戦時中には、入り江の漁港が特攻隊の訓練基地だった鵜原海岸。米軍を迎え撃つため、ベニヤ造りの特殊挺「震洋」で自爆攻撃だったらしい。
この海岸を舞台に三島由紀夫は「岬にての物語」という小説を書いた。
陽光が降り注ぎ、草花の生い茂る夏の岬を舞台に、恋人たちが自ら選んだ恩寵としての死を描いた。
「オルガンの音はそこから物織る糸のように忍び出で、野の花々(鬼百合も)に蜘蛛や蜜蜂や黄金虫が死んだように身を休め、しばし凪に楡の樹の梢も鳴らさぬ午後の謐けさすべてが金色のままに翳なくそれがそのまま真夜中を思わせるような夏の午後の謐けさを、そのオルガンの音楽はさまざまな縫取りで重たくするかのようであった。」
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