は恒星を中心にして星は整然と並びも自転しながら公転している。しかしコスモスの花が秩序正しく咲いているとは見えない。その謎を教えられた。

今が盛りと咲いている花のコスモスはどうそて名付けられたのか、その観察のために拡大鏡を持参したIさんは小さなそれを出してみせる。話を聞いて観察をしてみた。

コスモスの花粉は金平糖のような姿で宇宙の星ににている。8枚の花びらの中央に管状花が咲いており、その周囲を花粉が規則正しく取り巻いている。恒星を中心とするそれに似ている。そんな目で見るとネーミングがロマンティックに思える。

コスモス群の間から眺める空は秋の薄い雲が流れている。エッセイ同好会のネタ探しの旅で新しいことをひとつ学んだ。

(写真:恒星をかこむように見える金平糖のような花粉)
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気持ちよく作品作り

2009年10月09日 | 陶芸
               

陶芸教室へ仲間入りしてもうすぐ2年が過ぎる。毎回、20数名の会員が参加し、賑やかな会話を交わしながら粘土をこねている。こねるだけでなく作品も作っている。

いつのまにか使用する作業台が自然に決まったようで、私はいつも№8の台を使っている。作品作りに使う用具は各台ことに所定のケースに収められ、使用後は洗って収めることになっている。

粘土をこねる前にいつものように用具を取り出して驚いた。真白なケースに種類ごとに1本1本並べられている。いつもはグループ一握りという収め方しかしないし、それしかお目にかかっていない。

よし作るぞ、そんな気持ちにさせてくれる用具ケースの中だった。2作品を作った。釉薬も一応イメージしながら何とか納得した形ちになった、と思っている。2週間後に素焼きに出会える。

前の利用者がどこの誰か知る由もないが気持ちよく作品作りが出来たことに感謝しながら、丁寧に水洗いした用具を使い初めと同じように収めた。いつにもまして気持ちよい教室だった。

(写真:前の使用者の人柄が偲ばれるケースの中)
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紅葉がはじまる

2009年10月08日 | 自然 季節
               

今日は24節気のひとつ「寒露」。暦の上では朝露が冷たく、1年を通して昼夜の気温差が最も大きい時期とされる。もう晩秋ということになる。

畑には慈雨を残して台風18号は夜半に通り過ぎた。明けてみれば月と星が輝いている。遠くも近くも稜線は洗われてスッキリと連なる。少し生暖かい風だけが台風の名残を感じさせ寒露には申し訳ないが肌寒さは感じなかった。

寒露といえば子どものころの「カンロ飴」を連想する。透明な包装紙の両端のねじれを戻して金色の玉を口に入れる。頬を膨らませながら口の中を右に左に遊ばせる。大きな玉は長い時間楽しめた。子ども心には高価な思いがしたことを記憶している。

いよいよ秋深まる季節になる。早くも紅葉した街路樹を見つけた。大方の木は色ずきはじめたばかりなのに、数本だけが抜け駆けしたかのように色づいている。慌てんぼうかはたまた目立ちたがり屋かも知れない。

秋といえば松茸。松茸を使わないで松茸風ご飯が炊けるという。家内に話すと近々炊いてくれるという。それで秋を味わうことにしよう。台風一過、なにも起きなかったのでのんきなことを思っている。

台風で被害を受けられた方には心からお見舞い申し上げます。

(写真:早めに色づいた楓の街路樹)

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影 響

2009年10月07日 | 生活・ニュース
               

強い台風18号の接近が毎時のニュースで流れる。雨風や波しぶきを伝えるTVレポーターのいつもの姿が映る。2年ぶりの本土上陸が予想されるだけに、彼らの姿が張り切って見えるなんていっては失礼だろう。

今朝は少し強い風が吹いている。桜の木はほかの木に比べ早く葉を落とす。すでに裸木になったものも多い。その葉がコロコロカラカラと忙しそうな音をたてて、台風の前ぶれの風で路上を舞っている。カサコソという秋の音色とは違う。

風で飛んだり倒れたりしないように庭の花鉢などを寄集めたり縛ったりした。驚くような品種はひとつも無いが、置いているものをまとめめるそれなりの数になる。もとに返すには大変だ。

夕方の台風情報、進路が少し東寄りかわり影響は少なさそうだ。とんだ影響を受けたことになる。こちらの影響は心配だ。年末の賞与支給額がこれまでの最高で13%くらいの減額になるという。こちらはどんな影響が表れるだろうか。

(写真:台風18号の進路予想)
 
迷惑はかけません、押してください。
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田のある風景

2009年10月06日 | 自然 季節
               

遠くに頭を垂れた稲田 中ほどの刈田の中にもみ殻の山 手前に彼岸花
車で通ると なかなか見れない 子どものころに見た懐かしい光景

向かいの稲田で 赤い小型のコンバイン 子気味よい音を響かせている
家族総出だろうか 収穫した袋を重そうに運び積み重ねている 豊作だろうか

心配される日本の農業事情 目の前の収穫を眺めていると ここにはそんな気配は感じない
一家総出の収穫 畦に置かれた大きな包み あれはお昼の弁当だろう

弁当時分に声をかけたら ムスビがもらえるかも 高い空の白い雲を見て思った
コンバインの音が止んだ ひと休みしてお茶のようだ ここではコンバインの音が喧騒だった

カメラを持ってぶらぶらする 誰にも気にされずに歩く 彼岸花は終わりだ
歩く両側の雑草は伸びている 虫たちは夜のために眠っている 起こさないように歩こう
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異常ありません

2009年10月05日 | 生活・ニュース
               

在職中の話。血液検査で胃癌の簡易検査が出来るということで検査を受けた。結果は精密検査の受診指導を受けた。それまで胃の調子が悪いと気にしたことも無かっただけに不安だった。市内の病院で胃カメラで検査した。が、異常は無かった。

数年前、誕生月検査で胃の検査を勧められ、早期発見をと2回目のカメラ検診に応じた。疑わしい個所をサンプリング、検査にまわされた。結果は悪性では無かったが、それからは年1回は検査を続けている。

今年の検査で「半年後に再検査を」といわれ先日受診した。合わせて誕生月に行なっていた他の検査も同時に検査、結果は「すべて異常ありません」と出た。血液検査の検査値はすべて基準内に収まっている。

たばこを吸わなくなって28年目、酒量は退職前の自称1割以下、運動は退職してから6㌔のウオーキング開始、早寝早起きを実行中といいところをあげればこんなとこだろうか。体重は横ばい血圧は正常範囲にある。

食事の量は減ったが何を食べても美味い。今はまさに食欲の秋、心配なくいただけるということは幸せと思う。過ぎたるは及ばざるという、年に見合う食べ方でいろいろ楽しんでみよう。

(写真:鈴なりの渋柿、干柿にしてくれる奇特な人を待っている)
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十五夜を撮る

2009年10月04日 | 自然 季節
                              

仲秋の名月を見るのは低い月を見るのがいい、上に上ろうとする上昇気運があるからという。昨夜はその仲秋の名月。各地のその月をブログで拝見させてもらった。その月も今朝のこの秋最低の気温に少し寒さを感じたかもしれない。12.6度だった。

その月を撮っている女性を見た。錦帯橋を前景に西の山に隠れる構図、自分ならそう写すと思った。月明かりの川面のキラキラする輝きも撮りこむ。その人は写真が趣味の人だろうが、何せ錦川の川風は冷たかった。

隣の屋根から昇ってきた月は雲と戯れながら姿を見せた。なかなか丸い月の形にならない。だんだん高く見上げるようになる。見上げてシャッターは押せない。しばらく待ってやっと1枚。

昔の人は月の満ち欠けを見て農作業の段取りをしたという。仲秋の名月を眺めた翌日の農作業は何が待っていたのだろうか。

(写真:作品性は問わない1枚)
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一十百千万

2009年10月03日 | 生活・ニュース
               

子どものころ、いや社会人になっても大金持ちのことを「百万長者」と呼んだ。50年ほど前の高卒の初任給は8千円から1万円、百万円は天文学的金額だった。今は「億万長者」と呼ぶ。

桁数の多い数字を答えるとき、一、十、百、千、万、・・・と指を折り桁数を数えながら答えた。そんな数字は実生活では役立つことはなかった。ところが最近の金額はあらゆるところで億円や兆円が常識になった。

兆を越えた値は京・垓まではいえる。続けて抒、穣、溝、澗、・・・と無量大数まで続く。以前は宇宙を語るとき使ったという。ついでに小さくなる方は分、厘、毛、糸、忽・・・と清浄まであるそうだ。

「一十百千万」に挑戦、という新聞投稿のタイトルを見た。意味がつかめず全文を読まれた。投稿は70歳の女性。数値の意味は次の通りで健康長寿の講座で聞かれたという。これを毎日続けていれば健康でいられるという話の紹介だった。

「一」は1日1回は自分を褒めましょう  「十」は1日10回は笑いましょう  「百」は1日100回は深呼吸しましょう  
「千」は1日10000文字書きましょう   「万」は1日10000歩歩きましょう

投稿者は工夫しながら千と万にも挑戦されているようだ。簡単にいえる数値にも、ひとたびそこに意味を持たせると高い目標になる。自分に難しいのは十と千。特に千、キーによる入力はあるが書くことは零に等しい。工夫をしなければいけない。

(写真:紙面で億円や兆円の文字を見ない日はない)

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閉 所

2009年10月02日 | 回想
               

会社の近場で家族や職場の仲間と「ゆっくり出来る施設」として保養所が瀬戸内海の島に完成した。夏は海水浴、秋はミカン狩り、冬は忘年会そして春は桜と年間を通していろいろな形ちで訪れる人を迎えてくれた。社内研修の合宿でも使った。

完成した頃はフェリーで渡った。そのご有料橋が完成したがその通行料金の高さに愚痴を言いながらも訪れた。それほど魅力があった。周辺が自治体によって整備されホテルも営業を始めるなど、リゾート地へと変化した。

そんな保養所が閉鎖されることになりその閉所式が工場幹部出席のもと行なわれた。運営に関与したOBのひとりととして案内をいただき出席した。定年後も1年に数回は仲間と遊んだ施設だが、改めて内部を見て回るといろいろ思い出す。

式には開所以来の従業員の方々も出席された。ここに至った説明を聞き時代の趨勢と分かりつつも寂しさを隠せない様子だった。夏の水不足、台風の猛威に立ち向かったこと、新鮮な野菜を食べてもらおうと自主的にはじめた畑作業など思い出ではつきず、全員お泊りをされた。

歴代の管理人は島の皆さんと退職後も親交があり、地域に深く根ざした施設だったが、39年の歴史をおろすことになった。近くにあった他社の保養施設は早くに撤退した。そのあとの荒地を見るにつけ、思い出の保養所もやがてそうなるのか、寂しい気持ちを飲み込み、一礼して車のドアを閉めた。

(写真:少し潤んでいるかのような露に濡れた庭と保養施設)
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