発泡山軽便鉄道 雑記帳

鉄道模型(主に猫屋線)をいじりながら、風景・鉄道写真などを中心に気ままにアップしている、とりとめないブログです。

スライドショー

2018年03月16日 | 昔の写真(鉄道)
ネガにしても処理が困る昔の写真。

自分でスキャンした写真なんぞ、たかが知れているし、第一きりがない。

そこで思い出したのが、写真屋さんにネガを持って行けばCDにしてくれるというサービス。
1枚のCDに200枚ほど入るとかで、試しに出してみた。

出来たCDをもとに、次は動画作成ソフトを使ってスライドショーを作りYouTubeにアップすることに。同時にスライドショーそのものをCDにしておけば、昔の写真の整理にもなる。

今回そのスライドショーがうまくいくかどうかをテストする意味で、1本作ってみた。
今回はパソコンにあるスキャンしたデータの中から、比較的まとまっていた「鹿島鉄道」で。

動画と違い写真なのでまったく音がない。
無音で見せるのもやり方の一つかもしれないが、ちょっと寂し気がしたので、BGM付にした。

ところがこのBGM、著作権の絡みもありちょっとややこしい。
幸いYouTubeのコンテンツの一つに、著作権フリーで自由に使えてYouTubeも公認してる「サウンドライブラリー」があったので、そこからチョイスしました。最初なので、「全くの無制限」曲のみ使用。

でも音楽をつけたら重くなり、非力なADSLでは数時間コースに。

これでうまくいくようなら、休止状態だったこのアカウントをスライド専門にしようかと。

とこんだけ書いても、まだアップが終わらない、、、来月から光に切り替える予定なので、この遅さもあと少し、、、。

https://youtu.be/qC1IIzjbKVw

スキャンしたときの解像度のせいか、大画面にしたときは、ちょっとぼやけるみたいです。





フォトライブラリー(3)

2017年07月30日 | 昔の写真(鉄道)
今朝は久しぶりに、雨の音で目が覚めた。

大阪本家の屋根は、数年前に瓦をそっくり入れ替え、FRP製の物にしている。このため軽量化に成功したのはもちろん、雨の音の遮音性も格段に向上した。普通のにわか雨程度では、全く気が付かない。逆に言うと、雨が降っていると音で気が付いた時には、結構激しく降っている、ということ。

降っている時間は10分ほどだった。
問題なのは、この雨が列車ダイヤに与えた影響。

夜帰るのだから、あまり早く見ても意味がない。しかし帰る間際に見て、とんでもないことになっているのも、かなわん。

で、買い出しから帰ってきた11時過ぎに、第1報チェック。
なんと景気よくあちこちで「遅延・取りやめ」の嵐。

身近な阪和線は日根野~和歌山で、福知山線は新三田以北で、「遅延・取りやめ」。
『こうのとり』は、午前中の上下が、「遅延・取りやめ」とな。
今のところ、昼から夜にかけては何も出ていないが、これは昼からも要チェックだな。

で、ネタがないときの
フォトライブラリーの3回目。


奈良交通で走っていた、現役最後の定期ボンネットバス。たしか五条駅から出ていたように思う。ワンマン全盛の時代にあってのツーマン仕様だが、今となっては、車掌が乗っていたかどうかは覚えていない。このあと1年もせずに、ワンマンバスに変わった。



福知山電車区。初めて行った時には、その広大な敷地に驚いた。中の車両が2両ワンマンばかりというのと対照的。国鉄時代のスケールで作ったから、この広さになったんでしょうな。
ただここは、本線からは遠く離れた山の中腹にあり、行くには少々不便。また外からの撮影に向いているわけでもないので、2・3回しか行ったことがない。



昭和53年秋の紀勢線新宮電化を控え、夏に天王寺駅で行われた『381系展示会』の一コマ。
40年ほど前の天王寺駅は、光あふれる明るい駅だった。今ではこの上にMIOがそびえたち、関西線(大和路線)ホームは、半地下状態。おまけに左側には、『ハルカス』が、、、。



『しらさぎ』のこの塗装は、長くは続かなかった。485系そのものが、置き換えられたためであるが、それが福知山に転入してくるとは思わなかった。
それにしても、いつ頃どこで撮ったんだろう?



同じ『しらさぎ』だが、これはその前のやつか?あまり関心がなかったこともあり、しらさぎの塗装変更の様子を覚えていない。ただ写真のボンネット481は、この時点でも十分古かった。

さて、運行情報をチェックして、映像三昧でもしますか。

フォトライブラリー(2)

2017年07月23日 | 昔の写真(鉄道)
今にも雨が降ってきそうなどんよりした天気の日曜の昼下がり。

ギンギンギラギラの昨日よりはましだが、それでも暑い。

先週に引き続き、ビデオ撮影には不向きと割り切って、部屋で映像三昧。

で、思い出してネタがないときのとっておき、「昔の写真シリーズ」の第2弾。


多分、姫路か西明石で撮影した『0系西日本仕様』
0系以降の、100・300・700系の世代交代の速さを考えると、0系の長寿には改めて感心。500系がいつまでもつか、興味があるところ。




「昼間走らぬ日中線」と揶揄されたのは、半世紀以上前のこと。
1日3往復の運転だったが、最後まで客車列車だったのは、ある意味驚異。
当然、国鉄分割民営化を待たず廃線。
終点『熱塩駅』はちょっとした撮影スャbトだった。


これからも何度でも出てくる(はずの)、石生駅8時半の113≠W00同士の交換風景。
この時代、撮影地としては意外に谷川以北ばかりで、下滝まで足を延ばしていなかったのが、悔やまれる。


「これはどこで撮ったんだ?」という写真も多い。これもその1枚。DD51の助手席から撮ったんだろうけど、はて、どこだ?


*書き忘れてた、「まさか」。

なんとKATOが12月に、あの「四季島」を発売するとな。九州の「七つ星」がいまだに模型化されない中、運行開始したばかりの「四季島」がいきなり模型化されるとは、思わなんだ、それもKATOから、、、。

その12月(だったか)には、ほぼ1年ぶりに鉄コレから「阪堺電車」が出る。前回は「雲塗装」のみだったが、今回は2色とも、動力付きで買おう。

そして忘れそうになるが、再生産になる「飯田線セット」。クモハ53のほうは、相方のクハ68の形態が違うといい、クモハユニ64のほうは、ブドウ色2号の設定。両方とも買うやろな、「四季島」はいらんけど、、、、。

さて、帰る前に天然色のDVDでも見るか。

フォトライブラリー(1)

2017年07月17日 | 昔の写真(鉄道)
暑いときは、クーラーの効いた部屋で映像を楽しむのが一番、とばかり映像三昧だったこの3連休。

昨日はDVD、今日はWOWOWと昼下がりを過ごす。

で、いつもなら書くことがない休日なのだが、今回からはちょっと様子が変わる。古いデータ(写真)の一部を、このパソコンに取り込んだ。その記念に、過去やっては終わっていた古い写真館を再び登場させることに。

今回からは、時間が許す限り5枚~10枚ぐらいをアップしようと思う(いつまで続くかわからんが)。


鉄コレで出たときには、あまりの嬉しさに2編成買ってしまった大井川鉄道(元北陸鉄道)6010系。行った時は動いてなかったのが残念。廃車にはなっておらず、休車状態だった。この後2・3年後に正式に廃車。途中動いているという情報を聞いた時には、びっくりしたものだった。



確か、勝田電車区外れに留置されていた、485系訓練車。『訓練車』そのものが珍しかった。写真のクハは『クハ481?6』だったように思う。


福知山駅での1枚。山陰本線用には、3連組が中心だったように思う。4連組は福知山線へ入っていた。この3連組を中心に3800への改造が行われた。その際、不要になったクハがいち早く廃車されている。



石生駅8時半の風景。左側の線路には、福知山行きの800があり、800同士の顔並びを幾度となく撮影した。



直流電車から交直流電車へと驚異の魔改造を受けた415系800番台。種車はなんと113系800番台。あまりにも有名な魔改造なので、説明はしないけど、本家が絶えた後もこちらは健在。ただ転用にあたり、室内が大改造されており、クロスシート形状は全く変わった。そのせいか、『急行』にも使われたのは、昔話。

やっぱりちょこっと説明入れてたら、5枚が限度かな。

さて今晩の『こうのとり』、まともに走るか?

暑さしのぎ

2017年07月16日 | 昔の写真(鉄道)
昨日・今日とニュースになるほどの猛暑。
今日なんか、結構雲が出ていたが、蒸し暑い、、、。

熱中症の警告が出ているのに、ビデオ撮りでもあるまいと、ビデオ鑑賞会。

天然色シリーズ、第2章の影響が強かったせいか、最新の第3章では、ちょっとインパクトが弱い感じがする。もっとも第2章では「錆びついていた記憶の引き出し」を久しぶりに開けてくれた新鮮さがあったのに対し、第3章ではその新鮮さがちょっと薄れた感じがする。

で、そんなDVDに影響を受けてしばらく忘れていた、昔の写真シリーズを復活。

とりあえず、古い写真データの一部を(全部でどれくらいあるのかが、自分でもよくわからないのだが、、、)、大阪のPCにも取り込んだ。

以前アップした写真もあると思うけど、その辺りはご容赦を。


*トップは、収納されてるファイル順に1番目。今は亡き日立電鉄の、営団地下鉄からの譲渡車。鉄コレでモデル化もされた。この電車の不幸な点は、昭和50年代に譲渡されながら、冷房を積んでいなかったこと。譲渡された時点で、冷房改造が不可能だったかもしれないが、第3軌条集電をパンタ集電に変えるという大鰍ゥりな改造をしているだけに、冷房車を導入しなかったのは、惜しいと思う(結果は変わらなかったかもしれないが)。



ご存知、113系800番台。末期の頃は、福知山を朝出て大阪に行き、翌日朝に福知山に戻ってくる運用だけになっていたと思う。石生で8時30分ごろにこの上下列車が交換する風景は、よく撮影に行った。



あまりにも有名な、南海浜寺公園駅。この駅もついに高架工事の対象となり、駅舎そのものは保存されるものの、今はどうなっているか?また近いうちに行ってみよう。

さてこのシリーズ、どこまで続くか・・・。