tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

Fukushima: A Nuclear Story

2022-05-12 22:29:46 | cinema

「飛び去っていく、うちらのこれまでが。なんも考えん、ぼーっとしたうちのまま死にたかったな(この世界の片隅に)より」
8月15日。終戦の玉音放送を聞いたすずが、畑に飛び出して号泣しながら叫ぶ言葉だ。苦しい生活を耐えてきたすずだったが、これまで信じてきたものが崩れ去ってしまう。

何の関連性もない2つの映画。共通するのは、両方とも観ていて「ボーっとして思考が抜けて」しまうところだ。ともに歴史にこれぞとない日本を襲った悲劇。

2011年3月に発生した二つの悲劇。あの日、ソフトウエア開発をしている彼女は、千葉の自宅で大きな揺れを感じた。テレビから流れる衝撃的な映像と、破壊された地域の住民の声。彼女は何をしていいかわからず、家の中に閉じこもった。その日、彼女の歩いた歩数は10,000歩を超えたという。気が付くと自宅の2階と1階の往復を繰り返していたという。

我々の世代は、政治を含めて自分の主張を抑圧された世代だ。学生運動が盛んだった上の世代の陰にいて、政治への無関心が支配した世代。政治への不満や抑圧された感情は意識の下に押し込められていた。だから、政治に対する話題など、これっぽっちもしたことなどなかった。考えようとしても、なにも感情が浮かばない。それが戦争であれ、大震災であれだ。考えようとするとボーっとした霧が頭の中に立ち込める。何も考えられない。それをPTSD / 心的外傷後ストレス障害と切り捨てるのは簡単だ。

地球温暖化を考えると、原発は稼働させるを得ない。もちろん、それには万が一の場合には東京が、そして日本が壊滅するリスクを負う。それでも産業の成長を止めないためにはエネルギーが必要で、現状では火力発電に頼るしかない。真綿で自分の首を絞めるか、日本の壊滅を先延ばしにするのか。なんも考えん、ぼーっとしたうちのまま死にたかった。

Fukushima: A Nuclear Story - Official International Trailer - English HD