80年代に入り、アイドルの新しい地平を拓いたのが松田聖子(1980デビュー)、それに続いたのが中森明菜(1982デビュー)である。この二人をクラシック音楽史に例えれば、古典派のモーツァルトとベートーヴェンの両巨匠に相当する。
松田聖子は、2曲目『青い珊瑚礁』(1980)でブレイク、『夏の扉』(1981)までは三浦徳子作詞の伸びやかな歌声を活かした正統派アイドルポップでトップアイドルの地位を獲得し、「ぶりっ子」という批判も賛辞に変えた。その後作詞家松本隆と組み、大瀧詠一作曲の『風立ちぬ』(1981)、ユーミン作曲の『赤いスィートピー』(1982)や『渚のバルコニー』(1982)といった多彩な楽曲で女性ファンも増やしていく。『SWEET MEMORIES』(1983)はジャズ風の英語歌唱が聴かせどころ、『瞳はダイアモンド』(1983)は泣きのボーカルが絶品、『天使のウインク』(1985)は難解な歌詞の尾崎亜美作品。結婚後もアイドルであり続け、『瑠璃色の地球』(1986)、『あなたに逢いたくて』(1996)といったヒット曲を出した。毎回多くのアーティストが参加したアルバムのクオリティが高く、従来歌番組でシングル曲を見るのが中心だったアイドルの鑑賞スタイルを変えた。
松田聖子の同期80年デビュー組は、実力派、個性派揃いだ。
河合奈保子(1980デビュー)は、『スマイルフォーミー』(1981)、『夏のヒロイン』(1982)のような快活なポップスで躍動する一方、竹内まりや作品『けんかをやめて』(1982)では悩める少女の心理を赤裸々に歌った。『エスカレーション』(1983)では大人びた世界にも挑戦。どんなタイプの楽曲も確かな歌唱力に裏打ちされて歌いこなしていた。『ハーフムーン・セレナーデ』(1986)は自ら作曲した佳曲。
現在の天皇が当時ファンだった柏原よしえ(後に芳恵)(1980デビュー)は、デビュー後しばらくは近田春夫作詞『乙女心、何色?』(1981)など試行錯誤が続いていたが、カバー曲『ハロー・グッドバイ』(1981)でブレイクして人気アイドルになった。中島みゆき作品の『春なのに』(1983)は卒業ソングの定番。その後は大人びたムードの楽曲が多い。
岩崎良美(1980デビュー)にも、多くのヒット曲がある。『ごめんねDarling』(1981)はハイセンスな楽曲を姉同様に高い歌唱力で軽やかに歌い、『どきどき旅行』(1982)はきわどい歌詞を素知らぬ顔で歌い飛ばしていた。しかし、最大のヒット曲はアニメ主題歌『タッチ』(1985)ということになってしまう。
ツッパリ路線でポスト百恵を狙った『セクシーナイト』(1980)の三原順子(1980デビュー)は、『だってフォーリンラブ突然』(1982)の軽妙なヒットもある。甲斐智枝美(1980デビュー)の『スタア』(1980)、石坂智子(1980デビュー)の『ありがとう』(1980)はいずれもアイドルのデビュー曲らしい佳曲。
皆それぞれに輝いたが、松田聖子という巨星は、誰よりも長く明るく輝き続けた。
81年デビューの個性派は、伊藤つかさ(1981デビュー)。劇団に所属し子役として活躍していたが、「3年B組金八先生」で人気爆発、レコードデビューを果たした。『少女人形』(1981)を震えながら歌う姿は、ロリコンファンのハートを鷲掴み。
角川映画でデビューした薬師丸ひろ子(1981デビュー)は『セーラー服と機関銃』(1981)、『Woman―Wの悲劇より―』(1984)など主演映画の主題歌を、独特の清らかな声で歌った。その後も『あなたを・もっと・知りたくて』(1985)、『時代』(1988)など、歌手活動を長く続けている。
そして「花の82年組」が登場する。
クラシック音楽に例えれば、シューベルトやブラームス、シューマン、ショパンなど、百花繚乱のロマン派だろうか。
松本伊代(1981デビュー。賞レース上は1982扱い。)は『センチメンタル・ジャーニー』(1981)でデビュー。スレンダーで人工的なルックスと鼻が詰まったような声で、数々の名曲を世に出した。糸井重里作詞の『TVの国からキラキラ』(1982)は伊代版アイドル讃歌。尾崎亜美と出会って、バラードの『時に愛は』(1983)、軽妙な『恋のKNOW-HOW』(1984)など新たな魅力も引き出された。
小泉今日子(1982デビュー)は、デビュー当初のアナクロな少女漫画路線から、自分のことを「コイズミ」と呼ぶ本音路線に切り替えてブレイクした。『半分少女』(1983)、『ヤマトナデシコ七変化』(1984)、『渚のはいから人魚』(1985)など、「古くて新しい」楽曲を、独特の押し出すような一本調子の歌い方で歌い続けた。アイドルをデフォルメした『なんてったってアイドル』(1985)は歴史的にも重要。高見沢俊彦作詞作曲の『木枯らしに抱かれて』(1986)は北欧の香りがする。後にドラマ主題歌『あなたに会えてよかった』(1991)はミリオンセラーとなった。
堀ちえみ(1982デビュー)はホリプロらしい野暮ったさが魅力で、デビュー年の『待ちぼうけ』(1982)の歌詞のドジぶりは苦笑もの。そのドジさを活かしたドラマ「スチュワーデス物語」が大ブレイク。『夏色のダイアリー』(1983)、『稲妻パラダイス』(1984)などポップな楽曲もどこか垢抜けない魅力があった。
石川秀美(1982デビュー)は健康的な美少女。スポーツ万能で運動会では大活躍。透明な声で軽快なポップスを歌った。『涙のペーパームーン』(1983)、『Hey!ミスター・ポリスマン』(1983)は歌うのが楽しくて仕方ないといった歌唱。しかしデビュー年の『ゆ・れ・て湘南』(1982)の哀愁も忘れられない。
早見優(1982デビュー)はハワイ生まれのバイリンギャル。『夏色のナンシー』(1983)は彼女の自画像的なナンバー。英語の発音も本格的で爽やかな名曲。その後も『渚のライオン』(1983)、『誘惑光線クラッ!』(1984)のような能天気なヒット曲を飛ばした。
82年組の真打ちは中森明菜(1982デビュー)。デビュー曲のしっとり聴かせる『スローモーション』(1982)、2曲目のツッパリ路線で荒々しい『少女A』(1982)、そして3曲目は再びスローバラード『セカンド・ラブ』(1982)という振幅の大きさに戸惑いつつ、人々は魅了された。すぐに松田聖子と人気を二分するトップアイドルになり、その地位を長く守った。『ミ・アモーレ』(1985)、『DESIRE~情熱~』(1986)で2年連続となるレコード対象を受賞。井上陽水作詞作曲の『飾りじゃないのよ涙は』(1984)、加藤登紀子作詞作曲の『難破船』(1987)など難曲も軽々と歌いこなした。『北ウイング』(1984)から始まった海外を題材にした楽曲も多く「歌う兼高かおる」とも呼ばれた。
82年には、トップアイドルにはなれなかったが、魅力的な曲を残したアイドルが他にも大量デビューした。
『マイボーイフレンド』(1982)の正統派アイドル北原佐和子(1982デビュー)、『ねらわれた少女』(1982)のボーイッシュな真鍋ちえみ(1982デビュー)、『月曜日はシックシック』(1982)の劇画的な三井比佐子(1982デビュー)は、3人セットで「パンジー」として売り出された。
三田寛子(1982デビュー)は村下孝蔵作品の『初恋』(1983)などでしっとりとした和風の魅力を発揮。川島恵(1982デビュー)は『ミスター不思議』(1982)で伸びやかな声を聴かせた。白石まるみ(1982デビュー)の『オリオン座の向こう』(1982)はユーミンの佳曲。水野きみこ(1982デビュー)『私のモナミ』(1982)、新井薫子(1982デビュー)『虹色の瞳』(1982)、渡辺めぐみ(1982デビュー)『ときめきTouch me』(1982)も名曲。坂上とし恵(1982デビュー)『き・い・てマイラブ』(1982)は不可思議な曲調とびっくり声で忘れられない曲。つちやかおり(1982デビュー)の『恋と涙の17才』(1982)は大袈裟なアレンジと艶めかしい歌唱が印象的な曲。川田あつ子(1982デビュー)『秘密のオルゴール』(1982)の生歌唱は非常にスリリングだった。
原田知世(1982デビュー)は同名の角川映画の主題歌『時をかける少女』(1983)が代表曲。その曲を含め『ダンデライオン~遅咲きのタンポポ』(1983)などユーミン作品がイノセントな彼女のイメージと相性が良かった。後年、海外カバー曲のアンニュイな『彼と彼女のソネット』(1987)もヒットした。
1982年デビュー組には非常に個性的なグループもあった。スターボー(1982デビュー)は「宇宙三銃士」と称し『ハートブレイク太陽族』(1982)という前衛的な楽曲を残した。ソフトクリーム(1982デビュー)の『やったね、春だね』(1984)はキャンディーズ『春一番』の本歌取りのような楽しい曲。わらべ(1982デビュー)は、萩本欽一のテレビ番組内でパジャマ姿で歌う『もしも、明日が』(1984)が大ヒットした。
かくして、82年はアイドル史上最大の豊作年となった。(続く)
松田聖子は、2曲目『青い珊瑚礁』(1980)でブレイク、『夏の扉』(1981)までは三浦徳子作詞の伸びやかな歌声を活かした正統派アイドルポップでトップアイドルの地位を獲得し、「ぶりっ子」という批判も賛辞に変えた。その後作詞家松本隆と組み、大瀧詠一作曲の『風立ちぬ』(1981)、ユーミン作曲の『赤いスィートピー』(1982)や『渚のバルコニー』(1982)といった多彩な楽曲で女性ファンも増やしていく。『SWEET MEMORIES』(1983)はジャズ風の英語歌唱が聴かせどころ、『瞳はダイアモンド』(1983)は泣きのボーカルが絶品、『天使のウインク』(1985)は難解な歌詞の尾崎亜美作品。結婚後もアイドルであり続け、『瑠璃色の地球』(1986)、『あなたに逢いたくて』(1996)といったヒット曲を出した。毎回多くのアーティストが参加したアルバムのクオリティが高く、従来歌番組でシングル曲を見るのが中心だったアイドルの鑑賞スタイルを変えた。
松田聖子の同期80年デビュー組は、実力派、個性派揃いだ。
河合奈保子(1980デビュー)は、『スマイルフォーミー』(1981)、『夏のヒロイン』(1982)のような快活なポップスで躍動する一方、竹内まりや作品『けんかをやめて』(1982)では悩める少女の心理を赤裸々に歌った。『エスカレーション』(1983)では大人びた世界にも挑戦。どんなタイプの楽曲も確かな歌唱力に裏打ちされて歌いこなしていた。『ハーフムーン・セレナーデ』(1986)は自ら作曲した佳曲。
現在の天皇が当時ファンだった柏原よしえ(後に芳恵)(1980デビュー)は、デビュー後しばらくは近田春夫作詞『乙女心、何色?』(1981)など試行錯誤が続いていたが、カバー曲『ハロー・グッドバイ』(1981)でブレイクして人気アイドルになった。中島みゆき作品の『春なのに』(1983)は卒業ソングの定番。その後は大人びたムードの楽曲が多い。
岩崎良美(1980デビュー)にも、多くのヒット曲がある。『ごめんねDarling』(1981)はハイセンスな楽曲を姉同様に高い歌唱力で軽やかに歌い、『どきどき旅行』(1982)はきわどい歌詞を素知らぬ顔で歌い飛ばしていた。しかし、最大のヒット曲はアニメ主題歌『タッチ』(1985)ということになってしまう。
ツッパリ路線でポスト百恵を狙った『セクシーナイト』(1980)の三原順子(1980デビュー)は、『だってフォーリンラブ突然』(1982)の軽妙なヒットもある。甲斐智枝美(1980デビュー)の『スタア』(1980)、石坂智子(1980デビュー)の『ありがとう』(1980)はいずれもアイドルのデビュー曲らしい佳曲。
皆それぞれに輝いたが、松田聖子という巨星は、誰よりも長く明るく輝き続けた。
81年デビューの個性派は、伊藤つかさ(1981デビュー)。劇団に所属し子役として活躍していたが、「3年B組金八先生」で人気爆発、レコードデビューを果たした。『少女人形』(1981)を震えながら歌う姿は、ロリコンファンのハートを鷲掴み。
角川映画でデビューした薬師丸ひろ子(1981デビュー)は『セーラー服と機関銃』(1981)、『Woman―Wの悲劇より―』(1984)など主演映画の主題歌を、独特の清らかな声で歌った。その後も『あなたを・もっと・知りたくて』(1985)、『時代』(1988)など、歌手活動を長く続けている。
そして「花の82年組」が登場する。
クラシック音楽に例えれば、シューベルトやブラームス、シューマン、ショパンなど、百花繚乱のロマン派だろうか。
松本伊代(1981デビュー。賞レース上は1982扱い。)は『センチメンタル・ジャーニー』(1981)でデビュー。スレンダーで人工的なルックスと鼻が詰まったような声で、数々の名曲を世に出した。糸井重里作詞の『TVの国からキラキラ』(1982)は伊代版アイドル讃歌。尾崎亜美と出会って、バラードの『時に愛は』(1983)、軽妙な『恋のKNOW-HOW』(1984)など新たな魅力も引き出された。
小泉今日子(1982デビュー)は、デビュー当初のアナクロな少女漫画路線から、自分のことを「コイズミ」と呼ぶ本音路線に切り替えてブレイクした。『半分少女』(1983)、『ヤマトナデシコ七変化』(1984)、『渚のはいから人魚』(1985)など、「古くて新しい」楽曲を、独特の押し出すような一本調子の歌い方で歌い続けた。アイドルをデフォルメした『なんてったってアイドル』(1985)は歴史的にも重要。高見沢俊彦作詞作曲の『木枯らしに抱かれて』(1986)は北欧の香りがする。後にドラマ主題歌『あなたに会えてよかった』(1991)はミリオンセラーとなった。
堀ちえみ(1982デビュー)はホリプロらしい野暮ったさが魅力で、デビュー年の『待ちぼうけ』(1982)の歌詞のドジぶりは苦笑もの。そのドジさを活かしたドラマ「スチュワーデス物語」が大ブレイク。『夏色のダイアリー』(1983)、『稲妻パラダイス』(1984)などポップな楽曲もどこか垢抜けない魅力があった。
石川秀美(1982デビュー)は健康的な美少女。スポーツ万能で運動会では大活躍。透明な声で軽快なポップスを歌った。『涙のペーパームーン』(1983)、『Hey!ミスター・ポリスマン』(1983)は歌うのが楽しくて仕方ないといった歌唱。しかしデビュー年の『ゆ・れ・て湘南』(1982)の哀愁も忘れられない。
早見優(1982デビュー)はハワイ生まれのバイリンギャル。『夏色のナンシー』(1983)は彼女の自画像的なナンバー。英語の発音も本格的で爽やかな名曲。その後も『渚のライオン』(1983)、『誘惑光線クラッ!』(1984)のような能天気なヒット曲を飛ばした。
82年組の真打ちは中森明菜(1982デビュー)。デビュー曲のしっとり聴かせる『スローモーション』(1982)、2曲目のツッパリ路線で荒々しい『少女A』(1982)、そして3曲目は再びスローバラード『セカンド・ラブ』(1982)という振幅の大きさに戸惑いつつ、人々は魅了された。すぐに松田聖子と人気を二分するトップアイドルになり、その地位を長く守った。『ミ・アモーレ』(1985)、『DESIRE~情熱~』(1986)で2年連続となるレコード対象を受賞。井上陽水作詞作曲の『飾りじゃないのよ涙は』(1984)、加藤登紀子作詞作曲の『難破船』(1987)など難曲も軽々と歌いこなした。『北ウイング』(1984)から始まった海外を題材にした楽曲も多く「歌う兼高かおる」とも呼ばれた。
82年には、トップアイドルにはなれなかったが、魅力的な曲を残したアイドルが他にも大量デビューした。
『マイボーイフレンド』(1982)の正統派アイドル北原佐和子(1982デビュー)、『ねらわれた少女』(1982)のボーイッシュな真鍋ちえみ(1982デビュー)、『月曜日はシックシック』(1982)の劇画的な三井比佐子(1982デビュー)は、3人セットで「パンジー」として売り出された。
三田寛子(1982デビュー)は村下孝蔵作品の『初恋』(1983)などでしっとりとした和風の魅力を発揮。川島恵(1982デビュー)は『ミスター不思議』(1982)で伸びやかな声を聴かせた。白石まるみ(1982デビュー)の『オリオン座の向こう』(1982)はユーミンの佳曲。水野きみこ(1982デビュー)『私のモナミ』(1982)、新井薫子(1982デビュー)『虹色の瞳』(1982)、渡辺めぐみ(1982デビュー)『ときめきTouch me』(1982)も名曲。坂上とし恵(1982デビュー)『き・い・てマイラブ』(1982)は不可思議な曲調とびっくり声で忘れられない曲。つちやかおり(1982デビュー)の『恋と涙の17才』(1982)は大袈裟なアレンジと艶めかしい歌唱が印象的な曲。川田あつ子(1982デビュー)『秘密のオルゴール』(1982)の生歌唱は非常にスリリングだった。
原田知世(1982デビュー)は同名の角川映画の主題歌『時をかける少女』(1983)が代表曲。その曲を含め『ダンデライオン~遅咲きのタンポポ』(1983)などユーミン作品がイノセントな彼女のイメージと相性が良かった。後年、海外カバー曲のアンニュイな『彼と彼女のソネット』(1987)もヒットした。
1982年デビュー組には非常に個性的なグループもあった。スターボー(1982デビュー)は「宇宙三銃士」と称し『ハートブレイク太陽族』(1982)という前衛的な楽曲を残した。ソフトクリーム(1982デビュー)の『やったね、春だね』(1984)はキャンディーズ『春一番』の本歌取りのような楽しい曲。わらべ(1982デビュー)は、萩本欽一のテレビ番組内でパジャマ姿で歌う『もしも、明日が』(1984)が大ヒットした。
かくして、82年はアイドル史上最大の豊作年となった。(続く)