アイドルを好きであり続けるには、イイカゲンな精神を維持する努力が必要(ナッキー)
一つ前のときめき研究家さんの記事を読んで、まだこの曲を聴いていないけど、考えたこと。
私の解釈は、
「イイカゲン」とは、到達したら維持すべきライフスタイルであり、
努力しないと、「イイカゲン」というライフスタイルは、失われてしまう。
「イイカゲンな精神」を維持するには、そのために真面目に努力する必要はある。
ときめき研究家さんの記事には、
この曲は、純粋さ、想像力などは「失いたくないもの」と位置づけている。真面目に努力し過ぎれば、それらを失なって「ただの大人」になってしまうと。 と書いてありますが、
ここで言う、「真面目に」とは、世の中、自分の所属する共同体(例えば家族)、組織(例えば会社)の標準に、自分を合わせることであると思います。
つまり、人から、「あの人は真面目だ」と評価されるような努力です。
家族から期待される人間像は、アイドルに熱中しているお父さんではないでしょうし、
会社から期待される人間像は、おっかけのためには会社を休むサラリーマンではないでしょう。
アイドルを好きという大人は、真面目でなく、イイカゲンなのだと解釈しました。
ときめき研究家さんの記事は次に、
じゃあ「イイカゲン」だと、それらを失わずにすむのだろうか。
嫌なことだけは忘れて、でも大切なことは忘れずに生きていく、そんな都合のいい、器用なことができるものなのだろうか。
そしてそんな生き方を「イイカゲン」と言えるのか。 と書いてあります。
大切なことを忘れない、が根幹にあります。
私にとって、忘れてはならない大切なことは、アイドルに魅力を感じること。
1990年代のアイドル冬の時代、ハロプロが衰えてAKB48が出現する前の期間など、
魅力的なアイドルが出現しないなあ、と感じていた頃、
これは、魅力のあるアイドルが出なくなったからなのか、
それとも、自分のアイドル鑑賞能力が衰えたのか (=大切なことを忘れてしまったのか)自問自答しておりました。
AKB48にはまって、友人に、「こんな面白いものは、初めて見たよ」と秋葉原のシアターに誘いまくっていた頃は、
自分は、大切なものを失っていなかった ということに安堵したのを思い出します。
アイドルの魅力を感じる能力を、私が努力したから、大切なものを失わずにすんだのか、
アイドルの魅力を感じる能力は、努力しようとしまいと、大切なものを失わないですむものなのか、 人それぞれだと思いますが、(感性の問題なので、努力だけでは解決できないもの)
アイドルを好きでい続けたい (=世間的には、イイカゲンな人間であり続ける) ことに意図的にふるまってきて、よかったな とは思います。
イイカゲンな人間として、レッテルを貼られていたからこそ、AKB48を好きになった時に、家族の協力も得て、秋葉原に、栄に、(将来は難波に、博多に)見に行くことができるのですから。
広報・宣伝・イメージ戦略の成功とも言えるかと思います。
真面目な人間が、突然、名古屋にSKE48を見に行くなどと行ったら、家族に反対されて行けない、ように思います。(もちろん、例外はあるでしょうが、普通は・・・という文脈で)
ナッキー
一つ前のときめき研究家さんの記事を読んで、まだこの曲を聴いていないけど、考えたこと。
私の解釈は、
「イイカゲン」とは、到達したら維持すべきライフスタイルであり、
努力しないと、「イイカゲン」というライフスタイルは、失われてしまう。
「イイカゲンな精神」を維持するには、そのために真面目に努力する必要はある。
ときめき研究家さんの記事には、
この曲は、純粋さ、想像力などは「失いたくないもの」と位置づけている。真面目に努力し過ぎれば、それらを失なって「ただの大人」になってしまうと。 と書いてありますが、
ここで言う、「真面目に」とは、世の中、自分の所属する共同体(例えば家族)、組織(例えば会社)の標準に、自分を合わせることであると思います。
つまり、人から、「あの人は真面目だ」と評価されるような努力です。
家族から期待される人間像は、アイドルに熱中しているお父さんではないでしょうし、
会社から期待される人間像は、おっかけのためには会社を休むサラリーマンではないでしょう。
アイドルを好きという大人は、真面目でなく、イイカゲンなのだと解釈しました。
ときめき研究家さんの記事は次に、
じゃあ「イイカゲン」だと、それらを失わずにすむのだろうか。
嫌なことだけは忘れて、でも大切なことは忘れずに生きていく、そんな都合のいい、器用なことができるものなのだろうか。
そしてそんな生き方を「イイカゲン」と言えるのか。 と書いてあります。
大切なことを忘れない、が根幹にあります。
私にとって、忘れてはならない大切なことは、アイドルに魅力を感じること。
1990年代のアイドル冬の時代、ハロプロが衰えてAKB48が出現する前の期間など、
魅力的なアイドルが出現しないなあ、と感じていた頃、
これは、魅力のあるアイドルが出なくなったからなのか、
それとも、自分のアイドル鑑賞能力が衰えたのか (=大切なことを忘れてしまったのか)自問自答しておりました。
AKB48にはまって、友人に、「こんな面白いものは、初めて見たよ」と秋葉原のシアターに誘いまくっていた頃は、
自分は、大切なものを失っていなかった ということに安堵したのを思い出します。
アイドルの魅力を感じる能力を、私が努力したから、大切なものを失わずにすんだのか、
アイドルの魅力を感じる能力は、努力しようとしまいと、大切なものを失わないですむものなのか、 人それぞれだと思いますが、(感性の問題なので、努力だけでは解決できないもの)
アイドルを好きでい続けたい (=世間的には、イイカゲンな人間であり続ける) ことに意図的にふるまってきて、よかったな とは思います。
イイカゲンな人間として、レッテルを貼られていたからこそ、AKB48を好きになった時に、家族の協力も得て、秋葉原に、栄に、(将来は難波に、博多に)見に行くことができるのですから。
広報・宣伝・イメージ戦略の成功とも言えるかと思います。
真面目な人間が、突然、名古屋にSKE48を見に行くなどと行ったら、家族に反対されて行けない、ように思います。(もちろん、例外はあるでしょうが、普通は・・・という文脈で)
ナッキー
まるで、コンビニに行くぐらいの軽さで、僕は、家を後にします。
それは、AKBも、NMBも、植村花菜も、押尾コータローも、ウッチャンも、関根勤も、なっちゃんも、大阪フィルハーモニーも…全部いっしょ。
僕自身、舞台に立つのが好きだから、観るのも好き。いい加減,いい塩梅,腹六分目…。
そして、僕、好きでい続けるために、最も大事なこととは、"無理をしないこと"だと思う。
会社の後輩が、笑顔で、"昨日、(パチンコで)3万すっちゃいました~"
僕だったら、"コンサート、10回行くな~"なんて思いながら、彼の話を聞いてた。
「努力」するのは、仕事の時だけ。ただし、遊びは、人生…真剣にやりたい。