ツバキは饒舌だ。いや、むしろ姦しい。
春の日のあふれるツバキの園を写真に撮ろうとすると、つやつやと光を帯びるツバキの葉たちが、あれこれと自己主張をしてくる。
まるで、葉たちが私を撮れと一斉に催促してくるよう。
我の強い葉に隠れて、プリマドンナの花たちはその印象を弱めてしまう。
花を大きく中心にすれば、写真としては成立する。だけど、いつもの見飽きた写真にならざるを得ない。花の図鑑のような日の丸構図。
椿花ガーデンのツバキたちも超元気だ。撮影中にツバキの葉たちがささやく、いろんな言葉が聞こえてくる気がする。ツバキには見ごろがあっても、花の満開の時期はないそうだ。次から次に、花が落ちてはつぼみが開く。一斉に咲くことはない。
大島でツバキの花を撮っていて鳥肌が立つほど感動を覚えるのは、朝の光で撮る大島公園のツバキたちだが、椿花ガーデンのツバキたちは、写真を撮っていて思わず笑いを押さえきれなくなる。花も葉っぱも饒舌だ。彼女たちの語りかけを聞いていると心が弾んでくる。ついつい、そんなことを思ってしまう。
大島公園は島の東側(太平洋側)。古くは紀伊半島を巡回する船舶の、明治、大正、昭和にかけては、日本有数の好漁場・大室ダシ漁業の風待ちの島であった大島は、当然のことながら南部の波浮港、西の勾配が緩やかで平らな元町港、北の岡田港を中心に発展。断崖絶壁となって海に落ち込んでいる東側には人は多く住まない。
手つかずで残っている広大な土地を利用したのが大島公園。自然の地形を生かして総面積約327haの都立公園として整備されている。
その中心となるのが椿園と椿資料館。椿園には園芸品種約1000種3200本が植えられ、ヤブツバキ約5000本が自生する。椿園の整備は昭和32年ごろから。約60歳の公園。大島のヤブツバキは、雑木林を利用価値の高いツバキだけを残して伐採することで繁殖してきた。また一説によると、森にすむアカネズミが椿の実をあちこちに埋め、これが椿の繁殖に役立っているのかもしれないとのこと。
都立公園ということで、椿の管理は東京都。朝早く行くと造園作業の職員たちがメンテナンスや落花の整理などをしているのに出会う。
このため椿もメンテが行き届き、入園料が無料というのにそのクオリティの高さに驚かされる。やはり伊豆大島の観光の目玉は、ゴジラじゃなくてツバキだ。
1944(昭和19)年に開校した「大島農林学校」を前身とする大島高校。地域から必要とされる産業(農業・家庭・水産)を柱として、優秀な人材を世に送り出してきた歴史のある高校だ。
大島の郷土・文化を学びつつ、農業や観光産業・防災など就業体験にも力を入れ、国際社会で活躍できる人材教育を行っている。
大島高校の椿園は昭和52年から。大島公園の園芸種を順次導入し、挿し木や接ぎ木の実技教育により増殖が行われてきた。現在では350種ものツバキが校内の椿園を中心に育てられている。
ツバキの開花シーズンが終われば、新学期。お礼肥から整枝剪定、病害虫予防、下草がり、そして挿し木や接ぎ木の実践教育が続く。
また、ツバキ栽培を通じて広く情報発信を行うほか、椿油など高校生による特産品づくりなどの活動も行っている。こうした若い人たちの島の観光に関する理解と努力は実を結びつつあり、椿の大島高校として大島観光の目玉の一つになりつつある。
昭和52年からの開園ということもあり、園内の木はまだ若い。フレッシュな分、花の付き方も活発で、写真を撮ったこの日はまさに百花繚乱。若さが爆発していた。
鎌倉散策はいつでも時間との勝負。というのも、鎌倉の古刹・名園は早い時間に閉門してしまう。体力と気力での写真撮影が常。
まずは、鶴岡八幡宮のそばの着物が似合う懐石料理のお店で腹ごしらえ。鎌倉の地野菜はなかなか個性的。農薬を使ってない分、野菜が病害虫から自分の身を守るため、フラボノイド、アルカロイド、植物性エクソダイン、グルコシノレート、青酸配糖体、テルペン類、有毒たんぱく質などなどを、せっせと生産する。
だから、植物の持ってる本来の味なんだろうけど、甘やかされて育てられた野菜を常日頃食べている身にとってなかなか手ごわい味だ。
侘助の名刹・英勝寺から春の日差しの厳しい源氏山公園へ。おしゃれなカフェを探してたむろする若者たちを横目ににらみながら、花の寺・宝戒寺。
疲れた体が欲するスイーツの誘惑を振り切って、観光客がごった返す小町通を抜け江ノ電の長谷、長谷寺へ。そして、夕暮れ間近で人気の途絶えた光則寺。
鎌倉のツバキも、植木職人の手が入り込んだ都会のツバキだ。おそらくは古い昔から、そうした管理で多くの人々を楽しませてきたのだろう。ワビサビの世界に住むツバキたちだ。
ツバキの花の咲き終わった4~5月ごろ、ホテル椿山荘の年老いた支配人が出入りの植木職人に電話をかける。
「今年もお願いしますね」
電話を受けた代々続く下町の植木職人の3代目は、今風の刈り上げた頭にぱらりと下した天辺の長髪を揺らしながら、電話に向かってお辞儀する。
「まいどどうも。今年の春は成長が速かったから強めに剪定しておきますね」
そう答えて、指輪をはめた手で携帯の通話ボタンを押す。。
そんなイメージの、世代交代した昔ながらの頑固な植木職人さんたちが手入れしたであろう椿山荘のツバキたち。
みごとに無駄な枝が省かれ、すきっと枝葉の隙間を通して広い庭が見渡せる。
なにかこう椿山荘のツバキたちは、おしゃれな都会っ子、つまり、シティボーイやシティーガールたちを見ているようで洗練されていてカッコいい。枝が込み合ってないから写真写りも最高だ。
構図を選ばなくても、自然と日本画に描かれた椿の花風に収まる。行儀がいいのだ。
それが田舎のツバキたちのように、たくましさや野性味にかけているとしても。。
実際、生命力が強いのは、どっちの方なんだろう。自由奔放に育てられたツバキと管理されたツバキと・・・。
ひとつだけ言えるのは、多くの人の目を楽しませられる分、椿山荘のツバキたちは幸せなのかもしれない。