発泡山軽便鉄道 雑記帳

鉄道模型(主に猫屋線)をいじりながら、風景・鉄道写真などを中心に気ままにアップしている、とりとめないブログです。

緑の客車シリーズ(その2)ホハフ55、他

2023年09月17日 | 猫屋線(改造)

予定外のバケット付きに改造したホハフ13だが、これとコンビを組ませる客車も、曲者みたいになってしまった。

まず尾小屋タイプのホハフ55。

元々気動車部隊で使うよう、オリジナルのままだったが、気動車部隊を再編成した時に、余剰車になったものを再利用。

そしてホハフ13がバケット付になったため、そのバケット側と連結する荷物車として、とにかく使い道に困っていた簡易軌道客車を、カプラーアダプターカーとしての機能はそのままに、緑軍団に編入。

この写真はまだバケットを付けていないが、最長でも3両編成までしか組まないつもり。

荷物車を塗装変更したのは、ウエザリングをしていたから。ウエザリングの上からでも吹き付け塗装がのるのか、今一つ不安だったので、失敗してもいいように供出したのだが、結果は見ての通り。

この荷物車がいいのは、車体サイズが一回り小さいこと。

だからこのようなのどかな2両編成も、そつなく組める。

一応この4両は、赤い電機が牽引する。

そしてホハフ55の方は、車体下部の水色をクラッシクグリーンに変更、上部のクリーム色はそのまま使用した。

車内はすでにドア間ロングシートととして作りこんでいたが、

転用にあたり車端部にも座席を設置、

バスの後部座席仕様みたいな感じに。また車体表記も、側面はそのまま使ったものの、両端面はホハフを消し「55」の数字だけ使った。

一方ホハフ13と同じ車体のもう1両は、バケットは付けずにオリジナルのまま。

ただ車体表記は少し変えて、

ハフ3に変更。テールライトを片眼にすることも考えたが、ここはオリジナルを尊重した。

ホハフ13もハフ3も、車端部までシートを設置。ただハフ3が端から端まで座席設置しているのに対し、ホハフ13の方は、バッケト側の車端部はそのままで荷物室スペースと言う扱いにしている。

またハフ3の座席はL字棒。これをガンダムマーカーで着色。ホハフ13がブルー系なのに対し、ハフ3とホハフ55はグリーン系。

元々は、ハフ3とホハフ13を向かい合わせにして使うつもりだったのに、変な気を起こしてバケットを付けたために、バケットが編成中央に収まるのはちょっと、、、

模型なんだから、バケットが中央にあろうがなかろうが関係はないのだが、変にこだわってしまう。

このように、バケットは前か後ろに出して目立たせたい、と言う願望がわいてくる。

出番がなかなかなかった赤い機関車も、この近代的スタイルの客車を牽引せせるにはなかなかいい。

これらの客車は、電車部隊の一員として走らせることに。

これで未改造で残っているのは、

気動車部隊の手前5両のキハ軍団だけに。塗装はそのまま使うつもりだが、果たしてどうなるか、、、。


緑シリーズ客車その1(ホハフ13)

2023年09月15日 | 猫屋線(改造)

機関車が気にいったため2セット買った鉱山線客車セット。

全く同じ客車が2両だけど、まぁ何とか使えるやろ、と思っていた。

たしかに「何とか」はなったんだけど、気が付いたら緑の客車は4両になっていた。

4両ともに共通しているのは、緑色はすべて塗り直している点。

右が標準塗装で、左が再塗装したもの。アサヒペンのクラッシクグリーンが気に入ったので、それに合わせることにした。

車内の塗りつぶしは、ガンダムマーカー。ドアはステンレス製と言うことでシルバー。もっとも昭和40年代にはほとんど姿を消していた軽便鉄道に、ステンレスドアが採用されていたとは思えないが。

2両とも客車なので、運転台機器などは付ける必要がないので、この点がキハなどと違い楽な点。

が、そうではなかったのが車内の座席。

2両の緑の客車の床板は、動力用の床板の上部を蓋した形態。このため床面が上がり、ロングシートをそのまま設置したのでは背もたれ部が窓の底辺より上に出てしまう。

このため背もたれ部と座面部をカットして分離、背もたれ部は窓ガラスパーツに、座面部は愉快あた部にそれぞれ貼り付ける形態に。

これが結構面倒くさい。1両作ったところで、L字棒があったのを思い出し、もう1両は不本意ながらL字棒で作ることに。ただこちらはまだ作業していない。

そして座席をカット中、あるパーツが目に入った。

そう、客車化改造した元キハ8(バケットカー)のバケット。

全く同じ客車が2両あっても、、、と思っていたところへのバケット降臨。

これは使わない手はない。

しかし問題となるのがカプラーの長さ。

結局こうなりました。

台車から、カプラースペーサーの特大(もともと客車のカプラーについていた物)、同じく特大の上下反転させたもの、そしてTT03についているスペーサーの小の順につけていく。2個目の特大スペーサーの上下反転は、カプラーのうわぞり防止のため。

バケットを付けたホハフ13は、こいつとペアを組ませて小荷物輸送にも使うことに。

もう何回改造されたかわからない、簡易軌道客車。ホハフ13側はKATO・Nにしているが、反対側はピン式(受け)になっているアダプターカー。

バケットを付けたホハフ13に対し、もう1両は同じ形態の増結用客車と言う位置づけにして、変化を持たそう。

この1両は、形式番号も変えました。そして緑の客車になったのはもう1両登場。これも思い付きと勢いですが。

それらの車両はまた改めて。


帰り道の帰り道。

2023年09月11日 | なんやかや・・・

ようやく、先週の大阪帰りの行く道中の写真なぞ。

今までの大阪帰りでは、特に道中の写真なぞは撮ってこなかったけど、今回は久々にデジカメを構えてみた。

朝9時の8号で出発するのがいつものパターン。このアングルはお決まり。利用者もコロナ前に戻っている感じ。

下滝で、1号と交換。1号はすっ飛んでいくが、こちらは退避のためいったん停車する。その時に窓の外には、改札口の向こうに立派な案内看板が。いつの間に立ったのか、、、。

看板にある「発電所記念館」、今の関西電力ができる前に存在した地域電力会社の水力発電所跡を利用したもの。水力発電所のレンガ造りの建物がそのまま残っており、たしか機械も残っていたような。その先の地層から「丹波竜」が発掘されたのだが、公共交通機関はこの下滝駅のみ。観光拠点にしたいらしいが、現実は、、、。

尼崎までは順調に走ってきたが、尼崎の側線に貨物列車が停車中。こんな時間に貨物がいるなんて、ちょっと嫌な予感。

案の定、尼崎を出ると見事にノロノロ運転。ようやく案内放送が入り、貨物線で、踏切の遮断棒が折れていたために運転を一時見合わせた影響で、本線の運転も乱れているとのこと。

確かに本線から分岐した先でも貨物列車が止まっていた。

貨物線が止まっていた、と言うことは宮原からの出入庫も止まっていたわけで、サンダーバードがこれに引っ掛かり、線路を共有する外側線の列車もこれに巻き込まれる感じで遅れているそうな。

遅れと言っても5分程度だったので、新大阪で焦ることなくモーニングにありつけた。

これで700円。もはや、安いのか高いのかさえ分からない、、、。

膝がおかしいので、ここから難波へ行くのも一苦労。天下茶屋に出て、南海乗り換えで行く。

地下鉄の車内広告には、

まったく興味も関心もわかない2年後(らしい)の大阪万博関係の求人。エキスポ70の時のような興奮は、みじんも感じられない(2年も前だから、当たり前かもしれないが、、、)。

で、南海天下茶屋。

ここから難波までは、来た電車が先着なので、それに乗ればいいのだが、、、。

乗る電車を待つ間に、ちょこっと撮影。

いつの間にやら。一大勢力になった気がする8000系シリーズ。おそらく関西の電車の中では最も関東っぽい電車な気がする。

そしてこいつもやって来た。

数年前まではごろごろ見れたのに、今や風前の灯火状態の6000系。

片開き・2段窓と言う車体構造はステンレス車体をまとっているとはいえ、昭和の遺物感は満載。

難波の旭屋へ行った後、三国ヶ丘までは30分に1本の準急のおせわに。

それを待つ20分ほどの間に、、、。

この準急、堺東から各駅停車になるうえ、あまり混まないので、なかなか快適。

そして三国ヶ丘。

103・205系亡き後、ほとんど撮影していなかった阪和線も、今回はちょびっと。

2階にある南海高野線から1階の阪和線へ移動するのに、2階から高野線改札のある3階へ上がり、それを抜けると今度は2階に降りて阪和線改札を抜け、1回のホームに降りてくるという、単純な駅のはずなのに、複雑な動線が必要なこの駅。もう少し何とかならんか、、、。

コロナ禍前ぐらいまでは、昼間の普通電車にも6両編成があったけど、今は4両に統一されているみたい。

223・225系化されてから、阪和線からロングシートが消滅したけど、全車を同一仕様とすることで車両運用に柔軟性を持たせたか。何せよく遅れる阪和線だから、、、。

杉本町で先に行く「はるか」も、ようやく9両編成に戻った。ハローキティラッピングが、はるかの正規塗装になってしまったな。

阪和線を降りて、いつも立ち寄る喫茶店へ。

そこで衝撃の予告、、、。

ついにここも禁煙か、、、。

 


大阪土産

2023年09月08日 | グッズ

丹波から帰る際は、大阪で少し自由時間が取れるため、難波の旭屋か日本橋の模型屋へ立ち寄る。

今回は難波旭屋。近鉄写真集が発行されていることもあるが、事前の情報でちょっと興味がわきそうな書籍を教えてもらっていたので、その確認も兼ねて。

で、ありました。

「田中車両の時代」。

阪和線を走っていた旧型国電に「田中車両」のメーカーズプレートが付いていたのは覚えているけど、「田中車両」自体がどうなっているかは全然知らなかった。

買収されて近畿車両になったことを知ったのは、ず~~~っと後。

鉄道関係の書籍で、鉄道会社を扱ったものは数多いけど、車両メーカーを扱ったものは、ほとんどない(ような気がする)。

参宮急行の2200や新京阪のデイ100など、「この鉄道にこんな車両がありました」的情報はよく目にするが、「この車両はここで作りました」情報はまずない。

そういう意味で、車両メーカーに焦点を当てたこの書籍、なかなか面白い。

「ゑ!こんな車両が?」的な筆頭が、

カバー裏面(?)に設計図がちょこっと見えるこの車両。そう、猫屋線のモデルになった「あの車両」である。

写真と設計図から構成されており、どこの鉄道路線に偏ることなく、納入先鉄道会社がまんべんなく記載されている。

もう1冊は「簡易軌道」の特集。これの凄い所は、

北海道内にあったすべての路線を網羅していることで、これはこれで読みごたえがある。

一番驚いたのは、国鉄一の赤字路線として有名になった「美幸線」が走っていた区間にも、簡易軌道があった、と言うこと。

とにかく廃止後半世紀以上たっているのに、よくまとめていると感心するばかり。

近鉄写真集をスルーした分の価値はあった、と言うべきか。


帰り道

2023年09月07日 | なんやかや・・・

5月のGW後以降久しぶりの大阪帰り。

高齢の母親の状態も落ち着いており一安心。

で今回は、順番を逆にして帰り道の様子なぞ。

帰りは大阪地下鉄で新大阪に出て「こうのとり」に乗り換えるのがいつものパターン。

御堂筋線は、この数年で最新鋭30000系がすっかり定着。

乗る駅にあった記念コーナーも、そのデザインは30000系。記念品でも売っているかと思ったら、展示コーナーだった。

新大阪で予定通り11号に乗車。

半年前まで、マスクなしで電車に乗ったら白い目で見られていたのが嘘みたいな状態に。地下鉄でも、歩いている人でもスーパーでも半数以上がノーマスク。

マスクしているのは田舎者だけみたいな状態。

上の写真を撮った時は気が付かなかったが、大阪を出てしばらくしてようやく気が付いた。

こんなんつけなあかんとは、鉄道会社も大変ですな。

車窓で気になるのが、太陽光パネル。

気がついたら、「そんなとこに設置せんでも…」と言うような場所に設置している。

宝塚の次の道場駅付近で見える、山の中腹にあるパネル。パネルのすぐ下は住宅地。

もう1か所、広野駅の先で小高い丘のような山には、斜面一面を覆うようにパネルがあるので、それも写真にとるつもりだったが、、、。

広野の手前、三田駅手前にある駐車場の、幼稚園送迎バス。

あのバスを見てから数年たつが、撮影は初めて。道路を走っている姿を見てみたい。

三田を出た「こうのとり」はいつものように快調に篠山目指すのか、と思っていたら、なんと広野の手前で減速、広野に停車してしまった。

こんなとこで停車するなんて、嫌な予感しかしない。

運行情報を見てみると、、、

なに~~~、篠山以北運転見合わせだと、、、、

3分ほど停車したのち、発車。そのまま篠山口まで快調に走る。車内放送は何も言わない。そしてパネルの写真を撮るのも忘れた、、、。

で、篠山口到着。しかし発車しない、、、。

ようやく車内放送が入り、黒井・市島間で架線に飛来物があり、電車も巻き込んだため、運転見合わせとのこと。現在撤去、検査中なので、しばらく発車待ち。

ただ事故の程度は軽かったようで、30分ほど遅れて発車。

しかしその事故の割を食ったのが、普通列車。

大阪行きは、定刻で折り返しているのだが、

なんと福知山行の普通列車は、待ちぼうけを食らい1時間ほど停車している。さらに言えばこの乗り場、普段は大阪行きの発着に使われており、福知山行が発車することはなかったはず。

本来なら、この特急が出た後、こちらに入線してくるのだが、特急がいるため入線すらできず、到着ホームで折り返すみたい。

篠山口を出た後は、いたって快調。

しかし発車後に運転状況を確認しようとしたら、

何回やっても、このエラー。肝心な時につながらなかったら、意味ないんですけど、、、。

平日の11号は、谷川での交換はないのだが、今日は、、、

遅れの特急と交換。

30分少々遅れて柏原着。

駅の最新鋭案内表示によると、画面中央が柏原で、特急は30分ほど遅れて発車しているが、左端の下滝を発車(しているらしい)普通は、なんと60分少々の遅れ。確かに駅には、まれに見るほど多くの人がいたなぁ、、、。