2005年公開され、その年の韓国での興行収入第一位を記録した大ヒット作。
この映画、日本ではどうも賛否両論賛のようだ。良くも、悪くも話題に登るということは、それだけ、印象に残る映画ということなのだろうか。この映画の韓国でのヒットは、恐らく韓国の人たちから見れば、徴兵制度というつらい現実が横たわる社会において、南北統一の悲願達成が何にもまして戦争と言う重いテーマを浄化するからに違いない。一方、他人事で平和ボケした日本などの国から見れば、南北統一といったカタストロフィはすっかり抜け落ちて、ただ単に戦争の不条理だけが浮き彫りにされる。だから、涙を誘うこの映画にそんなつらい印象を持つのだろう。それがゆえに、この映画に対する賛否両論が渦巻くことになるのだ。「戦争の悲惨さ」と、「純朴な村人達の平和な村」という両極端なモチーフを、無理にファンタジーとしてまとめ上げた際のほころびがいまにも破綻しそうで痛い。戦争、それはどんな描き方をしても正しく描いたことにはならず、それがもとでさらに論争を巻き起こす人類最大の不幸なのだから。
朝鮮半島の南北分断は、1945年の日本の敗戦による植民地支配の解放から始まる。1945年12月28日にアメリカ、イギリス、旧ソ連は信託統治案を決議する。その後南北統一政府の樹立するための運動が半島でくりひろげらる。1948年3月に、国連総会は南北総選挙でなく韓国独自の選挙実施を決議したため、南北分断は既定事実となる。こうして朝鮮半島はアメリカ・ソ連・中国をはじめとする超大国間の冷戦構造に組み込まれるのである。1948年8月15日に北緯38度線南にはアメリカが支援する大韓民国が樹立され、同年9月9日、38度線北にはソビエトや中国に後押しされる朝鮮民主主義人民共和国が樹立され、現在まで南北分断は続く。そして、イデオロギーを異にする同じ民族同士の戦争、朝鮮戦争が1950年に起こるのである。
この映画は、朝鮮戦争の真っ最中でありながら、南も北もない山奥の人知れぬ里トンマッコルに迷い込んだ韓国兵、北朝鮮兵、米兵と、村人たちの物語だ。兵士らは、最初は互いに銃を向け合うものの、戦争なんぞどこか遠い国の話といった純朴な村人たちの前で次第に打ち解け、平和な日々を送る。しかし、やがて戦火は人知れぬ里にも及ぶことになる。
韓国現代史の最大の悲劇といわれる朝鮮戦争は、1950年6月25日の未明に北朝鮮軍が北緯38度線を突破することから始まる。奇襲にも似た北朝鮮軍の侵攻を受け、韓国軍は絶望的な戦いを続け、韓国政府はソウルを放棄して首都を水原に遷都、ソウルは6月28日に陥落した。このソウル陥落の際、命令系統が混乱した韓国軍は避難民もろとも漢江にかかる橋を爆破した。これにより漢江以北には多数の軍部隊や住民が取り残され、自力で脱出する事になる。また、この失敗により韓国軍は士気もさがり、まさに全滅に近い状況になった。
韓国側は釜山周辺まで一時後退するが、米軍を主体とする国連軍が仁川上陸などで反撃を開始。中国国境まで北朝鮮軍を追い返す。しかし、今度は中国軍が本格的に参戦。平壌は奪回され、ソウルも陥落、38度線周辺まで押し返される。まさに一進一退。ダグラス・マッカーサー元帥はトルーマン米大統領により解任され、国連軍は再度ソウルを奪回したが、戦況は膠着状態となり、ソ連国連代表マリクの提案を機に、休戦会談が始まった。1953年7月27日に、板門店で休戦協定を調印。現在も、朝鮮半島の分断はそのままとなっている。
この朝鮮戦争で、北朝鮮の死者は250万人、韓国市民100万人、韓国軍人5万人、米国人5万4000人、中国軍人100万人。南北朝鮮の合計死者数が355万人というから、太平洋戦争での日本人死亡者221万人を大幅に上回っている。アメリカ軍人の死者も、ベトナム戦争の時より1万人も多い。ちなみに太平洋戦争の朝鮮軍人の死亡者数は20万人だ。
近年、対北融和政策が進められている韓国では、学校教育でも「統一教育」の名のもと、北朝鮮との過去や対立関係はできるだけ教えず和解と協力が強調されている。これに対し日本については、領土問題や慰安婦問題、靖国神社問題などを通じ歴史的な敵対関係が強調され、日本と韓国は朝鮮戦争で交戦国ではなかったにもかかわらず、戦争したかのような認識が広がっている。こうした雰囲気が韓国の子供たちの「間違った歴史観」に影響を与えている。
そうした中、この映画の脚本は、一方的な韓国側の事情だけから描かれている。韓国内の世情を考えれば、南の兵士と北の兵士が互いに手を取って連合軍に対抗するような内容は必然なのだろう。だからこそ、韓国の国民の前にある南北分断のつらい事実に同情を感じざるを得ない。ただ、武力はなんの解決にもならない。たとえ、それが世話になった平和な村を守るためでも・・・・・・。
戦争の不条理さがどんなにファンタジーで味付けされていても、我々はそれに違和感を持ち拒否する心を持っている。いや、むしろこの場合、韓国の人たちが南北分断さえ笑って話せる時期に来たということか。それであるのなら、今後、韓国の動向をじっくり見守り、激動の歴史の証人となろう。
戦争、それはどんなイデオロギーであっても正しい戦争などあり得ず、それがもとでさらに戦争を巻き起こす人類最大の不幸なのだから。