子どものころ「天下の名勝・錦帯橋」と呼んでいた。錦帯橋は清流錦川に架かる5連のアーチ式木の橋で1922(大正11)年3月に国の名勝に指定された。今のような通信手段の乏しい時代「天下」を冠にして誇っていたのは地域性だろうかと面白くおかしく思う。年間70万人ほどの人が観光に訪れる市内一番の観光スッポトで、1673(延宝元)年に洪水にも耐えられる橋として、第3代岩国藩主・吉川広嘉の命により架けられた。
翌年の洪水で流失したが2代目の錦帯橋はすぐに再建された。以後、276年間不落を誇った錦帯橋も1950(昭和25)年9月14日のキジア台風で流失した。53(同28)年、3代目の橋が完成した。この時、渡り初め式の終わるのを待って、横山へ向かって渡った。立錐の余地もない祝う人の流れを記憶している。
架橋技術の伝承などを目的に平成の架け替えが2004(平成16)年に完成した。これからも計画的に架け替えが行われることになっている。錦帯橋の中央3連には段差はわずかだが階段がある。もしなければ渡橋には大変な困難を伴う。昨年末にはなかった、「段差で転落注意」の立て看板が出た。下りで踏み外し転倒した人が立ち上がるのに手を貸したことがある。
上がる時は段差が見えるが下りるときは1枚の板に見える。古い橋の時は各段差のところに銅板が取り付けてあり段差の位置がハッキリしていた。何度も渡るが下るときは確認して1歩を踏み出している。「あの段差は慣れません。景色を見ながら歩いていると、危ないですね」という地元の方の声がある。観光でお越しの方ご注意ください。