西洋哲学と東洋哲学がともに男性によって構築され継承されてきたことを逆手にとって、全哲学史を男性を対象とした「ジェンダー病理学」として一気通貫して論じるジェンダー哲学史研究が可能である。過去の女性哲学者発掘だけでなく、これをやると破壊的に面白いと思う。
— 森岡正博 (@Sukuitohananika) May 31, 2020
とりあえずアレントだのクリステヴァだのあたりのランクの頭脳を800ほど投入すれば、まあ相当のことはできるんじゃないだろうか。
さて。
かがみよかがみ フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい 2020/06/07
「私はフェミニズムを学ぶ大学生です。いまはモラトリアムの真っ只中にいて、どう社会に出るか大いに悩んでいます。私は大学院に行ってアカデミックな道に進みたいと思っています。もっとフェミニズムを学び、社会の構造を変えて女性の地位を向上させる一助となりたい。そしてフェミニズムを学ぶ学生の手助けをしたい」
結構なことであって、ようこそこの世界へ、と仲間を迎える気持ちになる。なったのだが。
「しかしご存知かと思いますが、大学院は期間が長いですし、通ってもお金をもらえるわけではありません」
例えばここを変える努力をする―というのも社会運動家としての重要活動領域です。大学院生というのは研究者であるから、その分の給与が出るべきだ―と、社会の意識を変容させる、というのは長年の夢ですね。
「周りの友人は大学4年間を終えたら就職して自立していくのに、私は一体どうなるんだろう。大学院に行きながらバイトをしている人は大勢いる。社会人として働きながら大学院に通ってる人もいる。それは重々承知なのですが、私は周りと足並みを揃えられないことが本当に怖いです。モラトリアムが長くなるほど、社会に出る一歩が重くなるだろうとも思っています」
で、ここ、「私は周りと足並みを揃えられないことが本当に怖いです」でかなりアレ。いやあの、およそ研究者たるもの、その本務をすると何らかの常識を覆すのが通例なわけなんですが。
「こんな不安が大きくなるほど、私は誰かに守られたいと思ってしまいます。
結婚して、夫に経済的に支えられて好きな研究だけしていたい。他の先生たちのように塾の講師などしないで研究だけできたら、なんて楽しいだろう。何も隠さずに言えばこうなります」
まあここは誰しも思うようなことなので、素直な欲望を表出したこと自体をとがめるほどでもないですが。
「私が守られたいと思ってしまうのは、夫に養われたい、すなわち家父長制の保護に入りたいと言っているのと同じです。フェミニストなのに、私はどうして男に守られたいと思ってしまうんだろう」
この問いから自己反省へ進み、自己のよって立つ常識を問い直し、自己ならびに社会が囚われている偽りの構造を解き明かして人民を闇から解放するのが典型的な姿のはずなんですよー…。
「フェミニズムの観点で問題なのは、職場での男女差別や賃金の非対称性によって専業主婦にならざるをえなかった女性たち」まあそれはそのように理屈付けられる。しかし「専業主婦になるならないという選択は、「性別にとらわれず、自由に生きられる社会の実現」というフェミニズムの観点からすればいずれも間違ったものではないのです」とまで専業主婦コースを肯定してしまうと、問うべき論点がすっ飛びすぎやしねえか。
「私はフェミニストだけど結婚したいし夫からは守られたい。そしてフェミニストだから夫も守りたい。男に守られたいという考えは、私が戦うからあなたは私の背中を守って、という考えにもできないだろうか」、ここまでは正しい。なので、専業主夫を選ぶ男性がいてもいいし、というか積極的に称賛されるべきだし、もちろん女性は専業主夫を喜んで望む、そんな選択肢に満ちた社会がいいよね!ということで1980年代以降の「女性の社会参画」も推し進められてきたわけでしょうが―
現実には「フェミニズムは女性の総「男性化」を求めているわけじゃないから」、同様に男性の総「女性化」を求めているわけでもないんだよ?(なので稼ぎの少ない男なんかと結婚するわけねーだろ、夢見てんじゃねーよ負け組低収入オタク男どもwww)…となった現実を、どう分析・評価するかねえ、という難問に直面しつつあるわけですが、社会学者ワナビーさん方にはどのように日々をお過ごしでしょうか…。
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