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冬のイメージが強い群馬。スキーに夢中になってた頃は、毎週末のように群馬北部や長野に通ったものだった。そのせいもあって、いつか雪の日に 製糸場へ・・・とか思ってるうちにずいぶんと月日が経った。
行ける時に行っとかなきゃ。。思い立ったが吉日。なのだろう。
かつての日本を支えた製糸業。「ああ野麦峠」に代表される「女工哀史」の世界だ。明治から大正にかけての民間紡績会社では、うら若い女性たちが粗末な食事と低賃金で過酷な長時間労働を強いられていた。
一方、富岡製市場は、廃藩置県で地位を失った旧士族の娘たちや戸長の娘などをはじめとして、農工商の身分に関係なく多くの娘たちが全国から集まってきたらしい。いわゆる「富岡乙女」と呼ばれる優秀な娘さんたち。
日本初の大型製鉄所の成功は富岡製糸場の30年後だが、明治5年に創業を開始した官営工場の当初は、採算を度外視した赤字を生む公共事業だった。生糸を大量生産する工場というより、寄宿制の女子繊維工業専門学校といった方がその役割りを正しく表現している。
生産量が伸びず赤字が解消されないまま明治26年には民間に払い下げられ、明治31年には工女のストライキが起きる。採算度外視の実験的工場から過酷な労働による利潤を追求が始まった。
製糸工女は日本で最初の工場労働者だ。日本で近代資本に搾取された最初の人々。彼女たちなくして日本の近代化は語れない。
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