自らの死を選択した先達に対して、そこに至った背景を理解しようすることは、残された大抵の人間がやろうとすることである。ジャックは、「理解するなんて頼んでもいないこと、大きなお世話。」と言い捨てるかもしれない。しかし、この宇宙において、地球のような生命体が繁殖する星の存在確率は、さほど高くは無いと推測される。その中でも、高度な文明社会を形成している地球は奇跡の存在と言ってよい。すなわち、日常のささいな事でも、それは種々の奇跡の綾なすことであり、我々の毎日の生活は十分に意味のある貴重な時間を過ごしていると言ってよい。神は我々の中にいるのだ。だから、我々は生きようとする意志、生きる本能をわれ等自身に持っている。自殺者に対してその心情を理解しようとするのは、逆に生きるためにはどうすれば良いのか、その答えを見つけ出そうとするわれ等の生存本能によるものなのだ。
この地球では、10歳にも満たない年齢で戦場に駆り出されたり、生きたくても生きられない人間が多数いる。その一方で、自らの意思で死を選ぶ人間もいる。その数を考えると、人間としては自殺が必然性のあることかもしないと考えざるを得ない。
一つの仮説であるが、闘争本能が脳内の活性物質による作用なら、その分泌レベルによっては死の恐怖や心の痛みを和らげる機能もあるのだろう。すなわち、脳内活性物質の分泌濃度によっては、ある閾値よりも下のレベルでスイッチが入り、死の恐怖を失い、そして自らの死を選ぶ。特定の精神状態の状況下で、自らの重量が21グラムの軽減する結果、こうしたことが起こるのかもしれない。そして、これは人間の種だけが、太古より遺伝子レベルでプログラムされていることなのだろう。
ジャック、ぼくはさよならは言わない。
彼のメッセージは、我々の心の奥底で生き続ける。
彼は、最後に船出よりも陸路を選んだだけだ。ぼくは、オールを立てて彼を見送る。
Have a good trip. I promise to do my best for my life、 Jacques Mayol !!.
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