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教科書に載せたいアイドル史の300曲①(70年代「アイドルの夜明け」)

2025-02-02 14:50:40 | ときめき研究家
2011年に「教科書に載せたいアイドル史の100曲」という記事を書いた(2015年にブログ再掲載)。100曲の制約は厳しくて漏れた曲が沢山あったので、今回は300曲に拡げて大幅に加筆してみたい。
コンセプトは、これから日本のアイドルポップを鑑賞したい、歴史を学びたいと思っている若い人向けに、できるだけ客観的な歴史を語ることだ。アイドル本人の人気よりも楽曲重視で選曲した。100曲の時と同様、4回に分けて掲載する。
(「あのアイドルが漏れている」「このアイドルの代表曲は別の曲だ」など、異論・反論ある方はコメントください。)

南沙織(1971デビュー)が『17才』(1971)でデビューしたのが、アイドルの夜明けというのが定説だ。沖縄生まれの髪の長い少女が、有馬三恵子・筒美京平コンビの、従来の流行歌にはなかった清新な楽曲を得て、繊細で傷つきやすく、したたかに自立した女性の心情を歌い続け、若者の共感を得た。『色づく街』(1973)、『人恋しくて』(1975)、『春の予感―I’ve been mellow―』(1978)と年齢に伴い歌の世界も少しずつ大人っぽいものになり、アイドルの理想的な成長を体現した。
天地真理(1971デビュー)は、独特のファルセットで一世を風靡した。『ひとりじゃないの』(1972)、『虹をわたって』(1972)などヒット曲を連発したが、「あなたを待つのテニスコート」という歌い出しが印象的な『恋する夏の日』(1973)が代表曲。
南、天地と共に「3人娘」と呼ばれたのが小柳ルミ子(1971デビュー)だ。大ヒットした抒情的な『瀬戸の花嫁』(1972)は当時ウエディングソングの定番だった。
麻丘めぐみ(1972デビュー)は、幼く弱々しい印象が、守ってあげたい心情を惹起。『芽ばえ』(1972)、『アルプスの少女』(1973)などヒットしたが、何と言っても『私の彼は左きき』(1973)は歌詞も振りつけも印象的な代表曲だった。
香港から来たアグネス・チャン(1972デビュー)は、たどたどしい日本語で異彩を放った。デビュー曲『ひなげしの花』(1972)、『草原の輝き』(1972)とヒットを連発。『ポケットいっぱいの秘密』(1974)は作詞家松本隆の出世作。
歌が下手と言われたアイドルの元祖と言える浅田美代子(1973デビュー)の『赤い風船』(1973)や『しあわせの一番星』(1974)を今聴くとそんなに下手ではない。幼い歌詞の内容と、声量が無く囁くような歌い方が、下手な印象を与えたのだろう。小林麻美(1972デビュー)の『初恋のメロディー』(1972)も幼い歌詞が印象的な曲で、後に森尾由美がカバーした。風吹ジュン(1974デビュー)の『愛がはじまる時』(1974)も息継ぎが苦しそうな歌唱はかなり怪しかった。

山口百恵(1973デビュー)と桜田淳子(1973デビュー)は、クラシック音楽史上「音楽の父」「音楽の母」と呼ばれているバッハとヘンデルに当たる偉大な存在だろう。
山口百恵は、『ひと夏の経験』(1974)など少女の青い性を歌う曲が多かったが、阿木耀子・宇崎竜堂と出会って『横須賀ストーリー』(1976)、『イミテーションゴールド』(1977)、『プレイバックpart2』(1978)などツッパリ系のドラマチックな楽曲で独自の境地を拓く。一方で、さだまさしの『秋桜』(1977)、谷村新司の『いい日旅立ち』(1978)といった日本的な抒情も歌い、圧倒的な人気の国民歌手となった。結婚を発表した後にも『ロックンロールウイドウ』(1980)、『さよならの向う側』(1980)といった名曲を残してきっぱり引退し、現在も伝説となっている。
そのライバルであった桜田淳子は、阿久悠作詞の『わたしの青い鳥』(1973)、『はじめての出来事』(1974)、『十七の夏』(1975)、『夏にご用心』(1976)など、正統派のアイドルらしい歌を長く歌っていたが、後年は中島みゆきと出会って『しあわせ芝居』(1977)、『追いかけてヨコハマ』(1978)のような大人の曲に転じた。一方、1曲限りの松本隆・筒美京平作品『リップスティック』(1978)もファンの評価が高い。
山口、桜田と共に「花の中3トリオ」と呼ばれたのが森昌子(1972デビュー)だ。デビュー曲『せんせい』(1972)の頃は3人で一番人気があったと思う。その後は演歌歌手の道に進んだ。

70年代には、個性的なアイドルがまだ多数いるし、名曲も多数ある。
伊藤咲子(1974デビュー)はデビュー曲『ひまわり娘』(1974)のイメージが強いが、アイドルでは珍しい3拍子の『乙女のワルツ』(1975)、『きみ可愛いね』(1976)など良曲に恵まれた。
木之内みどり(1974デビュー)は初期には青春路線の曲が多いが、最大のヒット曲は後年の大人っぽい『横浜いれぶん』(1978)だろう。
太田裕美(1974デビュー)は松本隆の詞の世界を独特のハスキーボイスで聴かせた。『木綿のハンカチーフ』(1975)は、男性の上京により次第にすれ違って行く恋人達を描き、後世に残る名曲。『赤いハイヒール』(1976)は逆に女性が上京する歌。『九月の雨』(1977)はドラマチック。『さらばシベリア鉄道』(1980)は大瀧詠一作曲だが、大瀧本人歌唱とはまた違った味がある。
岡田奈々(1975デビュー)はフランス人形のようなルックスと、『青春の坂道』(1976)、『手編みのプレゼント』(1976)など女学生路線の佳曲で魅了した。
岩崎宏美(1975デビュー)は本格的な歌唱力を武器に『ロマンス』(1975)、『未来』(1976)など筒美恭平作品でヒットを連発。『思秋期』(1977)などのバラード、ディスコサウンドの『シンデレラハネムーン』(1978)、サンバ調の『夏に抱かれて』(1979)など多彩なヒット曲がある。『聖母たちのララバイ』(1982)は2時間ドラマのエンディング曲として美しい歌声で聴く者を癒した。


岡崎友紀(1970デビュー)はドラマでの人気が高かったが『黄色い船』(1972)は佳曲。松本ちえこ(1974デビュー)はシャンプーのCMソング『恋人試験』(1976)がヒット。林寛子(1974デビュー)のベタな『素敵なラブリーボーイ』(1975)は後に小泉今日子がカバー。黒木真由美(1975デビュー)の『感情線』(1975)はサビが印象的。
高田みづえ(1977デビュー)は木之内みどりのカバー曲『硝子坂』(1977)でデビューし、その後も『私はピアノ』(1980)などカバー曲でのヒットを得意とした。金井夕子(1978デビュー)の『パステルラブ』(1978)は、『スター誕生』の出場者もよく歌っていた名曲で、後に松本典子がカバー。
健康的な榊原郁恵(1977デビュー)と、八重歯が魅力の石野真子(1978デビュー)、超絶的な歌唱力の大場久美子(1977デビュー)は70年代末の人気を三分した。榊原の代表曲は『夏のお嬢さん』(1978)で異論ないが、その後それを超えるヒット曲が出なかったのが残念。『ROBOT』(1980)は当時流行していたテクノ歌謡でファン人気が高い。
石野真子のデビュー曲『狼なんか怖くない』(1978)は、阿久悠の思い入れ溢れる歌詞と、吉田拓郎独特の節回しが楽しめる絶品。『春ラ!ラ!ラ!』(1980)は元カレとカレと3人で会いたいという歌詞の状況が面白い。
大場久美子は、リズムも音程も危なっかしい『スプリングサンバ』(1979)とドラマ「コメットさん」の主題歌『キラキラ星あげる』(1978)を代表曲とする。
倉田まり子(1979デビュー)と石川ひとみ(1978デビュー)は、当時顔が似ていると言われた。倉田はデビュー年から王道卒業ソング『グラデュエーション』(1979)、『How!ワンダフル』(1979)とヒット曲に恵まれた。一方、石川は『くるみ割り人形』(1978)など良曲はあってもヒットに恵まれなかったが、ユーミンの『まちぶせ』(1981)で遂にブレイクした。
清水由貴子(1977デビュー)は『お元気ですか』(1977)をギター弾き語りで歌った。高見千佳(1978デビュー)の『シンデレラ』(1978)、天馬ルミ子(1978デビュー)の『教えて下さい、神様』(1978)、井上望(1979デビュー)の『ルフラン』(1979)、能勢慶子(1979デビュー)の『アテンションプリーズ』(1979)はいずれも印象深いデビュー曲。比企理恵(1979デビュー)は長くタレント活動を続けたが『恋のワナワナ』(1980)などユニークな曲が多い。

70年代を飾った2大グループは、キャンディーズ(1973デビュー)とピンクレディ(1976デビュー)だ。
キャンディーズはドリフの『8時だよ全員集合』へのレギュラー出演等で人気を徐々に積み上げ、『年下の男の子』(1975)、『ハートのエースが出てこない』(1975)、『春一番』(1976)、『やさしい悪魔』(1977)などヒット曲を連発していたが、引退発表後に人気が沸騰し社会現象になった。ラストシングル『微笑がえし』(1978)は、歌詞にこれまでのヒット曲のタイトルが織り込まれた明るい別れの歌で、ファンの後押しで遂に1位を獲得した。
ピンクレディは『ペッパー警部』(1976)でのデビューから、阿久悠・都倉俊一コンビによる独創的な空想世界を歌い続け、1曲毎にインパクトを更新して行った。『渚のシンドバット』(1977)、『ウォンテッド』(1977)、『UFO』(1977)、『サウスポー』(1978)の4曲が絶頂期だったと思われる。この頃は、子どもから大人まで熱中し振り真似ができるスーパーアイドルだった。
70年代の他のグループアイドルとして、3人組ではキャンディーズの後継を狙ったトライアングル(1978デビュー)の『トライアングル・ラブレター』、2人組では後にとんねるずの歌詞にも歌われた双子のリリーズ(1975デビュー)の『好きよキャプテン』が名曲。

1980年に山口百恵が引退、ピンクレディも失速し、アイドルは新たな局面を迎える。(続く)
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