AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

大谷翔平の40盗塁・40本塁打をリアルタイム観戦した。(ときめき研究家)

2024-08-25 15:59:10 | ときめき研究家
日本時間8月24日土曜日、大谷翔平が40盗塁・40本塁打を達成した試合を観戦した。
4回の内野安打と盗塁はNHK-BSテレビで見た。左ピッチャーのモーションを完璧に盗んだスタートだった。キャッチャーが握り損ねて2塁に送球できなかったが、もし投げていても楽々セーフだっただろう。
9回の劇的なサヨナラ満塁ホームランは、実はテレビでは見ていない。外出先で、インターネットの「一球速報」をチェックしていた。動画ではなく、ダイアモンドの図とテキストによる速報だ。前のバッターが四球で二死満塁になり、すごい場面で回って来たなとドキドキしながらスマホ画面を凝視していたら、いきなり「本塁打(4点)」の表示に切り替わった。大谷が打った映像を見たわけではないが興奮した。もちろん、夜のテレビニュースで、実際の映像は何回も見た。
さて、私は大谷翔平の劇的なサヨナラ満塁本塁打をリアルタイム観戦したと言えるのだろうか?
私は自信を持って「イエス」と言える。

リアルタイム観戦か否かは「結果を知らずに観戦したか否か」なのだと思う。
観戦の媒体は何でも構わない。現地の球場で観戦するのが最も臨場感があるだろうが、テレビでも、ラジオでも、そして私のようにネット情報でも、結果を知らずに観戦すればそれはリアルタイム観戦だ。
もっと言えば、録画しておいたテレビ中継を、結果を知らない状態で再生して視聴すれば、それも疑似的なリアルタイム観戦と言える。私は競馬中継をよくそのようにして見る。馬券が当たるかどうかドキドキしながら見るのが楽しいのであって、結果だけ後で知るのではつまらない。外出などで生中継を見られないときは、ニュースなどの情報を遮断して家に帰るのに細心の注意を払う。

スポーツの種類によって、テレビ、ラジオ、インターネットといった観戦手段の向き不向きはある。野球は、1球1球プレイが中断するのでインターネットに適性がある。今回私が見た「一級速報」など、とてもよくできている。もちろんラジオ中継にも非常に親和性が高いし、長い歴史もある。だから、聞いていて、どのようなプレイだったかほぼ想像できる。
一方、映像がないと厳しいと思うのが、サッカー、相撲だ。プレイが連続し、中断しないし、目まぐるしく状況が変わる。それをラジオやインターネットで的確に伝えることは非常に難しい。それでもやむを得ず観戦することもあるが、野球ほどには楽しめない。ドキドキしない。
野球以上にインターネットに向いている競技は、囲碁・将棋だろう。多くのファンは実際インターネットで楽しんでいる。ただしこれらの競技は、ラジオ向きではない。

さて、ここでようやくアイドルの話になる。
アイドルのライブを動画配信で見ることは一般的になっている。自分の推しメンだけをずっと見るような楽しみ方はできないが、ライブ全体をほぼ現場にいるのと同じように楽しむことができる。また、スポーツのように「結果を知らずに観戦」することは求めていないので、「リアルタイム」というのも必須ではない。後日の配信やDVDなどでも充分楽しむことができる。
もっと言うなら、映像がなくても、音声だけでも十分だ。昔は「ライブ盤」のレコードも発売されていた。今のように映像ソフトを手軽に家庭で楽しめる時代でなかったこともあるが、そもそも音楽は音声で楽しむもので、映像は付加価値に過ぎなかったのだ。
更に言うなら、インターネットの記事でライブのセットリストを眺めるだけでも、楽しめることもある。
すこし前に、宮本佳林主演舞台『ザ☆アイドル』の鑑賞記を掲載した時、ナッキーさんから「記事を読んだだけで実際に見たような気になった」という言葉をいただいた。最上の誉め言葉で、嬉しかった。
観戦・鑑賞の媒体、スタイルは多様であるということだろう。
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アラン・ドロンから連想するアイドルは?(ときめき研究家)

2024-08-20 22:27:52 | ときめき研究家
アラン・ドロンが亡くなった。二枚目俳優の代名詞とも言える大スターで、日本のアイドルの楽曲にも登場している。

『アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた』(榊原郁恵)は、どんな二枚目俳優よりもあなたの方が好きと言う他愛のない内容。榊原郁恵の4曲目。奇抜なタイトルだが、ほのぼのとした青春ソングだ。ハーモニカのイントロ、間奏が印象的だった。気になって調べたら、アル・パシーノの方はまだ存命のようだ。(榊原郁恵に関する過去記事はこちら

『赤いハイヒール』(太田裕美)は、「アラン・ドロンと僕を比べて陽気に笑う君が好きだよ」というフレーズが出て来る。榊原郁恵の曲もそうだが、世界的なスターと身近な恋人を比べるという構図だ。比較対象となるスターは、名前を聞いただけで誰もが知っている有名人でなければならず、アラン・ドロンなら文句ないということだろう。

『太陽がいっぱい』(松本伊代)は、アラン・ドロン主演の代表作のタイトルを借用している。私はその映画を観たことがないが、映画の内容と歌詞はあまり関係がないと思われる。松本伊代の初期の楽曲『センチメンタル・ジャーニー』『ラブ・ミー・テンダー』『抱きしめたい』は洋楽の曲名を拝借しており、それと同様のノリだろう。映画の題名の借用で有名なのは『勝手にしやがれ』(沢田研二)がある。
『太陽がいっぱい』という同曲名は光GENIJIにも使われていた。

それでは、日本で、アラン・ドロンのように二枚目俳優の代名詞として使われ、歌詞や曲名にも使われるようなスターはいるだろうか? すこし前なら、石原裕次郎や高倉健は該当しただろう。
現在存命の俳優では誰かと考えてみたが難しい。俳優としての格で言えば役所広司だろうが、彼は二枚目だけでなく多彩な役柄をこなすので条件には合わない。
よくよく考えて出た結論は、人によって好き嫌いはあるだろうが、木村拓哉なのだと思う。
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同じ本を2度読むのは時間の無駄なのか?(ときめき研究家)

2024-08-16 14:48:37 | ときめき研究家
最近気になるテレビコマーシャルがある。
サントリーのノンアルコールビールを飲みながらのんびり読書していたダイアン津田が、突然「この本、読んだことがあった! 時間返せ!」と叫ぶのだ。
このコマーシャルは、飲んでも酔うことがなく、読書もできるというノンアル飲料の良さを伝えている。そして、一度読んだことのある本に途中で気づくという、誰でもやったことがある「失敗」を微笑ましく描いて、好感度を狙っているのだろう。しかし、私は「時間返せ」という一言に引っ掛かってしまう。

同じ本を2回読んでしまうのは、本当に時間の無駄なのだろうか?
それは、その人の価値観によるだろうし、読んでいる本の種類にもよるだろう。
気に入った小説の本なら、二度三度読み返すことはよくある。あるいは伏線がたっぷり張ってあるミステリーなら、結末を知った後でもう一度読んで確かめたくなる。
一方で、ハウツー本などは、一度読んで内容を把握したら、全文を再読することは少ないだろう。
つまりは「鑑賞」と「情報取得」の違いなのだ。もっと分かりやすい例で言うなら、アイドルを含むミュージシャンの楽曲を繰り返し聴いても「この曲、聴いたことあった! 時間返せ!」とは言わないだろう。漫画もそうだ。気に入った漫画は何度も読み返すという人は多いだろう。ストーリーは覚えていても、同じシーンで何度でも感動できるものだ。
一方で、昨日の新聞を今日のものと間違えて途中まで読んでから気づいたら、失敗したという気分になる。

ベストセラーとなっている三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』にも似たような分析があった。現代人は忙しすぎて「情報」にノイズが混じる「読書」ができなくなっているという説だ。「情報」を得るだけならインターネットが手っ取り早い。時間をかけて、ノイズの中から情報を読み解かなければならない「読書」をするには疲れすぎているというのだ。

ダイアン津田が読んでいた本がどんな本なのかは不明だが、おそらくハウツー本など「情報取得」系の本だろう。しかし、半分読むまで気付かなかったということは、忘れてしまっていた情報を再度取得できたのだから、時間の無駄とは言えないだろう。いっそ最後まで気付かなければ、なおよかったのだ。ただ、読んでもすぐ忘れてしまうような「情報」に価値があるのかどうかはわからない。

要するにこういうことか。2度目と自覚しての再読は「鑑賞」なので、無駄ではない。2度目と自覚せずに再読してしまったのは、気持ちの問題も含めて「失敗」という感情になりやすい。

私自身は、還暦を超えてから、昔読んで良かった本を読み返すことを増やしている。自覚しての再読だ。好きだった小説でもストーリーの細かな部分は忘れてしまっていることも多く、新鮮な気持ちで鑑賞することができる。そんな時は「時間返せ!」どころか、忘れさせてくれた長い時間に感謝したい気持ちになる。
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好きな女性アスリートは、「My wife」(ときめき研究家)

2024-07-28 16:25:47 | ときめき研究家
ドジャースの大谷翔平が「好きな女性アスリートは?」と訊かれて、「My wife」と答えたことで株を上げたと報じられている。確かに「神回答」と言えるだろう。
大谷夫人の真美子さんは、元バスケットボールの選手だ。つい最近まで現役でプレーしていた。大谷との出会いはスポーツジムとのことなので、お互いアスリート同士として知り合い、お互いの業績や技術などについても尊敬し合っている関係なのだろう。そういう二人の関係性がうかがい知れるような回答であって、単なる「愛妻家」というだけではない「神回答」なのだ。

そこで思い出すのがもう一人の「まみこ」夫人のことだ。
秋元康夫人の元アイドル高井麻巳子は、言わずもがなだが、彼がプロデュースした「おニャン子クラブ」の人気メンバーだった。役得と言うか、お手付きと言うか、職場恋愛と言うか分からないが、一緒に仕事をしている中でそういう関係に発展したのだろう。
そこで疑問がある。もし今、秋元康が「好きな女性歌手は?」と訊かれたとして「My wife」と答えるだろうか? 勝手に予想してみることにした。

もちろん。大谷翔平の場合とは条件が異なる点はある。
まず、ここは日本だ。日本では自分の配偶者を堂々と賞賛することには照れがある。
そして、真美子夫人と違って、麻巳子夫人は歌手を引退してから長い年月が経っていて「好きな女性歌手」として挙げるには一般的でないといった配慮も働く。
更に、秋元康は現在も作詞家として多くの女性歌手に詞を書いたりプロデュースしたりしている。そんな現役歌手たちを差し置いて自分の妻を挙げることも躊躇される。
しかし一方、現役歌手のだれか一人を選ぶのは角が立つから、自分の妻を挙げておこうという戦略もありえる。大谷発言を念頭に、気の利いた答えとして「My wife」と答えることも考えられる。

しかし、もっと本質的に、秋元康は歌手「高井麻巳子」を評価、リスペクトしていたのだろうか? 
以前に「柏木由紀は高井麻巳子にイメージが似ている」という内容の記事を書いたことがある。その時にも書いたが、秋元康はソロ歌手高井麻巳子には作詞していない。一方で、ユニットの「うしろゆびさされ組」にはノリノリで作詞している。ソロ歌手としては、落ち着いた曲調、女性作詞家の作詞で、女性らしいイメージを出したいといった戦略とか、様々な事情があったのだろう。だが、少なくとも当時、「この歌手にどうしても自分の詞を歌わせたい」と秋元康が思えば、彼が作詞することに反対する者はいなかったと思われ、そこまでの熱意は沸き上がらなかったのではないかと推理する。

私はソロ歌手高井麻巳子の作品も好きで、4枚のアルバムも今も時々は聴くこともある。ただ、おニャン子クラブメンバーからソロデビューした中では、工藤静香、新田恵利、国生さゆり、河合その子の4人には、当時の売り上げや個性では及ばなかったという印象はある。プロデューサーである秋元康にもそれは十分わかっていたはずだ。そのことと恋愛感情は全く別だったのだろう。

結論として、秋元康は「好きな女性歌手は?」と訊かれたら、「My wife」とは答えないだろう。
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宮本佳林主演舞台『ザ☆アイドル』を鑑賞(ネタバレあり)。(ときめき研究家)

2024-06-23 13:58:55 | ときめき研究家
ナッキーさんに勧められて、本当に久しぶりにアイドルの舞台を鑑賞することとなった。
紹介された告知サイトで「80年代の売れないアイドルが2024年にタイムトリップして人気アイドルになる」というあらすじだけを読んで、なぜだかこの舞台は観た方がいい、否観なければならない、ぜひ観たい、と直感したからだ。こういう直感には従わなければならない。早速チケット(9500円)を予約した。
この時点では主演の宮本佳林とは何者で、どんなキャリアで、どのくらい人気があるのかも全く分かっていなかった。これほど何の予備知識、先入観もなく鑑賞できるのは貴重な体験だ。自分がどのように感じることができるのか、ワクワクした。
ブログ記事で過去に遡って確認したら、直近の舞台鑑賞は2017年3月の多田愛佳出演の『僕たちのピンクスパイダー』だった。7年ぶり。私は現場派でないとは言え、ずいぶんご無沙汰だったのだ。

さて、今回2024年6月21日の観戦。会場は新宿丸井本館8階にある「シアターマーキュリー新宿」で、もちろん初訪問だ。丸井本館自体がずいぶんお洒落になっていて、1階にはアップルの店舗が入っていた。
劇場の広さは、小劇場にしてはやや広め。座席数を数えたら、12~15席が10列なので130席程度、列間にも余裕があった。後ろの方に若干空席があったが、100名以上は入っていた。この会場で16日間、1日2~3公演できるのだから、相当の人気公演と言えるだろう。
客層は老若男女幅広いが、7:3で男性が多く、30代から50代が一番多いように見えた。この時点でハロプロ関連であることには気づいていたので、結構ファン歴が長い客も多いのだろうと推察した。

いよいよ開演。舞台装置は簡素で、出演者は4人(宮本佳林、元宝塚のえまおゆう、ハロプロ研究生2名)のみ。ナレーションと小芝居で物語が進んでいく。歌は、ミュージカルのように物語の一部として歌われるのではなく、あくまで宮本佳林演じるアイドルがステージ等で披露する楽曲という設定で歌われる。だから歌は歌として純粋に鑑賞することができる。というより、物語はほどほどで、歌を聴くのがメインの公演だった。

宮本佳林が歌うのがオリジナル6曲と『青い珊瑚礁』『迷宮のアンドローラ』『時をかける少女』の計9曲。その他に、ハロプロ研究生2名が歌うデュエット曲はBabe風の元気な歌(曲名不明)。そして狂言回し的な役で舞台を回していたえまおゆうが、物語に関係なく『僕が君をどんなに好きか、君は知らない』(郷ひろみ)を披露してくれたが、さすがの歌唱力だった。
また、物語終了後に「ショーケース」と称して、宮本佳林が2曲歌った。『セカンドラブ』と、もう1曲は彼女のオリジナル曲。その場では曲名が分からなかったが、後でネットの歌詞検索で調べたら『若者ブランド』という楽曲のようだった。

今公演のための書き下ろし楽曲の人気投票用紙が配られていて、上位曲をシングルカットするとのことだ。その用紙が手元にあったので楽曲名が正確に分かった。しかも、6曲の「サビメドレー」のWebサイトもあったので、復習することができた。いいサービスだ。オリジナル曲6曲の感想を以下に記す。

1.『バイオレット・サンセット』:1985年に歌っていた想定の楽曲。黄色いドレスに聖子ちゃんカット。海辺でファーストキスしたいというような、酒井法子風の王道アイドルポップ。「渡り廊下」という「季語」も登場。

2.『ビーズに願いを』:チャイナ風アレンジがアクセントのミディアムテンポ曲。ちょっと松本伊代風。

3.『一万光年アイドル』:2024年にタイムトリップしてから歌う曲。YOASOBI『アイドル』を連想するような今風サウンド。ラップ部分あり。衣装もパステルカラーで現代風。

4.『HANAMICHI』:「夢じゃない、奇跡を信じて花道を行く」というような啓発ソング。ちょっと松浦亜弥風。

5.『約束の愛の歌』:黒いドレス。「いつもそばにいるよ」というようなバラード。浅香唯風。

6.『SUPER IDOL -Especial-』:濃いピンクの衣装。「世界中が敵でも私は味方、あなたは最高」というような応援ソング。歌詞の内容はうしろゆびさされ組風。

どの曲もいいと思ったが、1曲選ぶとすれば『バイオレット・サンセット』。どの曲がシングルカットされるにせよ、他の曲もカップリング曲にしてほしい。それなら購入する。

カバー曲も含めて、歌唱にはかなり満足できた。もちろん全曲生歌で、ところどころ怪しい箇所もあったが、しっかり歌いきる力は感じられた。何より、他の誰とも違う「宮本佳林風」の歌唱法を確立している。強いて過去のアイドルに例えるなら、石川ひとみの語尾までしっかり歌う歌い方に似ていた。
それでも、一番上手に聴こえたのは自身のオリジナル曲で、何百回も歌い込んでいると思われる『若者ブランド』だった。この曲だけ口パクか? と疑うくらい目覚ましく堂々とした歌唱だった。

物語についても少しだけ触れる。
タイムトリップものは私の大好物で、それもこの舞台を観たかった理由の1つだ。現代から過去にタイムトリップして、未来を知っているメリットを活用して活躍する話はありがちだが、過去から現代に来て活躍するのはデメリットばかりで困難なのではと思った。劇中では、「時代錯誤のずれた所」が受けていることになっていた。
時代は変わってもアイドルは魅力的、どんなに売れていないアイドルでも応援しているファンはいて、いつまでも覚えている、そんなことを描いていて素敵な物語だと思った。でも、現実問題として、スターボーのうち1人が現代にタイムトリップして来てデビューしたら、同一人物だと断定できる自信は私にはない。

観戦後に、ネットで「宮本佳林」について調べた。
2008年に8歳でハロプロに入り、現在25歳の大ベテランだった。2013年から「Juice=Juice」のメンバーで、2020年にハロプロ卒業後ソロで活躍しているという。そんなことも知らずに観戦していたのは、会場で私一人だったかもしれない。昔からのファンには失礼だったかもしれないが、チケット代に値する貴重な観戦体験だった。
「Juice=Juice」主演のテレビドラマ『武道館』は観ていたので、実は初見ではなかったはずだ。でも残念ながら当時の印象は全く覚えていない。
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日向坂46『君はハニーデュー』を聴く。(ときめき研究家)

2024-06-07 22:38:05 | ときめき研究家
『君はハニーデュー』。
タイトルの意味が分からずに聴いたが、「ハニーデューメロン」のことだった。
ハニーデューメロンは、マスクメロンなどの高級メロンと比べると甘さもほどほど、果肉もやや硬めだが、僕はそれが一番好きだという内容だ。言いたいことはよく分かる。他人がどう言おうと、自分にとって一番好きなのは君だという比喩で、『ドリアン少年』『逆転王子様』『ゴルゴンゾーラ』『あばたもえくぼはふくはうち』『ポンコツな君が好きだ』などの曲と同じ趣向だ。フルーツ関連で言えば『アボガドじゃねーし』とも構図は似ている。他人の評価関係なしに、好きなものは好きという主張だ。
ただそれらの曲と異なるのは、ハニーデューメロンはそれほど個性的ではないということだ。「好き嫌いはっきり分かれる」と歌ってはいるが、私はそうは思わない。「特別好きでも嫌いでもない」という人が多数なのではないか。そんな中で、自分は特別に好きだと歌っているのだ。ドリアンやゴルゴンゾーラチーズのような強烈な個性に惹かれるというのではなく、平凡で地味だけど素朴なおいしさが好きという感じなのではないだろうか。
例えて言えば、アイドルグループのメンバーの中で、埋もれがちで目立たないメンバーを好きになったファンの心情だろう。現在の日向坂メンバーはあまり知らないので誰と例えることはできないが、昔のAKB48なら仲川遥香、HKT48なら穴井千尋、乃木坂46なら深川麻衣というような感じだろうか。そして、私は結構好きなタイプだ。
曲調は楽しく賑やかな感じ。いかにも日向坂のシングルに似合った曲調だ。「ダメかな?」とメロディーから外れてセリフ調になる所など、あざといアイドル唱法だが、思わずニヤけてしまう。

カップリング曲の『恋とあんバター』も同工異曲の楽曲だ。デザートではあんバターが一番好きとひたすら連呼している歌で、この曲もとても楽しい。
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乃木坂46『チャンスは平等』とカップリング曲を聴く。(ときめき研究家)

2024-05-20 21:50:10 | ときめき研究家
『チャンスは平等』。
いかにもシングル曲らしい歌だ。
タイトルからはよくある啓蒙的な楽曲にも思えるが、この曲に限ってそれほど深い意味はない。軽いノリで「君ならできる」「明日はきっといい日」とか、根拠もなく声をかけているような歌詞だ。
洗練されたリズムとメロディーに合わせそれっぽい歌詞を当てはめただけ。何よりダンスの方を重要視している。そんなコンセプトの楽曲だと理解した。鹿爪らしく「チャンスは平等なのだから無駄にしないように努力するべきだ」と説教されるかと思ったら拍子抜けして、これはこれでいいものだ。

『車道側』。
幼稚園の頃からの幼馴染が、いつか恋愛対象になって、僕が車道側を歩いて君を守るよという歌。
幼馴染からの恋愛をテーマにした歌は数多ある。『鈴懸なんちゃら』(AKB48)『ショートケーキ』(柏木由紀)がすぐに浮かぶが、いずれも2人の関係がいつの間にか変化していたことに気づく歌だ。『車道側』も同じだ。ただこの歌の2人は『ショートケーキ』のように上手に恋愛に移行できていないことを暗示している。「どこにいたって君のことが好きだ」というラストは、恋人として一緒にいられない現実を示唆する。その意味では『鈴懸なんちゃら』の2人の関係に近い。

『あと7曲』。
仲間と深夜までカラオケにいたが、まだ歌い足らず、あと7曲歌わせろという他愛のない歌。
アンニュイな曲調と、ストレートな欲求がミスマッチで、そこが独特の味わいになっている。
「順番にマイクを回すと割り込めない」「マニアックな曲は遠慮してしまう」「キーをいくつ下げると歌いやすいか把握」「カラオケ嫌いだったのに突然ハマってしまう」など、カラオケあるあるを盛り込み、一種のカラオケ賛歌になっている。
しかし若者はパワーがある。最近私はめったにカラオケに行かなくなったが、3曲も歌えばもう満足だ。

『ぶんぶくちゃがま』。
シュールな歌。ぶんぶく茶釜の蓋がないと大騒ぎしているが、そもそもぶんぶく茶釜って何だっけ? ただ言葉の響きが気に入っているだけ、というような支離滅裂な内容。でもそれは正直な作詞家の告白で、メロディーにしっくり合った「ぶんぶくちゃがま」という言葉からスタートして1曲でっち上げた歌詞なのだろう。文学性をはじめから求めない歌詞があってもいいし、この歌はそういう歌なのだ。

『「じゃあね」が切ない』。
いつも一緒にいたい。ほんの数時間でも離れていたくない。「じゃあね」がなかなかできない熱愛期のカップルの歌だ。そんな一時期がどのカップルにもあるのだろう。恋が始まり、加速度的に親密度が増していくその貴重な一時期。それは二人にとってかけがえのない時間だ。やがてその速度は鈍化し、平常運転となる。それが恋愛の日常だ。平常運転になってしまうまでに、どこまで速度を上げられるのか、それによって長く続く日常の在り方も変わってくるのではないか。
レトロな喫茶店と中目黒駅の改札という2場面だけの描写で、そんな2人の一瞬を切り取った歌詞が印象深い。穏やかな曲調がそれを引き立てている。

『夏桜』。
山下美月のソロ曲。彼女の卒業ソングで、作詞も自身が行ったとのことだ。
また1人、顔と名前がわかるメンバーが卒業してしまう。彼女のことは朝ドラ『舞いあがれ』で認識したが、その後もいろいろなドラマで目にするようになった。女優としての活動に注力するため、卒業のベストタイミングだと判断したのだろう。
しっとりしたフォークソング調の曲だ。山下の声は思いのほか幼く、ウエットだ。ドラマでのしっかりした演技力と対照的に、儚げな歌唱は、これはこれでいいものだ。
「夏の桜」とは葉桜のことだろう。花は散り、時期が来て、自分は卒業する。次の季節の花を咲かせるのは後に残るメンバーに託す。「ありがとう ありがとう もう行くよ」とメンバーやファンへの気持ちを歌う素直な歌詞だ。「美しい月が照らす」と自分の名前も自然に忍ばせ、「何より大切なこの坂」とグループを暗示する「坂」も歌い込んでいる。ファン心理をくすぐる、なかなか完成度の高い歌詞だ。

『サルビアの花を覚えているかい?』については既に記事を掲載済み。何度も聴きたくなる曲だ。

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乃木坂46『チャンスは平等』カップリング曲『サルビアの花を覚えているかい?』にときめいた。(ときめき研究家)

2024-05-10 22:28:33 | ときめき研究家
最近はカップリング曲まではなかなか聴き込めていなったが、乃木坂46の新曲は収録全曲を購入して聴いている。その中でカップリング曲『サルビアの花を覚えているかい?』を気に入った。

元カノの結婚式当日に、昔2人でよく行ったカフェを1人で訪れ、彼女が好きだったかぼちゃプリンを食べながら感傷に耽っている男の歌だ。そのカフェの入り口の花壇に咲いているのがサルビアという舞台建てだ。
新しい恋を見つけて旅立っていく女と、昔の恋を忘れられない男、この構造の歌は山ほどある。特にこの曲は、NMB48の『カトレアの花を見る度に思い出す』の姉妹曲と言ってもいいだろう。花の名前を織り込んだタイトルの構造も似ているし、男が昔の淡い恋を思い出すノスタルジックな内容も共通だ。

『サルビアの花を覚えているかい?』で独特なのは、元カノから結婚式の招待状を受け取っていることだ。しかし彼は返事を出せず、その代わりに思い出のカフェで「ここで祝うよ」と歌っている。
常識的な考察をすると、まず本当に深く付き合った元カノ・元カレなら結婚式には招待しないのが普通だ。更に言えば、事前に電話なりメールなりで出席の意向を確認してから招待状を送るのが丁寧なやり方だ。彼も彼で、欠席なら欠席で返事はしないと相手も困るだろう。などという指摘は野暮か。
彼女が招待状を送ったのは、彼女の方は彼のことを元カレとは思っておらず、今でも友達の1人と思っているからだろう。彼の方も、当時は「気の合う友達」だったが、後になって恋愛感情に気が付いたと歌っている。つまり彼の片思いなのだ。
または、彼女にも淡い恋愛感情があったのかもしれないが、既に固く蓋をしてしまっているから、別の男と結婚するのだろう。その蓋の締め方の固さと緩さの微妙な違いが、男女の差によるものなのか、個人差なのかは分からないが、この楽曲の眼目になっているのだ。

この曲を歌っているのは、五百城茉央と奥田いろはという2人のメンバーということだ。デュエット曲だ。フォークソング調で、ソロパートも多い。2人の歌声をじっくり鑑賞できる。加えてハモリも美しい。欅坂46における「ゆいちゃんず」の楽曲に雰囲気がよく似ている。五百城・奥田のコンビにも2曲目、3曲目があるかもしれない。
2人の声はどちらも舌足らずで、幼い感じのする声だ。ノスタルジックな内容のフォークソングによく似合う。男性言葉のこの歌詞を、仮に男性が歌ったとしたらあまりにいじましくて聴いていられないかもしれない。若い女性のウエットでかわいらしい声だから中和されて心地よく聴けるのだ。
特に私が聴き惚れてしまうフレーズは「かぼちゃプリン」だ。「かぼちゃプリン」という言葉そのものの響きがメロディーに完全調和し、そのフレーズだけで悶絶するようなほっこり感を生み出している。歌中の彼がどんなに深刻ぶってノスタルジーに浸っていても、「かぼちゃプリン」食べてるんだろう? 大したことじゃないね、と言ってやりたくなる。それくらい破壊力のあるフレーズだ。タイトルの「サルビア」より印象深い。

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宮島未奈著『成瀬は天下を取りにいく』を読む。映像化されるなら成瀬を演じるのは誰?(ときめき研究家)

2024-04-29 21:38:53 | ときめき研究家
本屋大賞を受賞した宮島未奈著『成瀬は天下を取りにいく』は、ユニークな主人公成瀬あかりが地元滋賀で活躍する痛快青春小説だ。続編の『成瀬は信じた道をいく』も併せて、一気に読んだ。読み終えるのが惜しく、まだまだ続きを読みたくなる小説だ。第三弾、第四弾を期待したい。
本作の最大の魅力は、何と言っても成瀬の痛快なキャラクターだ。他人の目を全く気にせず、自分が興味を持った物事に没頭し、成果を挙げて行く。例示すると、M-1グランプリ関西予選に出場する。髪の伸びるスピードを検証するために突然丸坊主になる。高校ではかるた部に入部して頭角を現す。京都大学に進学後は、びわこ観光大使に就任する。等々。それだけでなく、その都度周りを巻き込み「成瀬ファン」にして行くのが成瀬の素晴らしいところだ。
成瀬は時に突飛な行動を取る変わり者だが、常識や素直さもある。勉強もスポーツもできるが、それを鼻にかけるのでも謙遜するのでもなく、至って自然体なのだ。

ここまでベストセラーになれば、近い将来、映画かテレビドラマになることは確実だろう。そうすると誰が成瀬を演じるのか気になる。勝手に予想してみたい。
非常に個性的な成瀬役を演じられるのは、普通のアイドルではないだろう。過去のアイドルなら、真鍋ちえみ、つみきみほの名前が浮かぶ。個性的な性格、短髪でボーイッシュなイメージだ。しかし成瀬はボーイッシュな訳ではない。
ハイスペックで我が道を行くという点では、昔なら斉藤由貴あたり、最近では生田絵梨花か伊藤万理華か。
いずれにしても、既存のアイドルや女優ではしっくり来ない面がある。キャスティングは難航するだろう。

一方、小説の中で欠かせない役割を果たしているのが成瀬の幼なじみの島崎みゆきだ。本人は目立たないながら、誰よりも成瀬のことを理解していて、意外に行動力もある。実際、M-1グランプリに成瀬の相方として出場する。こちらの方はすぐにキャストが決まった。昔なら冨田靖子、現在なら深川麻衣で決まりだ。
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カンテレ制作ドラマ『春になったら』の感想。悔いなく人生を終えるには。(ときめき研究家)

2024-03-27 19:50:53 | ときめき研究家
この春は観るべきドラマが多かったが、特に木梨憲武と奈緒主演の『春になったら』は身につまされた。
膵臓がんで余命3か月の宣告を受けた父(木梨)と、3か月後に結婚すると宣言した娘(奈緒)の3か月間を描いたハートフルなドラマ。派手な事件や驚きの展開などはないが、周囲の人達もいい人ばかりで見ていて気持ちいいドラマだった。
余命宣告を受けた父は「死ぬまでにやりたいことリスト」を作成し、その1つ1つを実現していく。そのやり方に共感した。私も、三連休などには「3日間にやることリスト」を作って過ごすことが常で、充実した時間を過ごすために合理的な方法だと思っている。逆に、何の予定も立てずにだらだらと過ごす休日も、それはそれでいいものだが、3日以上のまとまった休みだとそれではもったいない気がしてしまう。
ドラマの父は、余命宣告を受けて残された時間が可視化されたので、リストを作って少しでも充実して過ごそうとするのは当然の心理だろう。生きているうちにやりたいと思っていたことをやれずに死ぬのは心残りだ。突然死ではなく、予告された死だからそういうこともできる。自分の死までの時間を、ある程度自分で計画的に過ごすことができるのは不幸中の幸いだ。私でもそうすると思う。彼の最後の日までの過ごし方を、自分自身に重ねて、応援するような気持で観ていた。
一方で、娘は、リストが1つずつ消し込まれていくと、父の死が近づくようで悲しいというような話をしていた。その心理もわからないではないが、もしリストをすべて消し込んでしまえたら、また新たにやることを追加すればいいだけだ。

余命宣告こそ受けていないが、私も還暦を過ぎて、人生の残り時間を意識するようになってきた。同世代の知人や芸能人などの訃報を耳にすることも増えた。50歳くらいまでは「人生100年時代だからまだ半分」などとうそぶいていたが、さすがにもう気づかないふりはできなくなった。人生には限りがあるのだ。会社生活も一区切りを迎え、体調面でも小さな変調が続いた。そのうえ柏木由紀の卒業はAKB48鑑賞の節目となった。何事も永遠には続かない。私は残りの人生をどう生きるか、真剣に考えるようになった。
そんな中で、昔読んで良かった本をもう一度読み直すことを増やしている。もちろん新しい本も読むが、新旧の比率は半々くらいになっている。新しい本は、全く新しい発見や感動を味わえる場合もあるが、外れもありうる。いわばハイリスク・ハイリターン。再読のメリットは、昔読んで自分が良いと思ったのだから今回も楽しめる可能性が高いこと。加えて、昔とは違う発見や感動を味わえることも多いのだ。ローリスク・ミドルリターン、いやローリスク・ハイリターンと言っていいだろう。
本の再読と同様、音楽も昔の曲を聴く割合が増えてきた。AKBグループ、坂道グループの新曲もフォローしているが、カップリング曲までは手が回らなくなって来た。カップリング曲の中に、私の気に入る曲(例えば『Maxとき315号』や『君と僕と洗濯物』や『飛行機雲ができる理由』のような)がきっとあることは予想できるが、その確率が下がっている気がしてならないのだ。それよりは昔の楽曲、70年代や80年代のアイドル、それからAKBや坂道の昔の楽曲の中で好きだった曲を聴くほうが、高確率で感動できることに気づいてしまったのだ。限られた時間を充実して過ごすには、このような取捨選択も必要だ。
この感覚は受験勉強に似ている。まだ試験まで時間がある時は、新しい参考書や問題集を買って、どんどん知識を増やしていくことが有効だ。しかし、試験が迫ってくると、新しい参考書や問題集に手を出すより、既に持っている問題集をもう一度解いたり、間違った所だけ復習したりする方が効果的だ。遠い昔、受験生の頃の記憶を辿ればそうだったと思う。少なくとも私はそうだった。
別の例で、美味しいランチを求めて職場周辺の飲食店を開拓するとしよう。新しい店を開拓する日と、一度開拓して美味しかった店を再訪する日と、組み合わせながら今日はどこに行こうか決めるだろう。毎日新規開拓ばかりだと、外れの日もあるだろう。一方で同じ店ばかり高頻度で行けば飽きても来るだろう。どちらを重視するかはその人の性格や人生観によるだろうが、私はある程度のローテーションが確立したら新規開拓のペースは緩めて、好みの店を再訪する日を増やすのが好きだ。その方が、結果としてランチの満足度の総量が増えると思うのだ。ましてや、来月には転勤が決まったような場合は、誰もが新規開拓などせず過去に美味しかった店をなるべく訪れるはずだ。
受験や転勤と違って死期は明確ではない。もしかしたら私は100歳まで生きることになり、今から復習中心の生活にシフトするのは早すぎるのかもしれない。逆に、残された時間はあと数年しかない可能性もある。そういう不透明な中、新規開拓と復習のバランスを取りながら、「ときめき」の総量が最大になるように、私は生きていく。

辛気臭い話になってしまい申し訳ない。
ドラマの話に戻ると、元日向坂46の影山優佳が、奈緒の職場である助産院の同僚として出演していた。眼鏡をかけて髪を括っていたが、新人助産婦らしく初々しい演技だった。クイズが得意で、サッカーの造詣も深い。加えて演技もそつなくこなすとなれば、今後も多方面で活躍が期待できると思った。
奈緒の演技は言うまでもなく絶品。しっかり者で情に熱い、理想の娘を演じていた。一つ一つの表情が自然だけど、生き生きと感情を表現している。これまでの出演作でも上手いと感じていたが、今回の主演作で本領を充分に発揮していた。父娘2人きりの暮らしが長かった中で、素直で優しく真っすぐに育っていて、父との関係が良好だったのだろうといった背景まで、演技から滲み出ていた。「役になりきっていた」とはこういうことだと思った。
木梨憲武の演技は「わざとらしい」「コントみたい」といったネット評も目にしたが、日ごろからそういう話し方をする人はいるだろうと感じたし、違和感はなかった。早すぎる死という運命を受け入れ、周囲への感謝を忘れず、最後までポジティブに生きる姿は見習いたいと思った。
濱田岳、小林聡美、光石研、筒井真理子といったベテラン陣が脇を固め、素晴らしい作品に仕上がっていたと思う。
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