日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

役に立つ人

2015年01月21日 | しっちょる岩国


 年が明け小さな記事だが立志式の3文字が載り始めた。これは「元服にちなんで数え年の15歳を祝う行事で中学2年生が参加する。参加者は自分の将来の夢や決意、目標などを明らかにして、おとなになることの自覚を深める」。二分の一成人もあるから四分の三成人ということになる。私らの時代にはなかった。残念だがその式を見たこともないので感想が書けない。

 市内の公園に「立志の碑」がいたるところに建っている。そんな一つに、吉川家歴世の産土神として敬った白山比め神社の一の鳥居をくぐった左奥、よく見ないと見落としそうな場所に「藤岡市助博士のことば」の碑がある。日本のエジソン、電気界の父と紹介されている。偶然か否か、その場所は、城山ロープウエイ山麓駅そばに建つ市助像の背の方角に当たる。

 碑には、藤岡市助博士10歳の書「至善」が刻まれている。この2字は「博士が常々口にしていた「『僕は人に役立つことをしたい』と対をなす生涯の生活信条」と説明がある。「至善」とは「この上もない善」で「最高善」に同じとある(広辞苑)。

 阪神淡路大震災から20年、その日生まれた子どもらは成人式を迎えた。今まだ学んでいる人も多いがしっかりした考えと行動を持った頼もしい姿が多く紹介されことを心強く思った。それらは「人のために役立つ」ものと感ずるので今後の活動に期待する。新しく立志式を迎える数えの15歳皆が、今年も多くの自然災害に出合った経験を活かし、次世代を担う「役立つ人」になることを期待する。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

警戒情報

2015年01月20日 | 自然 季節


 今日は、暦では寒の中日で24節季の大寒、文字からも立春までの間は最も寒い時期とわかる。3交替勤務の冬季の夜勤はつらい日も多かった。高さ30メートルもあるストラクチャーにパトロールで登ると吹きさらしの風が「よく来た」と歓迎してくれる。防寒着の襟を立てたくらいでは抗しきれなかった。

 武道では寒稽古が行われる。息子は小1から中学卒業まで剣道を続けた。小学校の間は町内の公会堂が練習場だった。寒稽古の朝は午前5時に集合、それから1時間半、身につけているのは下着と胴着だけ、素足で通す。正座をして心得を聞くこともある。寒さに耐えたあの経験はどこかで活きているだろう。見学で骨身にしみた床板の冷たさを思い出す。

 そんな寒さに水をさす「異常天候早期警戒情報」が出た。こういう情報のあることを初めて知った。これは、平年からの隔たりの大きな天候が続くと、社会にさまざまな影響がある。このような現象の発生の可能性について、できるだけ早い段階で発表する予測情報で、気温・降雪量を対象として気象庁が発表する。中国地方は「かなりの高温」で今月24日から1週間の警戒が必要という。

 警戒情報で雪が降らないとスキー場が困ると気象予報士の話。気象庁は「農作物の管理に注意」を呼びかけている。雪が降らないとその年の農作物の出来が悪いと聞いていた。これは農家の経験から生まれたものだが、早期警戒情報はそれを裏打ちした感じだ。冬は寒くなければいけないということだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お年玉事情

2015年01月19日 | 生活・ニュース


 1月最後の楽しみは年賀ハガキお年玉くじの抽選、その年の運勢を見通すほど重大なことではないが「さて今年はいかがか」と楽しむ。今年の抽選会は昨日行われた。1等は10万枚に1本、最近は商品でなく現金で1万円、2等はふるさと小包で1万枚に1本、ここまでの当選はこれまで縁がない、ないが毎年のこと番号の確認はしている。

 3等はおなじみの切手シート、これは100枚で2枚当たる計算になっている。これまで最低は1枚の当たりで坊主はない。確率から今年は4枚当たるはずが結果はその半分だった。昨年は消費増税前で50円と80円各1枚のセット、今年は各2円アップしているのか交換までのお楽しみになる。

 最近、自分の親から自分の子どもへのお年玉を断る現象があるという。その訳は「自分たちの楽しみに使いなさい」という親を思う子ども心からの発想とある。年金生活者といえども孫へのお年玉は楽しみの一つと思うが、楽しみを奪われるのかそれとも新しい楽しみを増やすのか、考えどころだ。孫へのお年玉は老後の面倒すべてを託すため、という人はいないだろう。

 正月休みが明けて子どもと一緒に貯金に行く。手続きが終わると「はい、お年玉」と郵便貯金の窓口の人が渡してくれる。物は記憶していないが、正月明けに預貯金できるのは子どもなんだ、と納得したことがある。ATMの時代では思いつかない昔の話になる。どんどん子供や孫に金を回せば優遇するという国策、どんどん回ってくれば回せるのだが、その策は残念ながら持っていないのでお年玉で勘弁してもらう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ローカル線

2015年01月18日 | 地域


 JRの線路上をコットン、カッタンと鉄路特有の音をたてながら市街地へ向かう第3セクター上りのジーゼル車は1両。ローカル線ならではののんびり、のどかな光景に見える。

 最近、猿を群れごと捕らえる大型の仕掛けが設けられ住民の皆さんがその効果に期待している、集落の住民の数よりより農獣の数の方が多い、そんな表現をされる市内北部の山間部から山裾を縫うようにして走ってきたジーゼル車は過疎地と市街地を結ぶ唯一の公共交通として頑張っている。

 セツブンソウはこのジーゼル車を利用しないと繁殖地へ行けない、ホタル見学やマツタケの食事もジーゼル車を利用すると特典がある、窓外の眺めの良い所では減速して景色を堪能してもらう、沿線の魅力を取り入れながら走っている。

 この路線は錦川清流線といい、名前の通り清流沿いを走る。市街地の到着駅のホームは0(ゼロ)番。いかにもローカルらしくていい。下りはその「ゼロからの発車」、市街地の何かを清流沿いに運んで行くことだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

午前5時46分

2015年01月17日 | 生活・ニュース
 6434人の命を奪った阪神淡路大震災は今日、20年の節目をむかえた。午前5時46分、読みかけの朝刊をそばに置き、TVの実況に合わせ黙祷。

 20年前の朝を思い出す。起床していたが大きな揺れに驚きすぐにTVのスイッチを入れる。ほどなく大地震の様子が画面に映る。神戸からの映像に大変なことが起きたと感じる。同時に、年末に棟上げを終えた我が家の新築中の工事現場が気になる。出勤時間を早め回り道をして建築現場に行く。途中で地震の影響見かけなかった。現場の外見は異常なしでほっとする。

 職場でも情報収集、時間が経つにつれドラマかと思うような映像に驚く。社員家族被災の報が入る。それについて報道機関からも問い合わせがある。そのうち同僚の母親の救助待ちも判明するが、無事救出でほっとする。高校のクラスメートが亡くなったと届く。職場全体が落ち着かない1日だった。やがて、インフラの一つである都市ガスの配管復旧応援に、関係する職場から多くの社員が交替で現地へ赴いた。

 年月を経て、被災地の街並みは整い外観からは復興は終ったように映る。そこに住む人の高齢化、止むことなく続く被災者の孤独死、被災を知らない4割のひと、完全復興にはまだ課題がおおそうだ。しかし、あの震災の時に若い人を含む多くの人から生まれたボランティア行動、その後の各地の災害で大きな大きな力になった。災害という不幸はあったがそこから生まれた互助の芽が続いていることを心から喜んでいる。
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実になれ

2015年01月16日 | 自然 季節


 さまざまな岩国の姿を写真で紹介しているブログある。テーマは風景に生き物が主体だが写真にはひと口コメントがついている。コメントはよくある「この写真の狙い」などという押し付けるものではなく植物や生き物の名前など。だから先入観なく写真への感想を持つことができるブログになっている。撮影の腕は素人の目から見ればプロ級だ。

 近影の中に「餌の乏しい冬場には野鳥も生きるために必死です」とスズメの餌を横取りしたヒヨが撮られている。そういえば、多数のカラスが死んでいたというニュースで、死因は餓えによるものとあった。カラスが餓える、身近で目にするその姿からは想像できないが、現実の自然界は厳しいことを改めて知る。

 庭の千両などの実をとられると「野に餌はないのか」「少しは残してくれ」など追い払いはしないが思う。年を越せた千両の実はわずかだった。そんな千両に年明けの雪の日、1羽やってきた。が、実はほとんどない。それでも飛び去らずこちらを見ている。そうか、新年の挨拶にやって来たのか急いでミニカメラで撮る。

 植えた覚えのない十両が何年か前から育ち今では実がなる。やって来た野鳥が糞と一緒に種を置き土産にしたのだろう、と思っている。その背の低い十両の実も餌にしている。飢饉に備えたわけではなかろうが連鎖が面白い。農獣対策の参考にならないか。明日からセンター試験、これまでの努力が実るように頑張ってほしい。 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

点火

2015年01月15日 | 生活・ニュース


 1年の最初の月は正月、新年という祝いを感じる。三が日は正月気分が充満、仕事始のころから正月気分は次第に薄くなり松の内7日が過ぎると3学期も始まり、祝いの気分は抜ける。15日は小正月、祝い気分はなくなり今日をもって正月行事は終わるといわれる。豊作祈願など農作業に関する行事が始まる。地域によっては二十日を二十日正月として祝うこともあるとか。豪雪地帯では正月ならぬ連日の雪下ろしで厳しい日々が続いている。

 1949年から同99年までは今日15日が成人式、ハッピーマンデー法制定により2000年から1月の第2日曜日へ移動した。成人式のルーツは終戦翌年の1946年11月、埼玉県のある町で行われた青年祭という。「敗戦により虚脱の状態にあった当時、次代を担う青年達に明るい希望を持たせ励ますため」開かれたと残されている。現在は「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」の趣旨になっている。半世紀以上前に通り過ぎた節目、間もなく後期高齢者へ仲間入りする身、気持ちだけは老いない点火剤を見つける節目の年にしたい。

 点火といえば町内の年初の行事はとんど焼。自治会役員皆さんの骨折りで開催される。持ち寄った締め飾りなどが竹で組まれた架台に積みあげられる。その中には書初めや神社のお札、手製の門松もある。点火は参加者の中の年男年女の希望者なら誰でも、今年も高齢の方が多い。点火の合図で、準備された松明式の点火棒が飾りの山に点火する。

 勢いよく炎が立ち上る、今年が勢い盛んに栄えることを願い拍手が始まる。炎の熱と勢いに押され見物の円陣が大きくなる。接待の善哉をいただきながら見事な火勢に景気の回復を願った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中洲のこと

2015年01月14日 | 地域


 ここ、清流錦川も今は渇水期。中洲のススキや雑草も枯れ獣道のような跡がある。そこを抜けると流れで運ばれた砂が盛り上がった広がりがある。さらに進むと水辺に出る。川面の向こう側の水は濃い緑色で、水深の深いことを教える。数羽の鴨が流れに乗って下流へ向かっている。

 中洲にはいろんな流失物が枯草や小枝、川石の隙間に掛かっている。樹脂製の袋やフィルムが多い。故意か大雨によるものか分からないがフィルム類を重袋に詰め込んだものもある。ポリ容器、飲料用の缶など資源品として回収される物が目につく。見るからに芸術品かと見間違う流木の根の張り方、自然の美展会場になる。

 そんな中洲の盛り上がった砂の端に四輪の手押し車が「誰かを待っているよう」に止まっている。こんな場所まで手押し車をわざわざ棄てにくる人はいない。やはり増水の日に流れ流れてたどり着いたのだろう。似たような車を押して散歩される高齢の人をよく見かけている。いつ流れ着いたかは分からないが失った人は困っているだろう。そんなことで誰かを待っているように見えるのだろ。

 ここの中洲は草木が茂ると、どこからやって来るのか野鳥の住みかに変わる。声の聞き分けが出来ればあの鳥だ、この鳥もいると楽しかろうが、ただ「鳴いている」と聞き流して通り過ぎる芸の無さを続けて何年になるだろう。中洲の浚渫のたびに野鳥はどうなると思うが、再び帰ってくる。中洲ある限り鳥の過疎化はなさそうだ。
 

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散歩のあれこれ

2015年01月13日 | ウオーキング 散歩


 足腰の衰えを少しでも遅らせようと歩く。定まったコースはなく気の向くままに歩いている。交通の要の広い道、岩国藩時代名残の迷路のような狭い道、戦災にあわなかった西岩国の町並みは新旧の町姿が混在していて繰り返し歩いても飽きない。それでも、藩時代の古い町名の面影は年々少なくなっていく。

 あてもなく歩いていても思わぬことが目に入ることがある。そんな一つに岩国検定に所属してからは古い町名などにも興味を持つ。城下町中心にある7つの町名はよく知られ、観光案内にも載っている。その裏通りに回ると、案内にない町名もある。琵琶町、登富横町、蛤町、最近、偶然見つけたのは「歴史町名 新地」。汚れた看板に薄くなった墨の跡がわずかに読める。新地は遊里、いろまちを表す。看板のある通りは昔いろまちだったと聞いていた。それを思わせる古いたたずまいが1、2残っている。

 収穫されない柿やビワにイチジク、耕作放棄された畑作物の立ち枯れに背丈ほどの雑草など高齢化がジワリ忍び寄っている光景に現実を感じる。声をかけられ名前を思い出すのに時間のかかる人、新聞に掲載された短文の感想を聞かせてくれる人など思わぬ人に出会う。雑草の中に咲いている花には思わず小さなカメラを向ける。

 この時期の楽しみの一つに川面に遊ぶ越冬の野鳥。静かに近づいたつもりでもカメラを構える前に逃げられることはしばしば。のんびり水面に浮いているようだが油断はしていない。本流から川洲によって分岐した小川ほどの流れに一団の野鳥、近づいても飛び立たない、見るとそれは川鵜だった。200羽近い集団が上流へ向いて行く。これほどの集団は初めて。川面を乱すことなく進む黒の集団、川魚が獲れない一因はこの集団にあり少々不気味、長い隊列を眺めながら思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩国検定物語

2015年01月12日 | しっちょる岩国


 手元にB6版の一冊がある。よく「世に一つ」とその存在を例示する言葉はいろいろある。希少品、逸品、珍物、名品、貴重品など対象によって使い分けはあるがいづれも「何だろう」と思わせる言葉だ。TV鑑定番組の「いい仕事してますね」、この表現は手元の一冊にまさにピタリと当てはまる。

 ブログを冊子様式に変換された「岩国検定物語」の全文が「お暇な時に読んでみて下さい」とOさんからメールで届いた。その「まえがき」を借りると「この本は、私の書いているブログ『写真エッセイ&工房木馬』の内で、2009年12月15日にから2014年12月末までの内、計3回実施した『岩国検定』にかかるものを抜粋して古いものから順にならべてみたものです」とある。早速、印刷、表紙は保存を考えて少し厚い用紙で自己流にデザインし製本した。

 県内のご当地検定は自治体や公的機関が主体になって実施されているが、当市ではそれらに取り組む姿勢がない。そこで、報道でも全国的に珍しいと記事にされた「民間人有志の会によるご当地検定」を立ち上げた。その立ち上げから5年、この間に3回の検定実施、テキスト本の発行とそれのCD化、さらに問題作成の苦心談などこの間の貴重な記録になっていて、活動の様子が凝縮して伝わる57編を一気に読み終えた。

 検定委員会の代表はブロガーのOさん。問題作りで、納得するまで文言一字一句を正確に表現する姿勢は、観光客誘致を図る自治体職員に学ばせたいと何度も思った。同時に、検定の位置づけの重さを強く自覚することにも連なった。掲載のたびに読んだブログも本として纏まり読み返すと、昨日のことのように思いだす。我が活動の一つとして書架に残す1冊とする。Oさんに感謝。 


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする