アイト・ベン・ハッドゥは、1987年に世界遺産に登録された古いクサール。要塞化された村だ。家々は日干し煉瓦造り。「複合材料」の教科書の1ページ目に出てくる人類最古の繊維強化セラミックスだ。
地中海側の塩と西アフリカの金を交換するラクダのキャラバン隊に、安全な宿を提供していたわけだ。こうして村の人々は部族間闘争や盗賊から身を守り、砂漠地帯の熱波や乾燥に耐え、17世紀から約500年にわたって生き抜いてきた。
この村を見ると、時代は違えどアリババと40人の盗賊を連想してしまう。村は定期的に盗賊どもから襲われていた。
ある日、この村に流れてきた妖術使いに、村の年寄りたちは、なけなしの金を提示して村のガードを頼む。
「無理っすよ。100ディルハムじゃあ銃の玉代にもならない」
とはいえ、3食昼寝付き。流れ者の妖術使いは村にしばらく逗留することに。
そして、いつしか妖術使いは村の若い娘に恋をする。
♪やがて心うきうき。とても不思議このムード。
妖術使いは、仲間の大道芸人たちに連絡をとり、ヘビ使い、火吹き男、ジャギリング、アクロバット、吹き矢男、ダンサーなど6人に応援を頼む。訳ありの彼ら・彼女らもまたその日暮らしで生活に追われており、どこに行っても一緒と村に逗留。みんな、いざ盗賊と闘いとなれば逃げだすつもりでいた。。。
当然のことながら、この物語の結末はハッピーエンド。村の要塞に立てこもった7人の用心棒たちは、それぞれの得意技を使って村人の協力を得つつ40人の盗賊を撃退。まさに西部劇だね。ヨシヨシ。
んで、オチはないのかって?
しょうがいなあ。じゃあ、大どんでん返ししましょうか?
村の若い娘と結ばれた妖術使いは、その初夜の晩、花嫁のベールを持ち上げると、花嫁の頭はアフロヘア―だった。
妖術にかかってた妖術使いは、夢から目覚める。すべては、カスバの奥のうさんくさい店で、勧められるままハッシッシをやった男の白日夢だったことを知る・・・なんてね。
5人+ベルベル人ガイドを乗せたRenault Dokker LAVは、地平線が見渡せるダイナミックな荒野をモロッコのポップスにのって快調に走る。
サハラ砂漠シェビ砂丘近くのメルズーガから、ティンジルを経てモロッコ東西を結ぶ国道10号線のカスバ街道へ。昨日はフェズからメルズーガへのアトラス山脈を越える北から南への520㎞のドライブ。そして今日はアトラス山脈の西端トゥブカル山に向かう東から西へ210㎞の山道ドライブだ。
2日間にわたるロングドライブだが、景色がダイナミックに変わっていくので全然飽きない。オート・アトラスの峠越えの道の山肌は赤茶色から黄土色や薄い黒色へと目まぐるしく変化。岩壁が川の両側に連なるトドラ渓谷を経て、やがて赤土や黄土色の土の大地はマグネシウムが含まれる緑色へ。そして砂礫質で鉄分が多いのか真っ赤な乾燥した丘陵から、荒涼とした大地の中に現れるオアシスの美しい景色へ。
オアシス沿いに植えられているのはナツメヤシ。ナツメヤシを植えることによって日陰を作り、その下で畑を耕している。
「カシャ・カシャ」と単連発で切る、ぼくのカメラのシャッター音がナビゲータ・シートで起こる。ほとんどそれと同じタイミングで、「カシャ・カシャ・カシャ・カシャ」と4連続シャッター音。後ろの席に陣取るカメラ女子のXperiaだ。同じタイミングなのは、ほとんど同じ被写体を狙っているのだろう。
西日に光るヤギの群れや牧草を食む牛たち、あるいは、荷物を背負って人にひかれていくロバなどなど。
後ろのシャッター音は休むことなく聞こえてくる。ぼくが撮った写真の数は一日に500枚ぐらいだったから、彼女はぼくの1.5倍以上撮っている。撮った写真を見せてもらったら、いい写真だった。ぼくのカメラがウィンドウの汚れにピントが合ってシャッターが切れない場合でも、Xperiaは安定してシャッターが切れてるようだった。
サハラ砂漠のキャンプは、車でアクセスできるポイントからラクダに乗って丘やら谷を越え砂の上を右へ左へと約2時間で到着。
行きは夕暮れの時間帯、帰りは日の出前と太陽が昇る前に出発するから太陽の直射を受けることもなく、むしろ放射冷却による底冷えにさらされる旅となる。
明け方の温度は5℃程度。真冬の東京の最低気温と同じぐらいだが、まわりになにもない荒涼とした風景によけいに寒く感じられる。
キャンプは季節の大型テント。十畳ぐらいの常設テントの中に分厚いマットレスがしかれ、その上にシーツと毛布。なので持って行ったありったけの服を着こんで寝る以外に、それぞれが日本から持ち込んだ使い捨てカイロなどで体を保温する。
なお、この使い捨てカイロは現地では調達できない。なので、あまったらガイド氏に分けてあげると喜ばれる。
キャンプの食事は本格的。手の込んだモロッコ料理。食材はスタッフが別のキャラバンで遠路はるばる運んだものだ。なにしろキャンプの周りは見渡す限りのスタバじゃなくて砂場。
当然、水は貴重だ。かろうじてトイレは手押しポンプで簡易水洗になっているが、シャワー設備はない。
・・・ということは、食事に使った食器は、当然のことながらあふれるばかりの砂で洗浄。さらさらの砂で物理的にこそぎ落とした上で日中の強い紫外線にあてれば、なお残る油分どころか雑菌まで分解除去される。
残飯はおそらく強い日差しで瞬く間に乾燥。分解する微生物も住めない環境だから、固形物となって砂場深くに埋没していくのだろう。砂(地)中深く沈んでいき、そこで水分とあって分解されるのかもしれない。
というような解説をしたら、若い女性たちが嫌な顔をした。知らない方が幸せなのだろう。でも、そんなことが気になるか?と聞かれると、本能的に確かめたい欲求がこみ上げてくる。・・・マラケシュの屋台の皿はどこで洗ってるんだろうとか。。いや、ここでは書かないでおこう。また女性たちに総スカンを食らいそうだ。
モロッコに行く直前にみた”奇跡の2000マイル"。1977年にオーストラリア西部の3000キロに及ぶ砂漠を単独横断した女性のお話だ。
一緒に旅するラクダがキュートだった。長いまつげで何を考えているかわからないけど、ひたすら口を動かしてて癒された。
ということもあって、サハラ砂漠のキャンプでは、ラクダ使いたちといろんな話をするのが夢だった。
そのためにラクダ使いと一緒に空に上げるために、カイトも日本から用意して持ってった。
ただし、日没後にキャンプ到着、日の出前にキャンプ出発というスケジュールだったので一緒にカイトをあげるのはかなわなかったが・・・。
ラクダは本当にかわいい。体の大きなボス♂は頭をなでるとうっとりと目を閉じる。
一方、体の小さなメスは顔に触られることを嫌がってたけど、キャラバンで後ろからついてくる時は、しょっちゅうぼくの足に顔をこすり付けてきた。
よだれをふきたかったのかな。。
サハラ砂漠にいるラクダはヒトコブラクダ。「沙漠の船」と呼ばれて、数世紀にもわたってキャラバン隊の主役を務めてきた。
サハラ砂漠でなくてはならない輸送手段だ。
そのラクダの背に分厚いクッションを積んでその上に乗る。
クッションのおかげで乗り心地は馬よりもいいのだが、厚みのあるクッションの上で着座の位置が定まらないため、背中につかまってないと振り落とされそうになる。
ラクダの手綱はあごの下。ハミは噛ませてないので、前を歩いていくラクダ使いに追従する形。
サハラ砂漠では、夜中に満天の星空の撮影。空気が乾燥しているからモンゴルの草原以上に美しい。これが夏なら、銀河が空一面を覆うのだろう。
星空の撮影を終えてまだ火の残るキャンプファイヤーへ。夜更けまでラクダ使いとゲストが火を囲んで団欒している。
「休みの日は何してる?」 と聞いたら
「キャンプで飲み会」 との答え。
あまりにも期待してた通りの答えに固まってしまってう。通訳のガイド氏が彼の英語が理解できなかったと思い日本語に訳してくれる・・・も応答できない。
そうだよね。イスラムの世界とはいえ、酒はある。きっとドブロクなんだろうな。原料はナツメヤシ。通称「ヤシ酒」
ってココヤシだったっけ。
いろんな疑問が頭に浮かんでくるが、お互いの英語力ではなかなか会話が進まない。
敬虔なムスリムのガイド氏は悪いモロッコ人と顔をしかめるが、酒飲みは基本お仲間。コーランで禁止されてるムスリムと不飲酒戒の仏教徒。
深い付き合いができそう。
いつかサハラ・キャンプでヤシ酒の飲み会。してみたいな。
モロッコツアー中、ベルベル人の結婚式(マリアージュ)のレクチャーがあった。北アフリカ大陸の先住民族、ベルベル(Berber)。モロッコの人口の1/3を占める。
なんでも、3日間のダンスと食事に明け暮れるパーティらしい。
いつか飛び入り参加させてもらったインドの結婚式に似ている。日本でも、沖縄あたりの披露宴は、島中の遠い親戚350人ぐらいが1日がかりで延々と。演台があり、各自の演芸披露があって、最後は ... 国は変わっても似たようなもんだ。
ベルベルのマリア―ジュを細かく説明すると10分以上かかるので、以下に要約。
・結婚式は3日間、食べて踊っての大パーティ。酒なしで。。
んと、マジ?大切なところはアンダー・ラインを引いておこう。酒なしで。。
・花嫁は白い衣装に角のついたベールで顔を隠してる。
マジっすか?角隠しって聞いたことがあるけど。。それにしても、ウェディングフォトグラファー受難の日だ。腕の見せ所、きれいな花嫁さんの写真を撮れないなんて。
・男女別々の部屋で食事。
ん?っうことは、ウェディングフォトグラファーは、参列したしらふの男性の踊る姿を延々と写真に撮るはめに。
ということで、ベルベルマリアージュのフォトグラファーなんて、飲まなきゃやってられないんじゃまいか。