日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

大樹の中は

2018年10月21日 | 地域

 市内の由緒ある大樹が「危険になった」ということで伐採されることが相次いだ。台風など強風や空洞化で倒れ、人はもとより周囲に被害が起きてはならないことは分かっている。しかし、いきなり「伐採です」と知らされても目の前の姿は昨日と変わりなく茂っており驚く。何か手立てはないのかと聞きたくなる。

 吉香公園の県指定の天然記念物だったエンジュの木が、「樹勢の衰え、腐食の原因となるベッコウダケの繁殖、根元や幹の腐食、空洞化も進行し回復できる状態になく、強風などで倒木の可能性がある」と診断され伐採されされたのは、この春の染井吉野の咲く少し前だった。地上から3㍍を残し哀れな姿だった。切り口付近かに小枝が生えだしたのが梅雨前、その数は増えそして伸長し今は驚くほど茂っており、樹勢の衰えを疑う生命力を保っている。伐採は良かったのだろうか、現状ではそう思う。

 一方で、染井吉野には外見からして、咲くのはもういいでしょう、と呼びかけたい老樹も多い。樹齢は60年だ80年だと言われるが、接ぎ木の宿命で空洞化は起きるという。これも倒れると大変なことになる。こちらも伐採されているが、幹の根元周囲が3㍍はあろうと思う伐採跡を見た。幹回りを少し残すだけで樹の中心部は空洞になっている。

 これに似た姿をした老桜は多い。伐採の跡には若木の補充をして桜の岩国という伝統を守って欲しい。そう思いながら写真を撮っていると「今の国の政治とよう似とります」と通りかかったが婦人ひと言。大多数の国民願望とはかけ離れた中身の薄い政治をチクリ。伐採された老樹は今日まで花を楽しませてくれ政治に関わりはしなかったが、最後の務めをしたように思えた。今日までありがとう。
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うららかな陽

2018年10月20日 | 自然 季節

 うららかな陽にさそわれて散策に。まず気になっている遊戯屋に向かって進む。このところ車で通るたびに「本日休業」の立て看板が入口に置かれ、ロープが張られている。開店当時は駐車場に入りきれないくらい楽しむ人で繁盛していたが、最近は駐車場の空きが目についていた。休業となっているが店内に灯りは無くひっそりしている。直近の市議選でスーパー誘致をこの地に約束した候補が当選した。何か動くのだろうか。私はこの遊技場に足を運んだことはない。

 よく晴れた秋の柔らかな陽が川面のさざ波に反射しキラキラと白く輝いている。それは長い川面の舞台で白い輝きが踊っている様で、橋上からそれを眺めていると、まだ鑑賞したことはないが映像で見た多くのバレリーナの舞う舞台に思える。そんな様子を離れたところからシラサギが1羽眺めてる。

 20数年前まで住んでいた一歩奥まった通りを歩く。通りの両側に軒を連ねていた大正、昭和の姿をした家はわずかしかなく、モダンな新しい家が立ち並び、通りの様子は大きく一変していた。住んでいたころには無かった駐車場があちこちにあり、時代変わりしたことを感じながら、どうして昔の姿を求めるのか自分にもわからない。

 「高齢者は骨粗鬆症の予防として一日に少なくとも15分は日光に当たるように」そんな注意書きを読んだ。うららかな陽を全身に浴びながら気ままな散策は、たわいないわだかまりなどどこに追いやってくれる。良く晴れた秋の青空に白い雲が、観光客でにぎわう錦帯橋畔を見下ろしている。
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歩数と歩幅

2018年10月19日 | 生活・ニュース

 
 定年退職までは散策や散歩、ウオーキングなど表現は違っているが意識したことは無かった。定年後の健康策の一つとして歩くことを初めるについて歩数計を用意した。今日まで置き忘れで無くしたり、踏んづけたりで何度か新しく購入した。その度に歩数だけでなくカロリー消費量、歩行距離など表示でき参考にしたが、毎日のことなので参考数値は見なくても分かるようになった。

 今、使用している歩数計はこれまでにない進化をしている。従来は感度調整用のボタンがあった。落としたりして衝撃を与えると正確な歩数表示をしなくなるので、実測しながら感動を合わせていた。使用中の物には感度調整ボタンがない。何度か衝撃を与え、その都度歩数を実測してみた。購入時の感度そのままで、調整ボタンは必要なかった。

 これまでは測定の仕組みは覆われていて見ることはできなかった。それが技術の進歩だろう、見えなかった部分が小さな基盤になっている。素人でよく分からないが、これでは外部から感度調整は出来ない。ということはメーカーにとっては自信作だろう。たまに感度確認をしているが狂いはない。

 そんな正確な歩数計なのに、同じコースを歩いているのに歩数が以前より若干多めに出る。不思議に思いながら深く考えなかった。最近その原因に気づいた。それは歩幅が退職のころに比べ5㌢くらい狭くなっていた。100㍍で20歩、5㌔で1000歩多くなる。よし、意識したからには歩幅アップを心掛けて歩こう。
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菜園の潤い役

2018年10月18日 | 生活・ニュース

 清流で知られる錦川沿いにはあちらこちらに菜園がある。中には定年退職後の健康と趣味と、そして経済的指向から作る人があり、そんな知人も何人かいて、出会うと土産を持たせてくれる。10年以上も散歩かてら見ていると、菜園が雑草や小木の茂る荒れ地に姿を変えた畑も多い。これまで見て来た作業姿から、大方は高齢化がそうさせているように思う。

 川沿いの菜園といえども、畑を潤す水が川面から一人でやって来ることはないので雨か人手で賄うしかない。その役目を担うひとつに手押しポンプがあり、菜園には幾つも見かける。しかし、雑草に覆われその姿が見えなくなったポンプもある。この夏の暑さではしっかり働かされたのではなかろうかと思う。川沿いなので水脈に不自由は無かろうが、汲み上げは大変な作業だったろう。

 知人の菜園にあるポンプは設置から20年以上の時間が過ぎたという。この間、風雨にさらされてきたが1度も故障をしない優れ物と自慢する。ただ、ポンプは元気だが、年々、手押しがつらくなり畑は水不足気味と笑う。まもなく80歳の知人、仕事がなくても土に足音を聞かせると畑を見回りに来る。そんな大事な畑の後継者をどうするのか聞き出せないでいる。

 ポンプのほかに水確保の工夫がある。農業器具を仕舞う小屋に雨樋をつけ、その先端が貯水槽に届いている。雨水も貯水槽には直接降りこむので効率は良い。貯水槽はドラム缶や古い風呂釜などユニークだ。貯水槽からパイプを引いた畑もある。水を制する者は一国を制するというが、水無くして畑は成らずということだろう。
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プリンターの入院

2018年10月17日 | 生活・ニュース

 夜に作り上げた写真を何枚か並べたA4サイズの1枚、出来栄え確認のため印刷する。少し手直しの必要個所を確認した。修正は翌日としてパソコンを閉じた。よく朝、手直し個所を修正し印刷を始めた。いつもと変わらぬ軽い音で印刷が始まった。出来栄えは、と見ると、昨夜は異常なかった印刷面が妖怪が住み込んだかと思うほど異常な姿でプリントを終えた。

 セットが拙かったのか、など思い慣れたことだが確認しながら再プリント、最初より悪い。ヘッドクリーニング等をして3枚目をプリント、さらに悪化する。ためしにモノクロでプリントしてみると全く問題ない。溺れる者は何とか、ソフトを再インストールするも変わりなし。ということで緊急入院となった。保証期限残り半年で費用負担なし。

 印刷が帯状で色替わりする。正常な色で印刷の部分、白黒だけ抜き出して印刷、全面ピンク、これらが混ざりあった個所などが、A4の面に縞となっている。入院手続きで基盤の交換などがあるかも、そんな推測もあった。期間は10日くらいという。傍にあるはずの物がないということは落着かないし、プリントできない不便さを経験した。

 原因は電気的な特性ずれ、ロジックボード(論理回路基盤)を交換したというコメントがついて退院してきた。基盤交換のためドライバの再設定が必要とある。再設定は自分でやれば0円、店頭で頼むと4千円、来宅設定だと7千円、0円で済ませた。プリントヘッドも交換済だった。異常印刷をしているプリンターの中はさっぱりわからない。いつの間にか使っている気分になっているが、実のところは翻弄されていることがよく分かった。
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今年の柿は

2018年10月16日 | 生活・ニュース

 柿やミカンなどの果樹には実のなり具合に表と裏がある。表は収穫大、裏はその逆、その原因は理解していないが、1本から収穫する数を調整しているとリンゴ農家に聞いたことがる。これなら台風などの被害がない限り裏表はないだろ。リンゴに大きな裏表があるとリンゴが食べれなくなるかもしれない。

 通り道で見かける何本かの柿の木、旬のはずなのに全く実のついていない木と、よくいう鈴なりの両方がある。どちらも人の手が加わっているようには見えない放置された木だが、生り具合には表裏が明確だ。表裏は柿全て同一でなく柿の種類によって異なるのかもしれないなど見上げて思う。

 柿と言えば、故郷演歌の代表作の一つだと思うのは大竹市出身・石本美由起作詞の「柿の坂の家」を思い出す。1957(昭和32)年の曲というから高2のころ、大竹市は今の街風景からは思いつかない歴史を感じる通りだった。石本が描く駅から三里の故郷は市北のはずれになるだろう。ふるさと、赤とんぼ、村祭り、機織り、山ふもとに色づいた柿、そんな風景の中で乗合バスの悲しい別れ、古いと言われるかもしれないが、日本の原風景の一つとして思い浮かぶ。

 大竹市出身の同期が長くマレーシアに駐在していた。赴任して食べたくなり、手を尽くして探しても口に入らないのが「柿」と報せてきた。留守宅経由で送った柿を喜んでくれたが、柿は日本の果実ということをしばらくしてから知った。柿は鳥や猿の餌として粗末に扱われているが、日本の秋を味わう貴重な品として今一度見直そう。
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土の中の芸術家

2018年10月15日 | 生活・ニュース

 月1度の仲間との農作業、遠くは片道40㌔余り車を走らせて参加する人もある。この日は絶好の秋日和の下で体を動かし久しぶりわずかだが汗をかいた。相変わらず雑草は茂っているが、日差しが柔らかくなった分だけ優しく感じる。と言って雑草に優しくするわけにはいかないから根こそぎ抜き取る。

 この日の収穫の目玉はここ数年、畑の常連になった落花生。殻付きを植えて何カ月か、猛暑にも、日照や少雨にも、群がる農害虫にも負けず茎も葉もよく育ち、収穫を待っているように見える。「少しのものもふえて多くの数になる」ことを「一粒万倍」と表すが、落花生にはピッタリ、ひと粒が何千倍かと思うほどについている。その一粒一粒を残さずもぎ取る。忍耐も体験する。

 サツマイモを掘る人が「よう育っとる」と大きなそれを捧げて見せる。片方で細く短い体形もいくつか出るが出来合い出来合いと慰める。ほかに大根や人参の間引き菜、ピーマンにネギなど、新鮮な土付き野菜を収穫、参加者で山分けして持ち帰る。持ち帰った落花生は水洗いして土を除き干す。

 持ち帰ったサツマイモの一つが何かの生き物に似ている。首位置の自然な曲がり、とがった口もとには長い髭、頭部の目とおぼしきあたりに小さなそれらしき跡、生き物に思える。水鳥のようであり海の生き物のようでもある。いやいや、土の中から登場したのだからモグラ似かもしれない。自然の素晴らしい芸術性に驚きながら鑑賞し感嘆する。
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鉄路は重要

2018年10月14日 | 地域

 「線路はつづくよ どこまでも 野をこえ 山こえ 谷こえて はるかな町まで ぼくたちの たのしい旅の夢 つないでる(以下 略)」。この歌は何の違和感もなく汽車の旅を楽しむ日本の歌と思っていたが、19世紀アメリカの西部開拓時代、大陸横断鉄道の工事現場で働く人達の様子が描かれているアメリカ民謡という。この線路、大きな自然災害起きると必ず線路が断たれる大きな被害が発生し通勤や通学、物流などに大きな影響が出る。

 直近7月の西日本豪雨により山陽線、岩徳線、清流線と近辺の線路は各地で途絶えた。順次復旧したが、その時の利用者のほっとした笑顔は、日頃感じない鉄路の重要性を教えてくれた。山陽線は昨日90日ぶりに完全復旧し、山陰線経由九州行きだった貨物列車が走ったことがローカルニュースでは大きく報道された。

 それほど重要な鉄路の日常管理は人手と経費を要することは分かるが、決して疎かには出来ない。子どものころにツルハシを使っての保線作業を見ていたが、今は機械化されているだろう。しかし目視でないと見えない個所もある。ここ錦川に架かる鉄橋では、橋げたまで雑木が伸びている。これが上流からの流失物を素阻止すると鉄橋に影響しないかと眺めた。

 がらりと変わるが、先日10数年ぶりに新幹線で岩国~東京間を往復した。座席は変わり映えしていなかったが、喫煙車両の案内を聞いて変化の一端を知った。家庭でいう水回りも綺麗になり防犯対策にも工夫を感じた。日帰り出張には欠かせなかった新幹線だったが、いつまで「新」なのだろうか、そんなことを思いながら夕食の駅弁を食べた。 
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温いので

2018年10月13日 | 生活・ニュース

 麦わら帽子を冠った人が、屋敷と道路の境界に伸びた雑草を抜いている。「綺麗になります」と声を掛け通り過ぎようようとした。「今日はええ日和で温いので、日向ぼっこをしながら抜いとります」と言いながら立ち上がり、腰を伸ばし真っ青な空を見上げる。麦わら帽子ではっきりしないが私よりは年上のようだ。

 「若い者は草抜きは私のすることと決めております」と話が続く。若い者が息子か娘かは分からないが、口調は嬉しそうで同居する家族との睦まじさと、任されている仕事の喜びが伝わる。生きていれば105歳になる母も元気な時はこんな姿で庭の草抜きをしていたことを思い出す。お陰で庭が草で見苦しくなることはなかった。

 「雑草が茂って」という言葉に「植物にはみんな名前がついている」という答えがあったと何かで読んだ。雑草は「自然に生えるいろいろな草、農耕地で目的の栽培植物以外に生える草」と説明される。これは取り除くしかない。防除は手や機械、除草剤等などいろいろだが、最近はこれを処分する野焼きを問題にする人が増え、地域で混乱が生じているという。かっての田園地帯の宅地化が原因らしい。いい解決策を見出して欲しい。

 話していたのはわずかな間だったが市議選最終日なので選挙カーが、草抜きに対してだろう「ご苦労さまです。よろしくお願いします」と何台か通り過ぎた。草抜きの人は笑顔で応え手を振って見送る。温もりのある人柄を感じる草抜きをする人だった。
 

 

 
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秋の夜長

2018年10月12日 | 自然 季節

 県内でも最低気温ひとけた台の観測地点が複数出始めた。晩秋へ向かっていよいよ秋深まるころになった。一年で一番夜の長いのは冬至だが、夏の短い夜の後だけに日暮れの速さと夜明けの遅れから秋の夜長を感じる。この季節になると昔農家では草鞋やわら靴を編んだり、縫物など夜業として精を出した。読書に耽る人も多かった。ぬくぬくとしてスマホに耽る今とは違った。

 通りすがりに「綺麗になります」と声を掛けたら「早うのけんと秋が逃げるけえ」と返って来た。この家は毎年、西日除けとしてゴーヤとヘチマを2間ほどの窓沿いに植えてある。手入れが良いのだろう両方とも実入りの良い形がいくつも下がる。猛暑だったこの夏の陽ざしをやわらげた弦や葉は枯れかかっているが、ひと夏の働きに満足している様に見える。

 そんな秋の深まりに驚いたのかカマキリが秋色に変わっている。先日の朝顔撤去の時に現れたカマキリは緑色の保護色を誇りかま足で威嚇してきたが、胴に緑の後が少し残っているだけの姿、どこに行こうとするのか網戸を上っている。カマキリは生きた虫でないと餌にしないといわれるから、餌を捕らえる機会が減り栄養不足なのか、それとも秋色の保護色に変えたのだろうか。

 高・中・小の運動会が終わると次は園児らの運動会。近くの人から。「孫の運動会は午後だけ」こんな話を聞いた。その訳は、弁当を作るのが面倒だからという母親の意見が通ったという。保護者会で採決でもして決めたのだろうか、後期高齢者には理解できない現実に驚きながら、地域のコミニケションなど他人事とする個人主義に悩む秋の夜長かな。
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