菜食を人に押し付けるなクソヴィーガンとか言う肉食者いるけど
— Tomoko ? (@V_for_Animals) 2019年1月13日
菜食者は誰も押し付けてないよ
肉食が間違ってると言ってるだけ
自分が良くない事をしている後ろめたさがあるから、鬱陶しく感じて押し付けだと人のせいにしてる
本当に肉食が正しいという自信があるならヴィーガンを何とも思わないはず
つ 「ヴィーガンのひとたちにはその暴力性を抑えて欲しい感(2018-07-07)」
最初に引用したひとはどうも著名な人らしく:
猫ちゃんのヴィーガンご飯
— Tomoko ? (@V_for_Animals) 2016年7月24日
大豆ミートとほんの少しのご飯
にんじん、ピーマンで醤油炒飯にして最後に水で味を薄め調整しレタス
水分あった方が食べやすいみたいだし、水分補給もできる
簡単にある野菜で作ってる
Vegan Cat food. pic.twitter.com/ptxnVWAk5a
あー、ピーマン駄目なんだ
— Tomoko ? (@V_for_Animals) 2016年7月25日
やめとくわ
あんがと
ま、一回くらいなら死なねっしょ
だから、人と思ってねんだよお前らを
— Tomoko ? (@V_for_Animals) 2016年7月27日
殺しの概念すらない、殺害者
殺して貪り食って、ワロてるだけの
とまあ、類例は見たかなあとか:
類例:「肉屋を殺すのは正義である―とあるVeganの主張への裁き(2018-03-30)」
@gazigazi2
— Tomoko ? (@V_for_Animals) 2016年8月2日
私は1度間違ってピーマンを入れてしまっただけで、それからは入れてないです
皆さんは菜食者の一回の間違いを非難しますが、自分達が加担している場の毎日の殺しはなぜ止めないのですか
そして私は
何を食べても平気ではないです
と、先の類例を想起すれば、この発言の問題点がでてくる。「なぜ、前述の類例に登場したヴィーガンは、殺人を犯したイスラミストを非難しないのか?」。毎日、場で行われている家畜の殺害行為。これは社会的分業で行われていることであり、その社会に関与しているからには殺害に関与しているということなのだ―それは倫理的に悪である、というなら、ヴィーガンの一部が食肉業者を殺害するのも、イスラミストが食肉業者を殺害するのも、「そぅいぅ」思想に基づくもので、その同じ思想を共有するからには―先の理屈に従うなら、共犯に他ならない。
…まあ、思想的な清純さを求めようとしすぎるとこうなるので―息をしても空気中の微生物を殺害するので息もできなくなったりするので、そこそこで留めておくとよいぞ、と思うのではある。
そして、思想的な純粋さを求めるあまり、物理現象にも心得を求めることになったりする。いや流石に:
Togetter「抗がん剤で治療中を告白した高須院長にヴィーガンがオカルト療法を勧めるがあっさり却下される」
断食なんかしたら癌患者は死にます。癌は消耗戦です。栄養の予備力があるから戦えるのです。
— 高須克弥 (@katsuyatakasu) 2018年10月2日
長期戦を戦える癌患者は例外なく断食していません。
毒を薬として使うのが医学です。
毒にも薬にもならないものはおまじないです。 https://t.co/0vjA7QGh70
…まあ、ど常識ですわな。
「たとえわずかであっても検出されてはならない」と考えるかたには、全国どこの土壌を調べても核実験由来のプルトニウムもストロンチウム90もセシウム137も検出されるのだと指摘すれば充分でしょう。全国どこを測定してもプルトニウムは地面にあります。「いい悪い」ではなく、事実としてあるのです
— kikumaco(10/29ベアーズ) (@kikumaco) 2018年10月21日
彼らの家の庭やアパートマンションのコンクリートからだって出るでしょうけど、それを認めないでしょうな。彼らにとってはあなたの言説がデマでしょうし、地球のどっかには放射線のない場所があると信じ込んでいますから。
— 鯛足烏賊/たいあしいか (@Tirthika) 2018年10月21日
( ゜ω゜).。o0(カミオカンデにでも住めばいいのにね
所謂、ゼロベクレルが宗教だと言うのは言い得て妙なのでしょう。彼らにとっては禊のつもりなのだろうか?
— guwati (@guwati2) 2018年10月22日
ゼロベクレル信者さんに核実験由来のCs137やSr90、Pu239、天然由来のUからもそれらは生成される可能性も指摘したけど、自分の体内に既に核物質が存在する事も含めて過去は気にならない。
— guwati (@guwati2) 2018年10月22日
許せないのは日本の原発から出た核物質が地球を汚染してしまった事で、今の日本が汚らわしいのだとか。
こうして論点がわかる。
”宗教”と揶揄される反原発運動は、ひとつはケガレの思想で以て理解すべきこと、もうひとつは倫理的問題として把握されるべきこと。科学の問題としてではない。
そこらのヴィーガンの説を見ても良い。そこらの肉は、非倫理的であるが故に食べるべきではなく、倫理的な植物食は当然人間によいものである、という理解に立っている。
過激派ヴィーガンの理屈と同様に、事故であれこれ余計なものを噴出させた東京電力には倫理的な罪があるので、その咎を負わねばならず、科学的にはリスクがないというのは倫理的処罰を逃れる理由にはならない―というか、そうした”科学的にはリスクはない”などという言葉は東京電力の倫理的な悪を見逃させようとする悪の囁きなのだ、こういう場合には。
「自分の体内に既に核物質が存在する事も含めて過去は気にならない」、自分が認知していなかった過去についてはさておいて、自分が認知したからには気付かなかったふりをすることはできない―。
命というのは喰らうものなのでしょうな。